『ゆきの山荘の惨劇 猫探偵正太郎登場』ネタバレありレビュー

『ゆきの山荘さんそう惨劇さんげき』を購入してからずっと、やはり谷藤屋たにとうやにはシャッターが下りていた。そして、本を読み終えた翌日に営業を再開していることもいつも通り。絶対に狙ってやってる。

 少し文句を言ってやるか。僕はそう意気込んで営業中の札が掛かったドアを押した。


「いらっしゃいませー」


 これまたいつも通り、谷藤さんの声がレジカウンターの向こうから掛けられた。今日も素敵な笑顔だ。眼鏡を通して大きなまなこが僕を見つめている。文句とかは、また今度でいいか。


「読みましたよ、『ゆきの山荘の惨劇』」

「『猫探偵正太郎登場ねこたんていしょうたろうとうじょう』も忘れないで下さいね」

「ああ、はい、正太郎」

「かわいかったでしょ、正太郎」

「そ、そうですね……」


 ハードボイルド調で一人称の語りをする正太郎は、独特のダンディズムがあってかっこいい、というのが僕の素直な感想だが、かわいい、のか? あれ。


「はい、かわいかったです」


 きらきらと輝く瞳で谷藤さんに見つめられると、そう答えるしかない。


「猫の語りで物語が始まったときは、正直どうなることかと思いましたけれど、きちんとしたミステリでしたね。しかも、猫視点であることを生かした展開と解決で。ただ猫視点でミステリを書けば受けるだろう、とかいう打算的な理由じゃないところがいいですね。正太郎もですけれど、僕は犬のサスケも好きです」

「ああー。ええ、サスケもかわいいですよねー」

「全編ギャグやどたばたが満載で笑わせてもらいましたけれど、最後はちょっと切ない、猫ならではのドラマがありましたね。猫が人間の言葉を理解してるという設定を、ただのお遊びだけじゃなくて、しっかりと内容に生かしてきたのが意外でしたね。でも、その使い方、ワープロを打ったトーマの動機が切ないから、やりすぎだとは感じなかったですね。厳しさとやさしさでトーマを諭す正太郎が素敵でした」

「そうなんですよね。正太郎が最後に語るのは、猫の、猫と人間との関わり合いの哲学ですよね。いいですよね。私も猫、飼ってみたいなぁ」

「谷藤さんは、猫を飼ったことはないんですか?」

「そうなんです。猫も犬も、全然。大好きだから、本当は飼いたいんですけれどね」

「何か、飼えない理由でもあるんですか? ご家族に動物アレルギーの方がいらっしゃるとか?」


 谷藤さんは首を横に振って、


「そういうのはないんです。ただ、私は引っ越しが多いからアパート暮らしもするし、責任を持って動物を飼えないっていうだけなんです」

「そうなんですか……」


 呟きながら、僕は谷藤さんの言葉が気になった。引っ越しが多い? そう言えば、この〈谷藤屋〉を開店するまで、谷藤さんはどこに住んでいたんだろう? そして、また引っ越ししてしまうこともあるのだろうか?


「……ですか?」

「えっ?」


 ぼんやりとしてしまっていた。谷藤さん、僕の顔を覗き込みながら、


永城えいじょうさんは、動物飼っていらっしゃるんですか?」

「あ、ああ、僕は、家に猫が一匹――」

「えー! 猫を? どんな猫ですかっ?」


 両手をレジカウンターに突いて、谷藤さん身を乗り出してきた。僕は思わず体を引いてしまった。そのまま直立していたら、谷藤さんの顔がすぐそこまで迫ってきていたのに。


「ざ、雑種の白猫です。名前はそのまんま、〈シロ〉です。正太郎みたいに、どこかに違う毛色があるとかじゃなくて、本当に全身真っ白な」

「きゃー! 見たいー! 撫でたいー! 永城さん、今度連れてきて下さいよー!」

「い、いや、完全な家猫で、一歩でも外に出そうとすると激しい抵抗に遭うんですよ……」

「それなら写真は? 写真はありますかっ?」

「あ、写真なら」


 僕はスマートフォンを取りだして画像ファイルを開いた。その間に谷藤さんはレジを出て、わくわくとした表情で僕の横に立つ。


「えっと……あ、これです」

「きゃー! かわいいー!」


 谷藤さんは画面に表示された白猫の写真を見て歓声を上げた。谷藤さんの顔がすぐ横に来て、長く綺麗な髪が僕の頬に触れた。ぐうたらと寝てばかりで、僕が帰宅しても全く歓迎する素振りも見せず、ご飯をあげるときにしか寄ってこない、かわいげのないやつだけど、このときばかりはシロに感謝した。ありがとう、シロ。


「うふふ」

「どうしたんですか? 谷藤さん」

「シロも、正太郎みたいに人間の言葉を理解していて、人間に対して色々と思うところを心の中で呟いていると思いますよ」

「そ、それはないでしょ……」

「それはどうですかねー、ねー、シロ」


 谷藤さんは、タッチパネルをピンチアウトしてアップにしたシロの顔に話しかけた。「何撮ってるんだよ」と言わんばかりのシロの目が僕を睨んでいた。帰りに、ちょっと高級なキャットフードでも買っていってやるか。谷藤さんの髪の香りを鼻孔全体で感じながら、僕は思った。

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