『私の嫌いな探偵』ネタバレありレビュー

 ……やはり、いた。

わたしきらいな探偵たんてい』を読み終えた僕が谷藤たにとう屋を訪れると、猫の着ぐるみ、いや、三毛猫テリーがそこにいた。


「谷藤さん――いえ、テリーさん」僕が〈中の人〉の名前を呼びそうになると、テリーが、じろりと睨んできた(着ぐるみだから、そう感じた、というだけの話なのだが)ため、僕は言い直して、「読みましたよ、『私の嫌いな探偵』面白かったです。こういうミステリもありですね」


 するとテリーは腕を組み、そうだろう、そうだろう、というふうに大きな頭を前後に揺らして、


「その通りニャ。〈ユーモアミステリ〉なんて言うと、軽く見られがちだけれど、文章だけで人を笑わせるって、泣かせるよりも余程難しいニャ。泣かせようと思って書かれた作品は、ほぼ狙った全員のツボに入るけれど、笑わせようとした作品というのは、そうはいかないニャ。〈泣き〉と違って〈笑い〉のツボっていうのは、人によって全然違うからニャ。しかも、泣き作品の場合、作者の狙い通りに泣かなかった、〈泣き〉のツボに入らなかった読者でも、『ああ、いい話だね』って好意的に捉えてくれることが多いのに対して、〈笑い〉のツボが外れた読者はそうはいかないニャ。『つまらない』『スベってる』『センスがない』と散々ニャ。人は笑いに対して厳しいニャ」

「うーん……確かにそうかもしれませんね。コメディアンに対しても、人って好みがはっきりしてることが多いですものね。ある芸人さんは大好きでも、違った芸風の芸人さんはアンチといっていいほど大嫌いとか、そういう人は多い気がします」

「そうニャ。それでもデビュー当時からずっと〈ユーモアミステリ〉を書き続けている東川篤哉ひがしかわとくやは偉いニャ。さらに、ただ笑わせるだけじゃなく、本格ミステリとしても十分楽しめる作品ばかりニャ」

「それも感じました。特に、『死に至る全力疾走の謎』や『二〇四号室は燃えているか?』のトリックは、普通のミステリではちょっと使いづらいようなものですけれど、そこを〈ユーモアミステリ〉という形式でうまく包んでいますよね。この作風だからこそ使える、ユーモアミステリにこそ使えるユーモアトリックと言えるんじゃないでしょうか。最初に紹介してもらった『烏賊神家いかがみけ一族いちぞく殺人さつじん』なんかも、それが言えますよね。叙述トリックの系統のひとつ、ユーモア叙述トリックとでも言うべきものですよね。しかも、読者だけが騙される〈メタ叙述トリック〉じゃなくて、作中の登場人物である鵜飼うかい探偵たちがしっかりと騙されているという点でも、フェアな叙述トリックです」

「お、なかなか分かってるニャ」


 そう言いながらテリーは、僕の肩を肉球の柄がプリントされた手で、ぽんぽんと叩いてきた。何だかいつもと違ってフランクだな、谷藤さん。もしかして、着ぐるみを着ると性格が変わるのかな?


「で、この『烏賊神家の一族の殺人』、ひとつ〈罠〉が仕掛けられていたことに気付いたかニャ?」

「え? 罠? 何ですか? そんなこと全然思わなかったです」

「ふふふ、まだまだ甘いニャ。本作は、通常イカの〈頭〉と思っている部位が実は〈尾びれ〉で、イカという生物は正確には〈脚〉のあるほうが頭、すなわち〈上〉になるように描かれるのが〈正位置〉である、という情報を利用したトリックニャ」

「そうでした。それで鵜飼探偵たちは、〈烏賊さまの祠〉と〈逆さまの祠〉を取り違えてしまったんですよね」

「だが、我々はつい、脚のあるほうを下、三角のひれがあるほうを上としてイカを見てしまいがちニャ。怪人イカデビルなんかも、ひれのほうが上に来るデザインをされているニャ」

「イカデビル……?」

「『烏賊神家の一族の殺人』には、それを改めて我々読者の頭にすり込ませための仕掛けがしてあるんだニャ。それが冒頭に出てくる〈剣崎マイカ〉ニャ」

「ああ、確かにこの話の主役といってもいい、ゆるキャラ探偵剣崎マイカは、話の最初のほうから出てきていましたよね」

「そう、イカの着ぐるみである剣崎マイカ初登場の場面には、こう書いてあるニャ〈煙突を思わせる太い筒型の胴体に大きな三角形を乗せたようなフォルム。その特徴的な頭部の形状を見て、ようやく美穂は理解した。「――判った、あれは烏賊ね、烏賊なのね!」〉と。そうニャ。ここで東川は、まず読者に〈イカという生物はひれが頭部である〉という先入観を、おさらいさせるかのように読ませているんだニャ」

