第7話
「――田賀先生、完成しました」
「了解。内容のチェックして、大丈夫そうなら月の部活動報告用にコピーするからちょっと待っててな」
――翌日。
放課後、部室で紙面を作り終えるなり直ぐに、俺と睦野は顧問の田賀先生の下を訪れていた。目的は当然、四月の掲示だ。
紙面の空欄、漫研の紹介の文章は滞りなく完成した。昨晩俺と睦野が書いてきたものを持ち寄り、適当にいいとこ取りしたものだ。何だかどうしても小塚さん色が出た記事になってしまったが、それは仕方ないだろう。一応部活動の内容などもきちんと触れてある。
まさかボツを喰らうこともないだろう。
半ば確信していたが、それでも不安はあった。それに慣れない職員室の空気も相俟って、落ち着かない。そんな状態で待っていたせいで、一通り目を通し終えた田賀先生が紙面から顔を上げた瞬間、びくっとした。
だが、田賀先生は目尻を柔らかく下げると、
「ま、これで良さそうだな」
そうお墨付きをくれた。
「ふぅ~~~っ」
思わず大きく息を吐く。一仕事、これで終わったのだ。安堵の息も漏れよう。
身体の強張りがおもむろに
職員室の空気が苦手なところもあって、思ったより緊張していた。ここの教師と来たら生徒には甘い人は居ても、自分に甘い人はほとんど居ない。それは職員室の様子からも窺えるほどで、潔癖症さえ疑われるレベルである。
窓はいつも綺麗で、花瓶の花が萎れることは無く、床に埃が溜まることも無い。清掃係が毎日掃除しているからだと言ってしまえばそれまでだが、休日明けの月曜日だってここは綺麗だ。職員室は休日も稼働しているらしいし、清掃係も日曜は基本的に休みだと山入端が言っていた。ここの教師達にとっては仕事に手を抜かないことが当たり前になっているのだ。掃除も誰もやる人が居ないのであれば自分がやろうという意識がそれぞれに染みついているに違いなかった。
熱意があるわけではない。それが当然なのだ。強いて言うなら校風だろう。今もたくさんの教師達が何かしら作業に励んでいる。
そんな風にきょろきょろと職員室内を観察していると、田賀先生が紙面のコピーを終えて帰ってきた。
「おっけ~コピーしてきた。元の紙面はこっちな、今日中に貼っといてくれ。許可証明のハンコも押しといたから。で、笠置はまだ来てないのか?」
オリジナルの方の紙面を受け取り、滲む手汗を服の裾で拭う。流石にこの場面で笠置の話題が出るのは当然だった。
紙面が出来てしまった今、これはもう実際の部活動として扱われるのだ。部長なんて役職にさして大きな意味は無いが、新聞部という小さな団体のトップは部長の笠置になっている。顧問の田賀先生は今まであいつを通して新聞部を監督していたはずだ。
だから、笠置が居ないだけのことも話題にぐらいは上ってくる。
それは困ったことなのだけれど、予想は出来ていたので答えに詰まることも無い。
「笠置達は外部活動ですよ。全部活紹介に当たってこの学校には存在しない『帰宅部』がどういうものかを体験取材しているんです」
「どう聞いてもサボりにしか聞こえないけどな」
「あれそんな馬鹿な」
はぁー、と、大きな溜め息を吐かれてしまった。地味に傷付く。
「そんなんで通ると思ってたのか遠賀原。まったく。この時期はどこもトラブルが起こるから今は大丈夫かもしれないけどな、早めになんとかしておけよ。それと、新聞部の活動報告をどうするのか、笠置に連絡取っておいてくれ。笠置からこっちに直接説明に来させても、遠賀原達で処理しても良い。だが、何が起こってるか知らないから一応忠告しとくが、今まで急に廃部になった部活ってのはだいたい部活動報告が切っ掛けだったからな。気をつけろよ」
「あ、は、はい。ありがとうございます」
当然のようにいくつもの注意事項を並べ立ててきた田賀先生に戸惑ってしまった。
新学期の開始からさほど経っていない。それでもこの顧問は、俺達が何か問題を抱えていることには気付いていたようだ。
まあ、幽霊部員だった俺が急に活動し始めたのだから違和感も凄かったろう。当然と言えば当然か。
拙い俺の言い訳も一蹴されてしまったし、何とはなしに虚しい。努力が無駄になった気分だ。努力はしていないが。
ともあれ話も終わったらしい。今日の部活動も残りは掲示を貼るだけだ。今日はもう掲示だけ貼ってさっさと帰るかと、そんな考えが頭を
完全に帰宅モードに切り替わりつつあった俺だが、「あー、そういえば」と田賀先生の言葉が続いた。
まさかの展開である。
視線を田賀先生の方に向け直して続きを待つと、
