ミステリ好きは、ほぼ猫好き『ゆきの山荘の惨劇 猫探偵正太郎登場』柴田よしき 著

『ゆきの山荘の惨劇 猫探偵正太郎登場』プレビュー

永城えいじょうさんっ! 猫はお好きですかっ?」


 営業中だった谷藤屋たにとうやに入った僕に突然、店主の谷藤風たにとうふうさんがにじり寄ってきた。細いフレームの向こうで大きな目を爛々と輝かせながら。


「え? ね、猫? いや、別段好きでも嫌いでもなくて、普通ですかね……あ! いや、好き! 好きです! 猫ってかわいいですよね! ねこ大好き!」


 僕が慌てて猫大好き人間に転じる必要があったのは、「普通ですかね」と口にした直後、谷藤さんが表情を途端に萎ませ、しょんぼりとしたように俯き、その大きな目を見る見る潤ませていくのを目撃してしまったためだった。


「そうですよね! ミステリ好きの方って、ほとんど全員が猫好きでもありますよね!」


 谷藤さん復活。表情も目も眩いばかりの輝きを取り戻した。


「で、永城さんが当店に足を運んでくれたということは、またそろそろミステリ小説が読みたくなったということですよね」


 こんな状況で「谷藤さんの顔を見たかったから」などと口が裂けても言えるはずがない。いや、違う状況だったとしても、僕に口にする勇気はないだろう。当の谷藤さんは、うんうんと満足げに頷きながら本棚に向かい、一冊の文庫本を取り出すと、


「そんな猫好きの永城さんが今読むべきミステリは……これ!  柴田しばたよしき 著『ゆきの山荘さんそう惨劇さんげき 猫探偵正太郎登場ねこたんていしょうたろうとうじょう』ですっ!」


 表紙に黒猫のイラストが描かれた文庫本を僕の前に突きだした。


「ね、猫探偵? あ、三毛猫ホームズですか?」

「全然違いますっ! これが三毛猫に見えますか? 正太郎は黒猫です! 黒とは言っても、お腹と左前足の先に白い毛が混じっていますけれど」

「は、はい、すみません」


 思わず謝ってしまった。いえ、と谷藤さんも一旦落ち着くように、こほんと咳払いをして、


「永城さんのおっしゃった『三毛猫ホームズシリーズ』も優れたミステリですけれど、あまりにメジャーですからね。現に永城さんも御存じでしたし」

「ええ、有名なのでさすがに」


 でも、名前を聞いたことがあるだけで、実作は一冊も読んでいないことは秘密にしておこう。


「そこで」と、谷藤さんは再び語気を強めて、「この『猫探偵正太郎シリーズ』ですよ!」

「猫探偵って……猫が事件の捜査をするんですか?」

「そうなんです。このシリーズ、一風変わっていまして……」


~あらすじ~

 売れないミステリ作家、桜川さくらがわひとみは、同期作家の結婚式に招待され、山奥にある山荘を訪れる。飼い猫の「正太郎」を一緒に連れて。しかし、到着してすぐに土砂崩れが起きて、ふもとへ続く唯一の道路が封じられてしまう。新郎に送りつけられた謎の脅迫状。食事の席での毒物騒ぎ。不穏な空気が支配する孤立した山荘で、ついに犠牲者が……。


「なるほど、これもいわゆる〈クローズド・サークル〉ものなんですね。でも、あらすじを聞く限りでは、ごく普通のミステリに思えますけれど」

「ふふふ、もちろんこの作品、ただのクローズド・サークルものじゃありません。何と言っても、主人公が猫なんですからね!」

「あっ! そういえば。で、猫が捜査? その猫は人間の言葉を喋るんですか?」

「そんなことあるわけないじゃないですか。この作品は一人称視点の構成ですけれど、その主観キャラクターが、猫の正太郎なんです!」

「ね、猫視点の一人称小説?」

「そうなんです。この作品に登場する猫たちは、人間の言葉を理解しているんです。それで、彼らの間だけで会話を交わしているんです。それでですね、この正太郎の語りがもう、かわいいんですっ! 冒頭部分を読んでみましょうか……『地獄だ。むし暑く息苦しく、そして真っ暗だった。どうして俺はこんなところにいるんだろう……記憶が途切れていた。確か俺は今朝、顔を洗ってから玄関先で用を足し、乾燥した食料をぽりぽりとんで、また寝ようとお気に入りのソファに横たわったのだ。それからうとうととし始めたところまではおぼえている。とすると俺は、寝ている間に拉致らちされたのか!』……ね、かわいいでしょう?」

「……猫、ですよね」

「そうですよ」

「一人称が『俺』でしたけれど。しかも、何だか男っぽいハードボイルド的口調でしたよね」

「そこがかわいいんじゃないですか! 永城さんにも、読んでいただければ正太郎のかわいさがよく理解していただけると信じています! それに、ただかわいいという、伊達や酔狂で猫を主人公にしたわけじゃありません。本作は、猫が主人公であってこその作品なんです。猫が語り手であり、主人公を務めていることに十分なわけ、説得力があるんです。こういうところは、本格ミステリならではです」


 そこまで言うと谷藤さん、文庫本をぱたんと閉じた。


「そ、そうですか。じゃ、じゃあ、読んでみようかな」

「お買い上げですね? ありがとうございます。それでは、いつものようにカバーを掛けますね」


 谷藤さんは僕から本を手渡されるとレジに向かい、いつもの流れるような動作でカバーを掛け終えた。


「猫……か」


 谷藤屋のドアが閉まる音を背中に聞きながら、僕は家にいる飼い猫のことを思い出していた。

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