これは読むべきではあるマイカ『私の嫌いな探偵』東川篤哉 著
『私の嫌いな探偵』プレビュー
「こんにち……うぉっ!」
いつものように
「……」
僕の目の前に猫がいる。が、ただの猫では当然ない。猫の一匹や二匹が書店内にたむろしていたくらいで、大の大人がこんな奇声を発してしまうわけがない。
それは、猫と呼ぶにはあまりに巨大だった。あまつさえ、直立二足で立っている。
「き……着ぐるみ……」
僕は、目の前に立つ、身長一メートル半は優に超える巨大猫の正体を見破った。直立する猫の胴体の上に乗っている頭部は、体に比率してあまりに大きい。首のところではっきりと分割線が見える。間違いない、これは人間が
「着ぐるみじゃないニャ」
くぐもった声が聞こえた。間違いなく猫の頭部の中から発せられたものだ。
「私は、谷藤屋のマスコット、猫のテリーだニャ!」
猫はそう言うと同時に右手を上げた。ミトンのようなグローブ状の手の平には、ちゃんと肉球らしい模様も描いてある。
「て、テリー?」
聞き返すと、猫の頭部がカクカクと前後に揺れた。首肯しているのだろう。
改めてテリーと名乗った猫の着ぐるみを眺める。白を基調に所々、黒と茶色の大きな斑点が描かれている。三毛猫という設定らしい。
「……谷藤さんですか?」
「え? ニャ?」
「中に入っているのは、谷藤さんですか?」
「し、失敬ニャ! この手のキャラクターに対して、その質問は禁句ニャ!」
巨大な三毛猫、いや、テリーは両手を腰に当てた。どうやら怒りの感情を表現しているらしい。
「す、すみません……」
ここは空気を読んで謝っておこう。だが、猫の中身が谷藤さんであることに疑いはないと思われる。背丈もそのくらいだし、頭部の中でくぐもって聞き取りづらいが、発せられている声は間違いなく女性のもので、谷藤さんの声によく似ている。
「し、しかし、どうしちゃったんですか、たにと――いや、テリーさん。これ、お店で作ったんですか?」
中の人の名前を言い掛けて慌てて訂正した僕は、突如として現れた、谷藤屋のマスコットと名乗る三毛猫テリーの素性に疑問を投げかけた。
「私はメスニャ」
「は? ああ、性別のことですか。確かに、遺伝的に三毛猫は、ほぼ百パーセントメスだと僕も聞いたことがあります」
「加えて、私は未婚ニャ」
「ミコン……ああ、結婚していないという未婚、ですか。それがなにか?」
「私のことを、未婚女性の敬称を付けて英語で呼んでみるニャ」
「未婚女性の敬称……。ミス、テリー……あ」
僕が言うと、
「そう、ミス、テリー。すなわち……ミステリー」
テリーは小刻みに体を震わせた。頭部の中から、「くっ……くっ……」という、明らかに笑いを噛み殺した声が漏れている。
どうしちゃったんだ、谷藤さん。何か腐った食品でも食べてしまったんだろうか? 心配になってきた僕が、キャラクターの掟を破って、谷藤さん、大丈夫ですか? と声を掛けようとしたところに、
「ということで、今日お勧めするミステリは……」と、テリーは本棚まで歩いて行き、「これニャ!」
ミトンのような手袋をしているため四苦八苦しながら、棚から一冊の文庫本を抜いて、僕の目の前に突きだした。
「
「い、今までで一番、本の紹介に入るまでが長かったです!」
「本作は五篇からなる短編集ニャ。その中から、『
~あらすじ~
関東地方の海沿いのどこかに確実に存在する街、
「……何ですか、この〈ゆるキャラ探偵〉って?」
「そのものズバリだニャ。剣崎マイカは、その名の通り烏賊の姿をしているゆるキャラなんだニャ」
「えっと、この作品のシリーズ探偵は、あらすじにも出てきた鵜飼杜夫じゃないんですか?」
「その通りニャ。東川篤哉の〈烏賊川市シリーズ〉の探偵は確かに鵜飼ニャ。でも、この『烏賊神家の一族の殺人』だけは、ゆるキャラ探偵剣崎マイカが探偵役を務めているんだニャ」
「……ゆるキャラ繋がり? それだけの理由で? この本をお勧めしたんですか?」
「それだけでは当然ないニャ! 東川篤哉こそは、本邦ユーモアミステリの旗手。他には真似のできない、真似のしようのないギャグ満載のミステリでファンの心をがっちりと掴んでいるニャ。だがしかし、ただの〈お笑いミステリ〉と侮るなかれニャ。作品のどれにも、魅力的な謎と鮮やかな解決が骨子としてある、間違いない問答無用の本格ミステリニャ!」
「わ、分かりました。じゃあ、今日はそれを下さい」
「お買い上げ、ありがとうございますニャ」
谷藤さん――じゃなかった、テリーは文庫本を持ってレジの向こうに回って会計を済ませると、レジの下から取りだした紙袋に本を入れて僕に差し出した。さすがにあのミトンのようなグローブでは、いつものようにカバーを掛ける手さばきは発揮できなかったようだ。
僕は巨大な三毛猫テリーに見送られて、谷藤屋をあとにしたのだった。
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