殺人者はそこにいる『ロートレック荘事件』筒井康隆 著
『ロートレック荘事件』プレビュー
「
「いえいえ」僕は両手を振って、「面白い話が出来て、僕も楽しかったですし……」
相手が鋭一さんでなく、谷藤さんだったら、もう何倍も楽しかったんですけれど。などとは言えるわけがない。そんなことを考えていたら、
「あー、私も永城さんと『リラ
谷藤さん、そんなことを言いながら微笑んできた。
そ、そうですか? じゃあ、今からでも遅くないんで――と僕は口に出しかけたが、それよりも一瞬早く谷藤さんが、
「ですから、永城さん、今度は私と、こっちの『荘』について語りませんか?」
と、レジの下から一冊の文庫本を取り出して自分の顔の横に掲げた。
「そ、それは?」
僕の問いかけに谷藤さんは、もう一度微笑みながら、
「
「えっ? 筒井康隆って、あの筒井康隆ですか?」
「はい。SF作家の筒井康隆です。世代を超えて読み継がれている『時をかける少女』はあまりに有名ですよね」
「その筒井康隆がミステリを?」
「そうなんです。何作か書いています。一番有名な筒井ミステリは実写ドラマ化もされた『
~あらすじ~
幼少の頃、事故により下半身の成長が止まってしまった
その翌日の早朝、ロートレック荘に二発の銃声がとどろき、宿泊者のひとりの射殺体が発見されて……。
「……なるほど。ひとつの館で事件が起きる、これはいわゆる〈クローズド・サークル〉ものということですか」
「いちおう、タイトルにもなっている、ロートレック荘が物語のほぼすべての舞台となりますが、このロートレック荘は別に嵐などで世間と分断されたりはしません。ですから、厳密には〈
「そこのところは『リラ荘殺人事件』と同じですね」
「ええ。関係者が館に留まり続けるのは、もともとそこに逗留するつもりだったからと、事件の重要参考人のため警察に要請されて、という、そのあたりの事情付けも『リラ荘』と似ていますね」
「なるほど。SF作家が書くミステリと聞いて、もっと特殊なものを想像していたんですけれど、予想に反した本格派のミステリみたいですね」
「はい。SF的な設定や、オカルトなど一切出て来ない。ガチガチの本格ですよ。そして、この『ロートレック荘事件』、内容と関連した特徴があるんですよ……はい」
谷藤さんは、掲げていた文庫本を差し出して、僕が受け取ると、
「表紙をめくってみて下さい」
「どれ……あ、絵が」
「そうなんです。本作品の舞台である〈ロートレック荘〉は、フランスの画家、トゥールーズ=ロートレックの作品を多数所蔵してあるという設定になっていまして、その、作中に登場するロートレック作の絵画を実際に掲載しているんです。口絵にだけではなく、ストーリーが進むにつれて出てくる他の絵画も、その都度掲載されていますよ」
「へえ」
「この絵が事件の謎解きに関係してくるということはないのですが、みな作中に実際に登場する絵画なので、登場人物がこの絵を眺めながら会話をしている場面などが出てきたとき、どんな情景なのかを頭に思い描きやすいという利点がありますね」
「なるほど」
「さらに言えばですね、登場人物については、どんな容姿をしているかは読者が想像するしかなく、その点で全ての読者はフラットですけれど、既存の絵画や風景、建築物などが出てくる場合はそうではありません。それを知っているかいないかで、読者によって思い描ける情景に差が出てきてしまいます。いわば、読者個人の持っている知識によって、読書体験に差が出てしまうということですね。この実際の絵画を収録するという試みは、その読者間の知識格差を埋めるという効果もあるんです」
「ああ、確かに、有名な絵画や演劇、映画なんかを持ち出してきて、『お前ら、当然こんなものは常識として知ってるよな』みたいな感じで平然と話題にして話を進めるような、鼻につく小説とか、たまにありますもんね。そういうものに接すると僕、『こんなことも知らないような浅学な人間はこの本を読むな』と疎外されているようで悲しくなってしまいます」
「分かりますよ。今回のこの『ロートレック荘事件』は、さっきも言いましたがロートレックの絵画が謎解きに関係してくることはないのですが、私は、作品を読むさいに、ある特殊な知識が必要とされる場合、その知識というものは、その作品を読む読者全員がなるべく共有した状態で読まれるべきだと思います。
小説ではありませんが、ノンフィクションや対談集なんかでは、専門的な話題や単語が出ると、その都度注釈が付いて詳しく解説してくれていますよね。あれこそ知識の共有を果たすためのもっとも典型的な例と言えるでしょう」
「ええ、ものによっては、注釈だけで章ひとつ分くらいのページを使っているものもありますね」
「それくらい、書く側と読む側で知識の共有は大事だということですね。いかがですか永城さん。『ロートレック荘事件』興味を持っていただけましたか?」
「あっ、はい。もちろんです。読みたくなりましたよ。買います」
「まいどありがとうございます」
谷藤さんは微笑みながら、僕が差し出した本を受け取った。またいつもの華麗な手さばきでカバーをかけられた本を受け取って、僕は谷藤屋をあとにしたのだった。
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