第4話

「――ということは、漫研の空欄さえ埋めればすぐに掲示が貼り出せるってことですね?」

 作りかけの四月の掲示紙面。それは全部活の紹介の記事で、既にほぼ全ての欄は写真や紹介文章で埋められていた。

 決して手を抜いてはいなかったのだろう、しっかりとした内容。だが、そこにたった一つだけ空欄があり、そこに薄く鉛筆で『漫研』と書かれて丸で囲われていたのだ。

 その、ほんのちょっとだけ欠けているという事実が、心の隅に引っ掛かった。

 それはさておき、掲示の話だ。

「だな。ここまで詳しい部活紹介の掲示ってのは、この時期のうちの高校なら絶対に需要がある。埋まってないのは漫研の欄だけだし、運の良いことに漫研は隣だ。今すぐでも聞きに行ける」

「だったら――」

「だけどな」

 どこから取り出したのか、メモ帳とペンを片手に飛び出しかねない新入生を止める。

 まさかこんなとんとん拍子に話が進むと思っていなかったからわざと触れていなかった問題があった。そこを確認してからじゃないと彼女に動かせるわけにはいかない。

「そもそも入部するつもりなのか? この新聞部に?」

 明言を避けてきたこと。彼女が入部するかどうかということである。

 当たり前のように主導権を握られているが彼女は新入生なのだ。振る舞いはさておき部長では無い。敢えて言及しておくならば部長は笠置だ。この場には居ない。だからってなし崩しに彼女を部員として扱って良いのかというと、たぶんそれは違うんじゃ無いかと思うのだ。

 儀式、あるいは通過儀礼だ。それだけはキチッと熟しておかないといけない。

 だが、眼前の新入生の表情を見ると、聞くまでもなかったかもしれないとは思った。

「入るつもりじゃなければここまで強引に掲示作ろうとしませんよ」

 若干、怒っている。心なしか剣呑な目付きだ。怖い。

 やや慌て気味に、言い訳のように付け足しをする。

「いやな? ちゃんと認識できてるのか不安なんだが、今この部は幽霊部員の俺しか参加していないような状況なんだからな?」

 そう言ってみても手応えが無い。暖簾に腕押し糠に釘。それどころかさらに目尻が吊り上がっているようにさえ見えた。

 だが、続ける。

「これは今までの部活動の中身を知ってる奴が誰も居ないってだけじゃなくてだな。廃部の可能性も大いにあるし、何よりもペナルティを喰らうのが間違いないんだ」

「ペナルティ」

「ああ、新入生には毎年、説明があったはずだけど。清掃係に送られて、部活が選べなくなる。あそこ本当に怖いからな。しょっちゅう生活指導の竹島に監視されてるし」

 説明というか、ほとんど脅迫である。恐らく俺は、新入部員に来て欲しくないのだ。理由は、……何だろう。

 妙な気分だが、言いたいことは言った。

 それに対して新入生はといえば、

「私、新聞部が無ければ作るつもりだったんですよ」

 そんな風に語り始めた。

「だけどいざ入学してみると新聞部が元々あって、嬉しかったんです。私のやりたいことは、私だけがやりたいことじゃなかったんだって。掲示は去年の物でしたけどしっかりしていて、ああ、私が入る部活はここなんだって。もう、決めちゃってたんです」

 力説する姿には奇妙な魅力があって、その真っ直ぐさには思わず見とれてしまう。

「なるほどな」

 言葉よりも振る舞いに、説得力があった。

 今までの彼女の言動の全てに、溢れんばかりの決意が満ちていたように思う。俺を置いてけぼりにするぐらいには、確実に。

 つまり彼女はあの掲示を見て、それを作った彼らとの活動を夢見てしまったんだろう。彼らと共に紙面を作れるのなら、きっと充実した学生生活になるだろうと。そんな風に希望を持ったのだ。

