『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』ネタバレありレビュー

 目的の書店に向かって大股で歩く僕は、ドアを開けて店主の顔を確認するや否や、こう言い放った。


谷藤たにとうさん、不遜ながら僕は、図らずも自分が心が広い人間だと自覚しました。だって、『三崎黒鳥館白鳥館みさきこくちょうかんはくちょうかん連続密室殺人れんぞくみっしつさつじん』を読んで純粋に楽しむことができたのですから」

永城えいじょうさんなら分かっていただけると信じてました」


 そう言う谷藤さんも、内心不安だったのではないだろうか。胸の前で組まれた両手が小刻みに震えているのが分かる。もしも狭量な人物であれば、「これを勧めたのは誰だぁ!」と店に怒鳴り込んできてもおかしくはないだろう。


「しかし、『三崎黒鳥白鳥(以下略)』とんでもないミステリ、いや小説でしたね。あんな作品が存在しているとは。ミステリというジャンルの底なし沼っぷりを、まざまざと体験させられましたよ」

「世間では『バカミス』と呼ばれているんです」

「ははあ、『バカミス』ですか。その言葉の響きから、どういった意味なのか、どういう作品に冠せられる称号なのか、だいたい分かりました」

「中でもこの『三崎黒鳥(以下略)』は、バカミスの最高峰と言っても過言ではない傑作だと思います」

「そうかもしれませんね。それに、以前谷藤さんが言っていたじゃないですか『文章でしか味わえない感動がある』って。これなど、その極点なんじゃないですかね。思い出しても笑いがこみ上げて来ますよ『黒鳥死ね』」


 それを言うと、谷藤さんも口元を押さえた。


「谷藤さんの言ったことの意味が分かりました。こればっかりは絶対に文庫化は不可能ですよね。もう、仕掛けの全てが狂っちゃう。ラストシーン手前の[上段か下段か、お望みのほうへ]とかも」

「上下二段組みの新書ならではの仕掛けですよね。しかも、上段下段、どちらもきっちりと同じ行数で終わらせています」

「僕はこれ、あまりの衝撃に読了した翌日、またすぐに読んでみたんです。ミステリって再読すると世界の見えようが違ってくる作品がたくさんありますけれど、そういった意味でもこれは凄い。初読では何のことだかさっぱりだった描写のことごとくが、まるでモザイクが取れたかのように鮮明に頭の中に描かれてくる。僕が特に面白いと思ったのは、三人目の被害者である新居あらいが襲撃される手前の場面ですね。いざとなったら、〈奥の間〉を出て〈黒鳥館〉の外に飛び出せばよいのだが、そんなことは常識的に不可能だ。と思案する場面です」

「〈奥の間〉つまりお風呂に入っているところから、いきなり外に出るなんてわけには、それはいきませんよね」

「ええ。『下手をしたら逆に捕まってしまう』とか、初読ではわけが分からないけれど緊迫した印象なんですけれど、再読だとまるで様相が違ってくる。『ロヨン』とかはちょっと僕、怒りゲージが上がりかけましたけれど、完全にバカ負けしました」

「あはは。でも、凄いと思いませんか? 銭湯の中の様子を、これだけ仰々しく含みたっぷりに描くことが出来るだなんて」

「それは言えますね。女湯から男湯に、石けんをやりとりする穴を通して凶器を渡す場面がありましたけれど、あれをあんなに謎と緊迫感たっぷりに装飾して描写する術があるなんて。あそこまでやられると脱帽するしかありませんよ。調べたんですけれど、この倉阪鬼一郎くらさかきいちろうという作家、これ以外にもたくさんのいわゆる〈バカミス〉を書いているそうですね。他に谷藤さんのお勧めはありませんか?」

「もちろんありますけれど、連続して読むのはお勧めできません。こういった作品はたまに読むからいいんです。倉阪バカミスを連続して読むと、お腹を壊してしまいますよ」

「そ、そういうものですか? ま、まあ、確かにそうかも……」

「さて、永城さん、何か飲み物をご用意しますね。今日は永城さんがご来店されると思って、もう用意してあったんですよ」

「えっ? 本当ですか? 嬉しいな」


 一旦レジの奥に引っ込んだ谷藤さんは、グラスを載せた銀のお盆を手に戻ってきた。


「ウエルカムドリンクの『コーヒー・ルンバ』でございます」


 谷藤さんは恭しげな仕草でコーヒー牛乳で満たされたグラスを僕に向けて差し出した。僕は思わず吹き出してしまった。

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