第8話
――去年のこと。
具体的な日付は覚えていないが、確か四月の後半だっただろう。
俺は、写真部の見学に参加していた。部活選択期間。根無し草で根性無しの俺が楽な部活を探していた頃のことである。
初めての部活見学だった。
その日までは下調べに精を出していたのだ。水都高校の掲示板サイトやチャットアプリのグループ。探せば意外にそういうモノはいくつか見つかった。そういう、俺みたいな根暗の吐き出した愚痴が溜まったゴミ箱を漁った結果、どうやら写真部が楽らしいと判断して重い腰を上げたのである。
ただ、やはり慣れないことをするものではないなと後悔していた。
「じゃあ写真撮ろっか写真」
先輩の号令に従ってわいきゃいと騒ぎ出す面々。溢れんばかりの笑顔が群れを成している。
場を取り仕切っているのは、いかにもチャラそうな感じのツンツン頭の先輩だ。気さくに笑い、記念写真なのだと陽気な新入生達と一緒にシャッターを切っている。取っつきやすくて面白い語り口で、さっきは夏休みの合宿についての説明なども行っていた。見学に来た奴らも何だか楽しそうだし、みんな入部に前向きになっているように見える。
――馴染めそうにない。
そのとき俺は、そう考えていた。
そしてそれは傍目からも明らかだったのだろう。その証拠に、俺に割り当てられた説明役の先輩はツンツン頭とは別の人だった。あんな活気に溢れた人物とは真逆の人。
「まー、さっき合宿の説明とかあったけど、別に参加しなくても問題ないよー」
机に身体を預けて、ぼやーっとした顔で気怠そうに喋る女子の先輩。写真部の新入生対応係はこの二人のようだ。
部活を楽しみたいタイプのツンツンと、ぐーたらしたいタイプと。説明役が分かれていた。
「写真さえ用意すればうちの部活は活動してるってことになるから、適当に何でもいいから写真撮ればおっけー。だから部活なんてめんどくさいなーって人向けだよー、みんなは部活したい人ー?」
戸惑いながらも首を横に振る面々。誰一人として言葉では答えなかった。が、それがむしろその先輩には満足だったらしく、ぽんぽんと意味なく膝を叩いて、もう一度口を開き、
「この部なら、部活参加義務があっても帰宅部できるよー。って、これは先生には内緒だけど。まずったまずった、言い過ぎちゃった」
へへへ、とばつが悪そうに苦笑する。かわいい。すわ
不思議に思いながら、場を見渡す俺の視界に、そこでようやっとそいつらが映ったのである。
「ででで、どうすんのよー? 個人的にはここ悪くねーなーって思うんだけども」
「レッツ多数決。この部に賛成か? 俺はノー」
「ん」
「ノー」
「イエス。おい同数じゃんかーどうすんのよー?」
「……いつも通り、ゲームで決める?」
――それは、のちに新聞部を作る四人だった。
★
それで、四人。新聞部創立のメンバーである。下の名前は覚えていない。
初めてあいつらを見かけたのが、その写真部見学の際。そのときはただ、鬱陶しいほど仲の良さそうな四人が居るなと、そんな感想を抱いただけだったが。翌々日に、その内の一人が同じクラスだということに気付いた。
放課後の教室。
写真部で見たその四人が、俺のクラスに集まってきていたのだ。
とは言え、最初から気付いていたわけではない。その日は、何か色々あって俺が教室に放課後になっても居座っていたのだ。何故だったか、理由は去年のことなのでもう忘れてしまったが。だが、わりと長い間そこに居たのはぼんやりと覚えている。
クラスメートもどんどん
通路側、真ん中の席付近。そこに四人で溜まっている。
背の低いシンプルな眼鏡のいかにも優等生らしい風貌をしているのが笠置。黒縁眼鏡でだらけた風のやる気の無さそうなのが旗瓦。天然パーマの簑島。高身長で猫背の八尾。
そんな奴らが顔を突き合わせて喋っていた。
会話の内容はどうやら、部活のことについてらしかった。どこの部に入るか、それを決めるための話し合いに従事しているようだ。やれどこの部がいい、いやあそこはダメじゃんなー、なんてわいわいがやがやと声が聞こえてくる。
それからだった。
彼らの話し合いに、本当に興味を持つことになるのは。
「やっぱりさ、四人だけで遊びたいってなるとさー。もういっそ部活作るのが一番良くない?」
そう。確かそう、旗瓦が言ったのが、始まりだったと思う。
旗瓦が眼鏡の奥の垂れ目で他の三人を見回しながら、ぼやくように出した提案だった。だがそのやる気なさげな様相に反して、声音はキッチリと真剣なものだ。