 だからこそ、現状は切ない。

 彼女の入部する意思は堅いようだ。一歩も引くつもりが無い気迫を感じる。それほどにここで部活動をしたいのだ。

 だが、今ここに居るのは俺一人だけ。あの掲示を作った奴らは全員、居ない。

 その不運さ、空回り加減には同情を禁じ得なかった。だからだろうか、俺も血迷ってみてもいいんじゃないかと、そう考えてしまったのだ。

「じゃあ、仕方ないか。顧問に入部届貰いに行くか?」

 このやる気満々の悲しい新入生が満足するまで、付き合ってやるかだなんて。普段じゃ絶対頭の片隅にも過ぎらない思考が、俺の舌を動かした。

「――はいっ!」

 心底嬉しそうに首肯する彼女の姿に、こっちの気分まで晴れていく。

 『性格からして、お前さんは結局押し切られてその新入生に上手く使われそうだからな』と言う山入端の声が、思い出された。


 ★


 話は戻って。

 田賀先生に入部届を提出した新入生と、四月の掲示の話である。しょうもない話だが、新入生の名前をここで初めて知った。入部届に書いてある名前を見るまで忘れていたが、まともに自己紹介さえしていなかったのだ。二人とも、互いの名前一つ知らないという体たらく。そのことに俺は気付いてさえいなかった。

 ちなみに新入生の名前は『睦野むつの はな』というらしい。

「じゃあ、四月の掲示の話だけど、まずは今までの取材のやり方を調べたいから、バックナンバーなんかで調べてからにしない?」

「構いません。って、やる気になってくれたんですね」

「そりゃーなぁ」

 流石に俺もこの後に及んで幽霊部員根性を発揮しては居られなかった。四月の掲示をするつもりなら、せめて明日――十五日までには貼り出しまで終わらせておかないと格好が付かない。

 田賀先生にも幾つか報告と質問をして確認を取ってある。どうやら笠置はある程度連絡をしているらしく、今月の掲示が全部活の紹介だということも先生は知っていた。それに滅多に顔を合わせたことのない俺のことも覚えていてくれた。素晴らしい顧問である。

 だが、掲示するならやはり早い方が良いらしく、漫研の取材だけ済んでいないと言うと出来れば明日までに何とかしてくれと苦言を呈された。どうやら流れは予測されていたのか、笠置から話だけが通っていたのか、漫研への取材は向こうも承知しているとのことである。

 それで睦野新入生と二人で部室に戻って、プチ会議をしている。

「そういえば先輩、棚を見ていたらこんな物がありましたよ」

 睦野が取り出したのは『取材ノート』だった。

「おお、笠置達の使ってたノートか」

「はい。バックナンバーよりこちらの方が役に立ちそうです。で、気になったんですが。漫研の取材欄、『取材・掲載の拒否』と書かれているんですよね。本当に訪ねても大丈夫なんでしょうか?」

「……ん?」

 顧問の田賀先生では取材については話が通っているんじゃなかったか? 食い違いが気になるが、しかし、四月の紙面の漫研の欄が空白だったこととは合致している。

 奇妙な話だ。

「ま、田賀先生が話は通ってるって言ってたから大丈夫だろ。断られたら断られたでそのとき考えたら良い。漫研は隣で近いしな。で、取材ってどういう風にやって、何を聞いて紙面に載せてる?」

「自分で確認してください」

 ぺっと、机のこっち側にノートが投げ渡された。随分遠慮が無くなったものだ。けほけほ恥ずかしがっていた昨日の睦野に戻って欲しい。

 それはさておき、言っていることは正しかった。素直に従い、ノートを自分で開く。お世辞にも綺麗とは言えない字が綴られているのを大雑把に眺めてみた。

 黙々とページを捲り続けて数分。

「ふーん」

 そこまでページ数は多くなかったので、意外にささっと読み終われた。

「分かりました?」

 睦野が問いを投げかけてくる。が、どうやら本気で聞いてる感じでは無さそうだった。というのも、わりと流し読みしただけでも分かりやすい内容だったのだ。

「だいたい。じゃあ、確認することも無さそうだし、行くか」

 『取材の仕方のまとめ』というページもあったおかげで勘違いしようもない。今までのやり方は分かった。いつの間にか五時を過ぎているし、漫研は隣なのでこのまま訪問してもいいだろう。

