第5話

 『取材ノート』の『やり方』のページに纏められていたのは、質問事項の選び方とメモの取り方の二つ程度だった。

 特に部活紹介の掲示については恐らく人海戦術を使ったのだろう。部活内で食い違いが起きないように質問事項が全て定められていて、だから俺達はすぐに取材に向かってみようと思えたのだ。

「ではまず、部員の数を教えて頂けますか?」

「あたしも含めて五人っす。規則の下限ちょうどっすね」

「普段の活動は?」

「あたしは漫画描いてます。他の人達は漫画を読んでるか、一人だけはたまに簡単な漫画描いてたりしてるっすよ。月一で顧問に上げる部活動報告では、あたしとその子以外はほとんど雑なイラスト一つだけ上げてますね」

「なるほど。ちなみにそのイラストって見られますか?」

「棚にあるすよ。部員以外は持ち出し厳禁すけど、見るのは構わないっす」

「はい、ありがとうございます。――遠賀原先輩」

「はいはい俺の役目な」

 ノートにいくつかのメモを取り終えたら、立ち上がって棚から冊子を探して引っ張り出す。新入部員に良いように使われる情けない奴の図である。今更だな。これからもずっとそうだろう。

 文句を言うことも無く、月別に纏められたイラスト集を順々に眺めていく。が、

「――って、偉そうなこと言ってるけど、あたしがここに入ったの去年の末なんすけどねー」

 気になる台詞が聞こえて顔を上げた。

「去年の末? そりゃなんでまた? 元々ほぼ一年間過ごしてた部活があったんじゃないんですか?」

「まさにその元の部活でいろいろあったんすよ。てか二年す二年。あたし三年すよ?」

 さらりとそんな衝撃の事実を暴露されて目が点になる。二年の末に転部して、三年の今、一人で黙々と部活動をやっている?

 俺とは間違いなく気が合わないタイプだ。というのも、三年生というのはつまり受験生でもあり、部活動に関していくつか特権を与えられているのである。規約に最近になって追加されたそれらはわりと有名で、一部の強い支持を受けていた。特に俺のような奴にとても大きな恩恵となってくれるものなのだ。

「三年だったんですか。それは驚きました」

 三年だということには睦野にも予想外だったらしい。無意識だろう、不躾とも取れる視線で漫研の人を観察していた。

 俺も面食らったし、便乗する形で個人的な質問を投げかける。

「三年なら受験勉強って言えば確実に退部できる規約になってませんでしたっけ? 俺はそれを楽しみに今年を乗り切ろうと思ってたんですが」

 三年の特権の一つ。

 『部活参加義務』は実は以前まで三年生にも一学期の間までは適用されていた。それ以降の退部は認められていたが、この水都高校には奇妙な空気があり、退部に対してのハードルは三年にとってさえ一定の高さを誇る。

 非常に不可思議なことに、数年前までは、四割程度の三年生は卒業まで部活動を続けていたのだとか。当然毎日の参加はしていなかったらしいが、週一回程度でも蓄積すれば馬鹿にならない。月一の部活動報告にだけ参加していたというタイプの人がその当時の四割の中で一番緩い形であり、普通に部活し続けるなんて厳しい環境に身を置いて受験勉強していた猛者まで実在した、と。

 これらの噂は山入端から聞いた物だから確かとは限らないが、しかしそれとは別に、水都高校の古参教師達が似たようなことを匂わせるのも見たことがある。

 そんなクレイジーな過去の反動か、その『三年生には望めば部活動ないし清掃係から絶対に退部することが出来る』という規則は二年前に作られて以来とても重宝されてきた。

 だというのに転部を選択するのは、俺から見ると不可解だ。

「そういうルールはあるんすけどね。受験の年だから部活との関わりを全て絶とうって人間ばかりじゃ無いってだけの話っす。新聞部員君とは考え方が違うってことっすよ」

「……そんなもんですか」

 キッパリと感性の違いだと言い切られてしまえば、俺も二の句が継げない。

 微妙な表情になってしまった俺に思うところは無いのか、漫研の人の声はサッパリとしていた。

 そして、急に口元に手をかざして前屈みになったかと思うと、内緒話するみたいに小声で続ける。

「それに、実はここ、あたしが入らなきゃ廃部になってたんすよ」

「そうなんですか?」

 つられて小声になる睦野。気持ちは分かる。

 俺は近くなった漫研の人からさりげなく距離を取りながら、そのことをメモした。

 しかしどうして三人しか居ないこの部室で小声になるんだ。普通に喋っていたら隣に響くことも無いだろうに、何か精神的にひそひそ声にしてしまいたくなる理由があるのだろうか。

「そうなんすよ。去年で部活下限数ギリギリだったらしいんすけど、一人ここでも転部があったらしくて、下限数足りずに廃部しかけてたとか。そこにあたしが来て首の皮一枚繋がったって話っす」

「へへ~、ちょっぴり複雑ですね。……って、それって何か問題があるんですか?」

 抑えた声で問い掛ける睦野に、きょとんとする漫研の人。

「……問題?」

「あ、えと、何か問題があるからひそひそ声になったのかなって思って、ハイ」

 慌てて言い訳するように手を振るわせながら言う睦野に、漫研の人は苦笑で答えた。

「それは……。後ろめたいっていうか。三年のあたしが転部して入ってきたから存続した。って、何か胸を張れないんすよね。あたしは今年ずっと退部するつもりは無いっすけど、でも三年っすから」

「結果的に今年だけの臨時で転部した形になってしまったのが、身代わりか、ズルっぽく思えたんでしょうか?」

「はは……、ま、そんな感じっすね」

 そういう理由だったのか。

 少し恥ずかしそうというか、引っかかりを感じる歪な笑みで頬を掻く姿に、妙な感傷を覚える。この漫研の人は先輩で、一年上だから、三年生しか分からない感覚に悩んでいるようだ。転部という特殊な状況が重なって、言葉にし辛いものを感じていると見える。

 睦野も同じ歪んだ笑みを浮かべて何度も頷いていた――何故だ。

 当事者は漫研の人なのに、睦野までが悩んでいた。どうしてか。その理由を予想してみるに、きっと共感しているのだろう。感受性の高い奴なのだ。付き合いが短いから、それは憶測でしか無いけれど。

 転部による人員減少で廃部寸前の漫研に滑り込む形で入ってきた三年生。馴染み辛かったろうし、俺には分からない後ろめたさもあるようだ。それを睦野は感じ取っているのだろう。

 なるほど、少しずつ睦野の為人ひととなりが掴めてきた気がする。

 だがこいつこんな性格で、去年の漫研と同じく廃部の危機に瀕している新聞部に入って大丈夫なのか――、ん?

「待ってください。去年の漫研って廃部しかけてたんですか?」

 唐突に割り込んできた俺の声に、しかし漫研の人は当然のようにこちらを向いて、

「――うん? そう聞いてるっすよ」

「……なるほど」

 一度だけ首肯して、思考する。今までのどこかに食い違いがあった。あるいは認識を間違えている。何だ?

「では、流石にそろそろ、次の質問を――」

 思考に没頭しかけた俺を、仕事モードに戻った睦野の声が引き戻した。

 質問と答えを、声に合わせてメモしていく。

 ノートとペンに向かい、取材内容を聞き漏らさないよう気をつけながら、だが確実に何かが頭の隅で存在感を示していた。

 窓の外は夕闇の到来を待つように暗さを増していて、手元がほんの少しずつ、見辛くなってきている。

 そうして漫研の取材が終わる頃には、もう日が落ちていた。

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