『幻獣遁走曲 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート』ネタバレありレビュー

谷藤たにとうさん、噂の猫丸ねこまる先輩、十分に堪能しました」


幻獣遁走曲げんじゅうとんそうきょく 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート』を読み終えた僕は、さっそく谷藤屋を訪れた。


「楽しんでいただけたようでよかったです。猫丸先輩、素敵でしたよね」

「素敵? ええ、まあ、面白い人でしたね。でも、谷藤さんが言っていた、『日常の謎には、探偵のキャラクター性が欠かせない』といるのはわかった気がしましたね。収録作品は、一件だけ刑事事件に発展する窃盗がありましたけれど、誤解を招く言い方になっちゃうかもしれませんが、あとは全て他愛のない勘違いや思いのすれ違いですよね。確かに殺人というヘビーな犯罪を相手にする殺人事件と比較すると、緊張感が薄れます。でも、そこに猫丸先輩という名キャラクターが関与することで、俄然読もうという力が働いて、読者を引っ張りますね」

「まさにその通りです、永城さん。しかも、猫丸先輩は、こういった日常の謎ばかりではなく、他作品ではがっつりと殺人事件などの凶悪犯罪に関わって、そこでも名探偵ぶりを発揮しています。ガチで犯罪と戦う名探偵が、たまにこうして、のほほんとした日常の謎を解き明かすというのも、緩急がついて探偵の魅力になるんです」

「ああ、わかる気がします。ヒーローの日常って感じで、ほのぼのとしますね。作品全体からも、そういう空気は感じ取られますね。『猫の日の事件』の窃盗犯を別にすれば、収録されたどの作品にも、悪意を持った犯人や人物って出て来ないんですよね。『幻獣遁走曲』の鬼軍曹にしたって、自分の中のロマンに忠実な、ある意味純粋な人ですし」

「そうですね。日常の謎って、普通のミステリにおける犯罪と違って、悪意ではなく善意が曲解されて謎と化してしまうというのが多いですね。『たたかえ、よりきり仮面』の犯人である少年も、よりきり仮面を助けようとしたために行動を起こしたのですし、『トレジャーハント・トラップ・トリップ』で茂美しげみさんが松茸を拝借したのも、旦那さんの期待に応えようとダイエットするためというのが理由で、非常にかわいらしいです」

「善意の犯行動機、ですか。そういうのもいいですね」

「読者も作家も、ミステリにもリアリティを求めるようになってきたため、民間探偵を活躍させるのに、日常の謎はうってつけの舞台だということは、この本をお勧めするときにも言いました。それをさらに解釈するとですね、リアリティ重視にするから、じゃあ、探偵をそのまま警察官にスライドさせるだけでいいのか、という問題は残ります。およそ警察官など務まらないであろう奇人変人、もしくは年齢的に無理な少年少女。そういったキャラクターたちを名探偵として活躍させたい場合は? といった場合です。だから作家は、リアリティのある世界観の中でも、奇人変人や少年少女探偵が活躍できる場所を求めた。その舞台が〈日常の謎〉だったというわけです。リアリティの観点から見ると、もうひとつ、名探偵の周囲で非日常的な殺人事件が頻発するっていうのも、おかしな話ですからね」

「なるほど。そう考えると、日常の謎は、名探偵最後の楽園なのかもしれないですね」

「この『幻獣遁走曲 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート』は、一九九九年に発刊されています。一本目の『猫の日の事件』が雑誌掲載されたのは、さらに遡って一九九五年なんですね。〈日常の謎〉を扱ったミステリって、本作が最初というわけではもちろんありませんけれど、こういった作品は、九十年代から増え始めて、いまや一大ジャンルを形成するまでになりました。読者が、日常の謎というスタイルを受け入れて、歓迎したからです。そうした人たちの中には、もちろん従来のミステリファンも多いでしょうけれど、新しいファンもついたのだと思うんです」

「日常の謎、専門のファンっていうことですか?」

「そうです。不可解な謎が、快刀乱麻を断つが如き名探偵の推理で解かれていく。そういった知的興奮は大好きだけれども、殺人事件なんかの血生臭い事件は苦手。そう感じていた人が多かったのではないでしょうか」

「なるほど」

「だからですね、日常の謎が好きな人って、やさしい人ばかりなんじゃないかなって思うんです」

「やさしい人、ですか。それは言えるかもしれませんね。〈日常の謎〉の中では、この作品みたいに、人が死んだり傷ついたりしないことはもちろん、事件自体も、純粋な善意や、些細なすれ違いが〈犯行動機〉となって起きるものが多いでしょうからね」

「そうです。永城さんは、日常の謎、お好きですか?」

「えっ? そ、それはもちろん、好きですよ」

「そうじゃないかと思ってました。私もです」

「あっ、ぼ、僕も、谷藤さんはそうじゃないかなって思ってました」

「本当ですか。気が合いますね、私たち」


 谷藤さんは、にこりと微笑んだ。


「そっ、そうですね……。じゃ、じゃあ、僕はこのへんで……」


 谷藤さんの笑顔をまともに見られないまま、僕はドアをくぐって帰宅したのだった。

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