第2話

 結局新入生との対面は無理矢理中断し、その日はお開きにした。

 そうして次の日の放課後を迎えて、俺は机に突っ伏して呻いている。

「あー怠いなクッソかったるい」

「お前さんは今日ずっとそれなのな」

「やかましい」

 隣の友人に口を挟まれたが一蹴した。俺には余裕が無い。軽口一つ捻り出すのも一苦労なのだ、呻くだけの仕事しか出来やしなかった。

「面白いもんだけども。お前さんが部活のことで悩むことになるなんざ一年ちょっとあっても初めてだろう?」

「ああ」

 隣の席に横向きに座る俺の数少ない友達の一人。山入端やまのは たける。百八十にも届こうかという高身長で胸板も厚く、目付きも鋭いという厳つい男だ。

 山入端とは去年同じクラスだったこともありそこそこ喋る。最初は外見でびびっていたものだがもう慣れてしまった。喋り方がちょっと変な上に見た感じ怖い山入端も、遠慮無用で喋れる奴には事欠いているらしい。しかも携帯を持っていないという希少な存在である。遠巻きにされていて人付き合いに飢えていたのだとか。そういうわけで俺達は友達になったのだ。

 結果、こいつには俺も大体のことは喋れるまでになっている。

 昨日の一件もわりと話題にしてるし、俺の幽霊部活動についても知っていた。

「性格からして、お前さんは結局押し切られてその新入生に上手く使われそうだからな。頑張ると良いぞ、応援してるからな」

「いーやーだーなー」

「どうせ逃げ場は無いだろうに。部活に行かなければ俺と同じ清掃係だぞ。こちらとしては歓迎だがそれで構わんのか?」

「それの方が嫌だわ。あー仕方ないか。仕方ないんだろうなー」

 散々喚いた挙句、ようやっと机の横に掛けてあった鞄を取って腰を上げる。

「行くのか?」

「おん」

「気の抜けた鳴き声だな。犬かお前は?」

「犬になりたい」

「頑張ってこい」

 全く気は進まないが行くしか無いようだ。重い足取りで部室に向かう――と、その前に掲示の確認をしなきゃいけなかった。


 ★


 職員室前の壁に掲示板はある。

 得体の知れない緑色の柔らかい材質で出来た長方形の板。そこに画鋲でいろんな掲示物が貼り付けられていて、節操が無い。点々と空いた画鋲の穴を何となく撫でながら目的のものを探していた。

 途中で白い廊下に一本だけ画鋲が落ちているのを拾ったり、外で大きな声が聞こえて窓の外に目を遣ったりしつつ、何とかそれを見つけた。

 新聞部の紙面。

 まずは新入生の言っていた日付を確認すると、去年の三月になっていた。三月なんて二週目から春休みだったろうによくやるものだ。ちょっと感心しながらさて内容はと視線を移そうとしたとき。

「お?」

 左から声が聞こえた。

 何事だと横目に見てみるとそこには山入端が居た。さっき別れたばかりの奴である。ちょっと気まずい。というか、

「なんでここに居るんだ?」

「そいつはこっちの台詞だろうに。お前さん部活は?」

「言ってただろ掲示の確認だって。あと鍵」

「おお、なるほど。そういえば」

 喋りながら隣にまで歩いてきた。そのまま俺の見ている紙面を眺める。

 紙面の内容は至って普通だ。当時の来年、つまり今年に変化すること――転勤になる先生だとか廃部予定の部活だとか――について簡単に纏めてある。それと去年自体の纏め。無難に年度の境らしい記事で、特徴的なところは無かった。

