『模倣の殺意』ネタバレありレビュー
「やられましたよ、
開店していた〈谷藤屋〉のドアをくぐるなり、僕はそう言った。
「あ、
「そうです、『
「やられちゃいましたかー。よかった」
谷藤さん、嬉しそうに胸の前で手を合わせる。
「はい。ネットで調べたんですけれど、こういうのを〈叙述トリック〉と言うそうですね。小説を読んでこんな思いをしたのは始めてですよ」
「それがミステリの醍醐味です」
「でも、こんなに面白い作品なのに、こう言っちゃ何ですけれど、この作品はマイナーですよね。叙述トリックを扱った作品には、もっとメジャーなものがたくさんあるそうですけれど――」
「そこですよ!」
「うわっ!」
谷藤さんは、右手人差し指を、びしっ、と僕に向けて突きだしてきた。
「ど、どこですか?」
「そこです。今、永城さんが言ったことです。どうして私がこの『模倣の殺意』を永城さんにお勧めしたか、分かりましたか?」
「えっ? 単純に面白いからじゃないんですか?」
「もちろん、それもあります。が……」と谷藤さんはここで、僕の鼻先数センチ先に突きだしていた指を引っ込めて、「ある情報を錯誤させたうえで、最後にネタばらしをして読者を、あっ! と驚かせる、いわゆる〈叙述トリック〉なるものは、主に一九九〇年前後を皮切りにミステリ界にブームを巻き起こしました。まあ、それ以前にも古典作品のいくつかで使われた手法ではあるのですが、ミステリファンに幅広く認知されるようになった、特に、この『模倣の殺意』のような複雑なプロットによる叙述トリックが流行したのは、やはり九〇年前後からでしょうね」
「そうなんですか」
「ここまで言えば、どうして私がこの作品をお薦めしたか。『模倣の殺意』の凄さがお分かりになりますよね」
「……えーと」
「永城さんっ! この本をお買い求めになられるとき、私が言った言葉をお忘れですかっ!」
「え? ええっ?」
何か言われたっけ?
「この『模倣の殺意』は、一九九〇年より二十年近くも前、一九七二年に書かれたものなんですよっ!」
「……ああっ! そういえば!」
そんなことを言われていたのを思い出した。
「そうなんです!
「そ、そういうことだったんですね」
「そうなんです。本作を読んだ〈本格ミステリの鬼〉と言われるほどのミステリに精通した読者の方は、『○○や××のほうが叙述トリックのテクニックとして凄いよ』と言うでしょう。ですが、その『○○』も『××』も、きっと、この『模倣の殺意』よりもずっと後期に書かれた作品でしょう。凄くて当たり前なのです」
「谷藤さん、○○とか××って、何なんですか?」
「それは秘密です。作品に対して、『これは叙述トリックを使っているんですよ』なんて言えるわけないじゃないですか」
「うーん、言われてみれば、そうですね。『叙述トリック』だと最初から知った上で読むと、どうしても穿った読み方をしてしまうでしょうね」
「でしょう。この『模倣の殺意』だって、叙述トリックを使っているんだと聞かされた状態で読み始めたら、『ははあ、この、
「そうなったら、せっかくの驚きがなくなってしまいますね」
「でしょう。叙述トリックについては、繊細な扱いが必要なんです。それと、永城さん、この『模倣の殺意』を読んでみて、何か思ったことはありませんでしたか?」
「えっ? とても面白かったです」
「そうじゃなくて、作品内容というよりも、その構造について」
「構造について? うーん……分かりません。降参です」
「この作品、映像化は不可能だと思いませんか?」
「ああっ! そういえば、そうですね! これを映画化やドラマ化したら、一発でトリックがばれちゃいますね」
「そうなんです。この『模倣の殺意』に限らず、叙述トリックを扱った作品を楽しめるのは、文章しかない小説というメディアだけなんです。どれだけ優れた俳優がいても、映像技術が発達しても関係ないんです。叙述トリックを楽しむことが可能なのは、文章という最も古典的なメディアだけなんです」
「なるほど。小説というメディアだからこそ触れることの出来る楽しみ、驚きがあるということですね」
「その通りです。本を読まない人が増え続けているそうですけれど、私はそれについてどうこう言うつもりはありません」
本屋さんなのに、いいのかな?
「本、小説よりも面白いメディア、娯楽はたくさんあるでしょう。これだけ技術が発展した現代社会なら、なおのこと。小説が元となっている作品であっても、映像化されたものがあれば、それを見ればいい、という意見も分かります。ですが、『模倣の殺意』をはじめ、叙述トリックミステリを真に楽しむには、やはり文章だけで構成された小説でなければならないんです。映像でしか表現出来ないことがあるように、文章でしか味わえない感動もあるんです」
「本当にそうですね。いや、今日は楽しんだだけでなく、とても勉強になりました」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
谷藤さんは顔中に満面の笑みを広げた。僕も釣られて笑顔になってしまう。
「それじゃあ、僕はそろそろ」
谷藤さんの笑顔をお土産に帰宅することにした。
「はい。次にご来店いただけるときには、またお勧めのミステリ小説をご用意しておきますね」
「よろしくお願いします」
笑顔のままの谷藤さんに見送られて、僕は〈谷藤屋〉をあとにした。
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