「はい。じゃあ質問はどっちがします?」

「やりたくないな。ノートにメモする役の方が楽そうだ」

「分かりました、なら私がやります。一応私もメモぐらいしますね」

 簡単に確認をすると部室を出た。

 とは言っても漫研は隣だ。

 一息だけ吐いて、睦野と頷き合う。

 ――コンコン、と。ノックは俺がやった。

 がたがたと中から反応があって、扉は直ぐに開いた。

「どちら様っすかー?」

 顔を出したのは、まさかの女子だった。意外も意外である。漫研なんて眼鏡チェック柄の男子がデュフフしてる場所だと思っていたが、女子も居るのか。

 驚きながらも、

「隣の新聞部から取材に……」

 なんて答えながら部室の中をそっと覗き見る。

 ――人影が無かった。

 見えない場所に隠れているという感じでも無い。正真正銘、誰も居ないようだ。

「……一人?」

 思わず、途中で台詞を質問を変えてしまった。

 部室にたった一人。そんな奴がつい最近どこかにも居た気がする。というか昨日の俺だ。そんな俺みたいな奴が俺以外に居たことにビックリ仰天驚天動地で、つい「一人?」なんて聞いていた。

「そっすよー。他の部員はぶっちゃけやる気無いっすからねー。で、新聞部さんなんすか?」

「あ、ああ」

「だったら入ってくださいな-。部活紹介の掲示っすね、聞いてるっす」

 招き入れるままに部室に入る。正直、未だに驚愕から立ち直っていないが。睦野の方もそうらしく、黙っていた。

 それにしてもこの漫研の女子、妙な髪型をしている。襟足と左側の髪だけそこそこ長いのだが、よく見ると垂れ下がる長い髪の内側は刈り上げてあるようだ。それを伸びた髪が隠す形になっている。前髪も左側だけ長く、片目に重なって視界が塞がれていた。右側の髪は、そちらだけ見ると至って普通の髪型になっているのだが、そのアシンメトリーには何とも言えない怪しさがある。

 不便なところの多そうな髪型だが、確かにその風変わりな姿には引力があった。戸惑いが先立つが、これも一種の魅力なのだろう。個性的な外見の割に制服はキッチリと着こなしているし、不釣り合いさをコンセプトにしたファッションなのかもしれない。

 と、放心している場合では無かった。

 用意して貰った椅子に座って深呼吸する。女性特有の甘い香りが微かに鼻腔をくすぐるが、理性で以て遮断。

 ノートを取り出して、机に置かせて貰った。そして、頭を下げた。

「こんな部員勧誘の大事な時期に申し訳ない。実はうちの部活、四月の掲示まだ完成してないんですよね。先生に明日までに完成させろってせっつかれちゃって、アポイントメント? も無しですが、取材、受けて貰えませんか?」

「だいじょーぶっすよー。かなり前に顧問通してメールで話は来てたっすから。っつっても、部員があたししか居ないのは許して貰いたいところっすけどね。日にちも言ってて貰えれば首根っこ引っ掴んで連れてきたんすけど」

 あっけらかんと快活な笑顔を見せる彼女に恐縮する。

「いやいや、十分です。期限やばいんでお一人でもホントに助かります。っていうか、こっちも一人みたいなもんなんですけどね。隣の……睦野っていうんですけど、実は新入生で。部員と言えるのは俺だけなんです、ははは」

 愛想笑いを浮かべて睦野を軽く紹介してみた。あまりにも慣れないことをしているせいで、全体的に動きが堅い。喋りながらも頭の中ではぐるぐる、次に何を言うかを考えて、自然な流れを必死で模索していた。

 こういう取材を笠置達はずっとやり続けていたのだろうか。存外、凄まじいことだったようだ。

「えー、もう新入生来てるんすか!? 珍しいっすね。ねね、睦野さん。ってことは睦野さんはもう新聞部に入るって決めてるんすかー?」

「あっ、はい」

「じゃーお隣さんっすね。よろしくっす!」

 握手を求められておずおずとそれに応える睦野を横目に、俺は一息吐いた。矛先は睦野に向いた。

「でもこの時期に入部決めてるってことは元々新聞部に入るつもりだったってことっすよねー? なんでなんすか? 普通このぐらいの子って新聞とか全然読まないと思うんすけど。ねっ、切っ掛けは?」