「結局、漫研の紹介記事書いたんだな?」
――意図の読めない質問が来た。
『結局』、その意味が気に掛かる。何が結局なのだろうか。
同じ疑問を抱いたのだろう、隣から睦野が一歩出てきて、見上げるようにして問い返す。
「それ、どういう意味ですか?」
「……ん」
つと、田賀先生の視線が睦野を捉えた。茫洋とした瞳で睦野の疑問を受け止め、そして俺を見る。
一秒。
静寂に場が支配された。
何を思ったのか、突如硬直した田賀先生は動き出し、机のファイルを漁り始める。一つ、二つと。順番に中身を改めて、ついに紫のファイルを開いたところで顔を上げた。
「あ、睦野か。睦野な。新入部員の睦野 花。すまん、名前忘れてた」
何をしているのかと思えば、睦野の名前を忘れてそれを探していたのか。もうちょっとそれらしい仕草をしてくれればいいのに。
「……で、あー、なんだっけ。漫研の話? 確か去年書かないって話になってたろ、廃部しそうだから。笠置から漫研との取り次ぎ頼み直された時点で不思議だったんだが」
「廃部」
そんな話、つい最近も聞いた気がする。そう、確か、小塚さんが――。
気になる言葉に、思考に耽りそうになる。が、それは隣からの声に遮られることになった。俺とはまた別の部分に、睦野が食い付いたのである。
「去年、」睦野の声に、ふと隣を見遣る。「去年、去年の新聞部ってどんな感じだったんですか」
顎をくいと上げて威勢良く、田賀先生を見上げる瞳は瑞々しさがあった。睦野はいっそ前屈みに、細く鋭く頼りない、針のような雰囲気さえ漂わせて、答えを求めている。
「遠賀原先輩が居なかった頃の新聞部はぐっ!」
咄嗟に襟首を引っ張って止める。今こいつは何を言おうとしたのか。
セーフ、セーフか。アウトじゃないかこれ。
焦りのままに田賀先生を観察すると、ふっと鼻で笑われてしまった。もう若くないおっさんらしい、こなれた笑み。
「あ、あの……」
おずおずと確認しようとするが、言葉が出てこない。何をどうやって確認するのか。
俺が今まで幽霊部員だったとさっきの睦野の発言で気付いてしまったのかと直接聞くわけにもいかない。『ふっ、語るに落ちたな』なんて馬鹿にされる展開になってしまう。三流刑事ドラマの後を追うなんて無様な真似をしてはならないのだ。察されているのと完全に事態が明るみに出ているのでは大きく違う。
でも、だったら、何と言えば。
ぐるぐる目を回す俺を、田賀先生は、
「ははっ」
――今度は本当に、笑った。
「おお、おお、ほらさっさと四月の掲示済ませてこい! そんで五月の掲示な! それに笠置に連絡。気が変わった。顧問と面談だって伝えてくれ」
特に何も言及されることなく、しっしと追い払うような仕草で退室を促される。まさか気付いてないのかと淡い期待が芽吹く。
が、田賀先生はさらに、声を潜めて、
「で、遠賀原のことは笠置から聞いてたから。一応。知らなかったみたいだが顧問もグルだったんだよ」
「――は?」
信じられない発言に思わず、無礼な声が漏れてしまった。
咳払いして、周りを警戒する。ここは職員室。誰かに聞かれようものなら恐ろしいことになるに違いない。
周囲に不審な様子は無かった。どうやら誰にも聞こえなかったようだ。胸をなで下ろして、田賀先生に驚愕の表情のままに視線を戻した。
「マジすか」
頷く田賀先生。
「いやでも、そんな……」
俺に見せつけるように二度、三度と頷く田賀先生にどうやら本当らしいと思い知らされる。しかし先生がグルって、つまりどういうことなんだろうと、状況を噛み砕けない俺に構わず先生は続けた。
「笠置からはな、大抵のことは聞いてたんだよ。お前のこともそうだし、今まで起きたトラブルは結構、把握してる。だけどな、今の笠置達に何が起こってるかは知らないんだよ。それを笠置の口から聞きたい」
心なしか神妙に告げる先生の表情は、子供を心配する親みたいだった。
そのまま『お前らは、笠置達の事情は知ってるのか?』と問い掛けられ、素直に首を横に振ると、肩をぽんぽんと叩かれる。
「じゃあ、笠置に面談の連絡、頼むぞ」
そう一方的に切り上げると、俺の背中をぐいと押し始めた。流されるまま質問一つできずに、俺と睦野は職員室から追い出される。
手には四月の掲示。
いろいろあったが、まずはこれを貼ることからだ。睦野と顔を見合わせ、掲示板の前に向かう。
――笠置に何と言ったものか、それをぼんやりと考えながら。
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