「別に新聞部員が集まらなくなった理由とかは書いてないようだな。廃部予定の部活に新聞部が書いてあるってことも無い。そもそも廃部予定に書いてあるのは書道部だけだ」

「内容も一年の流れと来年についてー、って感じなだけで特徴無いか。なんでこんなもん見て新入部員希望者が現れるんだろ」

「そりゃお前さん、その子はジャーナリストを夢見る少女とかなのではないか?」

「マジかー俺は自宅警備員を夢見てるんだけどなー。巻き込まれるのは困るんだが」

 掲示を前に雑談する。中身の無い会話だが、高校生なんてそんなもんだ。中学生のときもそうだったしずっとこんな感じなのかもしれない。

 山入端は山入端で、こういう風に時間を無駄にするのに忌避感は無さそうだった。

 そういえば山入端もここに来た理由があるはずだ。ふと気になって質問してみる。

「ってかお前はなんでここ来たんだ?」

 聞けば、山入端は『ん?』と首を傾げて、

「言ってなかったか。清掃係の仕事だよ。田賀先生から頼まれ事があるらしくてな。多分力仕事だろう」

「完全に雑用じゃねえか。相変わらず清掃係ってば妙なところだよなボランティア組合かよ」

「慣れれば気にならん」

「それに田賀先生って新聞部の顧問の人だな。まあ関係ないだろうけど」

「まだちゃんと内容を聞いたわけではないが、確かに部活に関係ある仕事では無さそうだったな」

 つまり、新聞部員に何が起こったのか、その手がかりは無いということだ。少し残念だが、特に期待していたわけでもなかった。本気で知りたかったらメールなり電話なり、果ては直接訪問するなりで事情は聞けるわけだし。

 収穫無しか。いよいよ部室に行きたくなくなってきた。何かしら手土産になる話題があればと思っていたのだが、この体たらくでは気が滅入って仕方ない。

「そろそろ俺は行こう。お前さんは?」

「もう少しだけここで考え事してく」

「そうか。部室には早めに行ってやれよ。いくら何でも新入生がかわいそうだからな」

「ああ」

 そう忠告して去って行く友達の背中を見送る。

 職員室の扉の奥に消える山入端の勇姿に敬礼して、一つ、溜め息を吐いた。憂鬱だ。

 そのまま動く気にもなれず、壁にもたれてぼーっとしてみる。流石に掲示板は肌触りが悪い。窓の外からは、グラウンドで叫ぶ運動部員の声が届いていた。

 ――帰りたい。

 純粋にそう思った。俺は我が家が好きである。そして学校はあまり好きでは無い。だからしょっちゅうホームシックになっていた。

 これは発作的なものだが、だからといって理性で抑えつけるべきとは限らない。『ついカッとなってやった』と聞けば犯罪臭がするけれど、衝動に身を任せなければ躊躇してしまって脚が止まってしまうという場面もたくさんある。今だってそうだ。今すぐに帰らないと帰るタイミングを見失ってしまいそうだ。

 よし帰ろう。もう帰ろう。

 先ほど山入端に釘を刺されたばかりだが、そんなことはどうでも良い。もしかすると山入端は俺が帰りたがることを予測済みで一言残していったのかもしれない。その可能性はあるけれど、知ったことか。

 掲示板から離れて下駄箱に向けて歩き出す。新聞部に待機する仕事は放り投げる形になるが、仮病でも使って誤魔化そう。帰りたいときに帰る。それは尊い行いなのだ。

 ――だが。

 帰路に着こうとしてどれぐらい踏み出した頃だっただろうか。廊下の対面側から人影がぬうと現れた。

「げっ」

 下駄箱から職員室方面へ、ぺたぺたとスリッパに慣れない足取りでやってくる新入生。そう、昨日新聞部にやってきたあの、新入生だった。

 幸い床を見ていてこちらには気付いていない。何とかそのまま顔を上げないでくれと祈りながらすれ違おうとして、しかし彼女は顔を上げた。

「――あ」

 気付かれてしまった。

 そのまま新入生はぺたぺたと近寄ってくる。

「遠賀原先輩、部室の鍵持ってきてくれたんですか?」

「い、今から、取りに行く、ところだった」

「そうなんですか?」

 俺のにある職員室の扉を見て首を傾げる新入生。やめろ、その矛盾に気付くな。

 願いも虚しく、新入生は扉と俺を二度見比べていた。これは確実に気付いている。そして新入生はニコッと笑みを見せた。手の平から発汗する。

「じゃあ、行きましょうか先輩」

 有無を言わさぬ力強さを感じた。何が彼女をここまで駆り立てるのか。

 いっそ現実逃避として朦朧とし始める意識の片隅で『抵抗は無駄だ』という文字が自己主張している。

 勝手に引き攣る口元を力無く動かして、俺は新入生に従った。

「……かしこまりました」

 クスリと可愛らしく笑う新入生に、苦手意識が芽生えているのを自覚する。

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