「なるほど。剣崎マイカは、伊達や酔狂、受け狙いのためだけに登場させたキャラクターというわけではないんですね……あ! でも、谷藤さん、その記述はアンフェアなんじゃないですか?」

「なぜニャ」

「だって、その本文では、ひれを表した〈三角形〉のことを〈特徴的な頭部〉と言い切ってしまっていますよ。しかも地の文で。これは〈ひれの部分こそがイカの頭部である〉という虚偽の記述になるんじゃないですか?」

「そこに抜かりはないニャ。その地の文が表しているのは、生物としてのイカではなくて、あくまで作中に登場するゆるキャラ、剣崎マイカのことを言っているニャ。本物のイカと違い、中に人が入る剣崎マイカは、デザインの都合上、〈三角形〉の部分に中の人の〈頭部〉が入ることになるニャ。虚偽の表記ではないニャ」

「そ、そういうことか。恐るべし東川篤哉。あの剣崎マイカの絶妙なキャラクターの陰に、そこまで周到にネタを盛り込んでいたとは……」

「ちなみに、剣崎マイカの中の人である吉岡沙耶香よしおかさやかは、別の短編集『はやく名探偵になりたい』に収録されている『七つのビールケースの問題』で初登場しているニャ。さらにちなみに、ゆるキャラ探偵剣崎マイカ自身は、『探偵さえいなければ』収録の『ゆるキャラはなぜ殺される』で再登場を果たしているニャ。興味を持ったら読んでみるのも一興ではあるマイカ」

「あっ! テリーさん、キャラ泥棒は、いちばんやってはいけないことだと、作中で剣崎マイカも言っていましたよ」


 と、そのとき、僕の背後でドアを開く音がした。珍しい。僕の他に、この谷藤屋にお客が? と思って振り向く。そこには……。


「あ、いらっしゃい、永城えいじょうさん」


 眼鏡をかけた、ロングヘアの女性が立っていた。久しぶりに見る谷藤ふうさんの笑顔。……って、あれ?

 僕は顔を店内側に戻す。猫の着ぐるみがいる。再び振り向く。谷藤さんがいる。さらに僕は、猫と眼鏡の女性の顔に視線を数回往復させて、


「……誰だぁぁぁー!」


 猫のテリーを指さして叫んだ。すると、


「ふっふっふ……」テリーの頭の中から不気味な笑い声が聞こえてきて、「ばれてしまったようだね、明智あけちくん……」

「永城です」


 テリーは、人間であれば耳をふさぐような恰好で自分の頭の横に手を当てると、そのまま真上に引き抜いた。猫の頭部が胴体から切り離される。そこには、ショートヘアの小柄な女性の顔があった。


「永城さん」と、後ろから谷藤さんが、「紹介しますね。私の妹の、穂愛ほあいです」

「谷藤穂愛や。穂愛って呼びにくい名前やから、アイちゃん、て気軽に呼んでくれてええで」


 猫の被り物を取り払った女性、谷藤穂愛が言った。


「穂愛は関西に住んでいた時期が長いので、関西弁混じりの喋り方をするんです」

「い……妹さん、ですか。も、もしかして、この前の猫――いや、テリーも?」

「せや、中の人は私やったんやで」


 ミトンのようなグローブで、穂愛ちゃんは自分を指さした。


「それにしても穂愛、何なのよ、その恰好は」

「風やん、これ、知り合いから借りてきてん。谷藤屋のマスコットの〈テリー〉として、採用してくれへん? ちなみにな、何でテリーって名前かというとな……」

「返してきなさい」


 谷藤さんは問答無用で店のドアを指さした。


「ちぇっ……」


 舌打ちをして穂愛――いや、本人の申告通り、アイちゃんと呼ばせてもらおう――アイちゃんは猫の頭部を被り直すと、「それじゃあニャ」と、キャラになりきってドアに向かって歩いた。が、僕の横で立ち止まり、


「永城さん、風やんに聞いていた通りの、結構いい男やね」


 と僕に耳打ちした。


「えっ?」


 振り向いた僕から逃げるように、アイちゃん、いや、テリーはドアを抜けて外に出た。


「穂愛、あんな格好で外に出て、職質されないといいけど……」


 心配そうに谷藤さんは、商店街を疾走する巨大な三毛猫の背中を見送ると、


「すみません、永城さん。私、所用で店を開けていたもので、穂愛に留守番を頼んでおいたんですよ。何か失礼なことありませんでしたか?」

「い、いえ、失礼なことなんて、何も……じゃ、じゃあ、また来ますね」


 僕もテリーを追うように、商店街に躍り出た。

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