さらに追い打ちのように「その手があったか! アリだわアリ!」と天然パーマ簑島が同意する。
八尾は無言で拳を突き出し、二人に追従した。「いえー」と、旗瓦と簑島も拳を突き合わせる。良く分からない流れだが、楽しそうな笑顔だった。
――そこに水を差したのは、笠置だ。
「部活作成に必要な人数は、五人だ」
あくまで冷静に、抑揚無く告げられた言葉に、三人が肩を落とす。
「ダメじゃんか。くっそー」
「その手は無かった」
「……」
俺は思わず、席を立ち、
「……幽霊部員、要らないか」
好機を逃すまいと、声を上げた。上げてしまった。
都合八つの瞳にぽかんと見つめられて、早速後悔を始めていたけれど。言葉が届いていたのは、確かだった。
★
そうやって現実逃避がてら追憶に浸ってどれくらいか。
体感で言うと五分以上は経っているのだが、そいつはまだ黙って俺の前に立っていた。ただ立っていて、無言だった。
「……」
八尾である。口を引き
「……」
俺も無言だ。
正直、困惑していた。何だこの状況は。不可思議だった。長身の八尾に猫背でじっと見られるのは言い知れない迫力がある。混乱に加えて怯えまで感じていた。
この八尾とかいう生き物、なんと朝っぱらから下駄箱の前で俺を待ち構えていたのだ。あまりにも久しぶりに見た生き物に記憶を刺激されて、昔のことを思い出してしまったのだが、それはさておき。
じっと、ただただじっと、八尾は俺を見ている。
流石の俺も無視できず、こうして目の前に立っているわけだ。
しかしこの生き物、中々喋り出さない。様子からして俺に用があるのは確実だと思うのだが、お生憎様、俺にはテレパシー能力は無かった。依然八尾が何を求めているのかは分からないままだ。
だが、直接聞く気にはならない。その上、無視して立ち去るのもそれはそれで気持ち的に難しかった。
結果、中途半端な棒立ち。
俺と八尾のどちらが我慢強いか、その勝負の様相まで呈しつつある。
「……掲示板」
――先に痺れを切らしたのは、八尾の方だった。
「掲示板、見た」
単語だけの台詞。俺も他人のことを言えた義理では無いが、こいつのコミュニケーション能力は酷いな。どうやって笠置達はこんなのと友人関係を築いたのだろう。
昨日の今日だというのに早速、八尾は四月の掲示を見たらしいのだと。たぶん読者一号だろう。早すぎる。凄いというか、ちょっと怖いまである話だ。
が、それに続く言葉が無い。だんまりである。いや、そこで切られても。
「お、おお。そうか」
言葉に詰まってそんなクソみたいな返答をしてしまった。俺も似たり寄ったりなのだ。会話は苦手分野である。得意なのは人混みをするするっと避けることだ。俺には人混みの隙間を見抜く能力がある。
八尾は、ふんすと頷いた。
そして、腕を組んだ。
静寂。
「……?」
いや終わりかよ! なんだこいつ!
あまりにも難易度が高い。コミュニケーション道場を余裕で免許皆伝している気さくなナイスガイじゃないとこんなの対処不可能だろう。俺は沈鬱なダムボーイ。荷が勝ちすぎている。
もはや俺に言えることは無かった。
「うん、じゃあ」
会釈。のち、逃亡。
「……」
むんず。
「ぐっ」
逃げられない! 鞄を掴まれてしまった。頼むから言葉で止めてほしい。結構がっつり心臓が跳ねた。
振り返ると八尾がこちらをじっと見ている。文句の一つも言ってやろうと口を開きかけて、出掛かった言葉が喉でつっかえた。
「あれ、どうやって」
そう言う八尾の表情には、明らかに感情がある。こう、注射針を眺める子供みたいな。
奇妙な必死さの感じられる表情に、俺の息が詰まる。
「どうやって、四月の掲示、出来たんだ?」
「どうって……普通に」
「普通にって、そんな」
馬鹿な。
八尾の口の動きが、そう言葉を続けたように見えた。だが実際は台詞はそこでぷっつりと途切れ、断線したイヤホンみたいにそれ以上の音を紡がない。耳が聞こえなくなってしまった気分だった。そこにあるはずの音が消えてしまっている。
何があったのか。
つい気になって、おい、と問い掛けようとしたが、八尾は表情までもが抜け落ちてしまっていた。
「……そう、か。ありがとう」
こちらの声は届かなかったらしく、全然感謝して無さそうな表情でお礼を言って、八尾はせかせかと去って行く。
「何なんだ一体」
小さくなっていく背中を見送りながら、俺には呟くことしか出来なかった。
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