「エ!? え、え、あの。えと、私ノンフィクション小説が好きで……」

「ふんふん」

「それでそういう作家のエッセイとか読むと――」

 そのまま何故か逆に質問攻めに合い始める睦野から意識を外して、周囲を観察してみる。

 漫研、その部室。

 さして広さの無い空間に配置されているのは、本棚が二つと、作業用っぽい妙に傾いた机が一つ、それと俺達が今座っているいくつかの椅子と大きめの机。それだけだった。棚に並べてあるのは『武装キャラの描き方』だとか『背景資料集1――学校編』だとかで、漫画は置いてない。

 おかしい。

 実は俺は入学当初、この部活に入ろうかと思って見学に来たことがあった。ひたすらに『楽な部活』を探していた俺は、一度だけだがこの部室にも入ったことがある。そのときのうろ覚えの記憶と現在の姿が一致どころか掠りさえしていなかった。同じなのは部屋の広さと棚の数ぐらいだろう。

 棚には漫画が並んでいて、ああいう資料集みたいな物は置いてなかった。同じ趣味の集団が好きな漫画について語るおしゃべり同好会の印象だったし、この人みたいに籠もって漫画を描くような人は居なかったはずだ。確か月一で電子メールでイラストを顧問に送って部活動の証明にしている、この学校では写真部に次ぐ緩さの部活が漫研だった。

 意識を二人の方に戻してみる。

「――それで、新聞部に意気揚々と飛び込んだんですけど、居たのはこの人だけで。しかもこの人パイプ椅子たくさん並べてその上に寝転んでたんですよ! 私ノックしたのに! ノックしたのに!」

「わあダメ人間すねー。殴っちゃえ殴っちゃえ」

「え、何いつの間に俺の話。てか煽らないでください何言ってんですか」

「えいやっ!」

「いや痛い。なぜ殴った」

 ちょっとぼけーとしてる間にヒートアップしていたらしく、拳を握って熱く叫ぶ睦野とそれを煽る漫研の人に面食らった。そんで殴られた。

 これが女子パワーか。……なんだ女子パワーって。

 このままだと一時間ぐらい喋り込んでしまいそうな気配がある。そして何か三回ぐらいは殴られそうだ。初対面から睦野には猪突猛進型の影がちらついていたが、つまりこの新入部員は熱くなりやすいのである。今わかった。この新入部員、わりと危険物っぽい。

 強引に話を引き戻さなければならない。なおも鼻をふんすと鳴らす睦野の頭を、机のノートでぽんと軽く叩いてやった。落ち着けと。

「痛っ」

「俺も痛かったから、頭を冷やしてくれ。睦野、掲示のこと忘れてない?」

「――ああ」

「ああじゃねえよ」

 ふぅー、と一つ、溜め息を吐く。そして漫研の人も一度睨んでおいた。

「そっちもそっちで焚き付けないでやってください。どうやら被害受けるの俺っぽいですから」

 注意喚起をしておく。けれど、この漫研の人、そんな俺を見て愉悦の笑みを深くしていた。

 嫌らしい笑みだ。捕食者、という単語が脳裏に浮かぶ。

「いっすねいっすね。ね、漫画描けたら見せに行きますねー!」

「何の話ですか」

「それは後のお楽しみにー」

 嫌な予感しかしない。漫画にする気か?

 が、この際それは良い。いつのまにか結構時間が経っている。話を本題に戻そう。

 横の睦野に視線を遣って、

「じゃあそろそろ時間も無くなってきましたし、取材をしても?」

 睦野も頷き、

「お願いします」

 と続ける。俺は安堵の息を短く吐いた。

 漫研の人も特に異論は無いらしい。「はいよっすー」と気の抜けた返事を聞いて、睦野が口を開いた。

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