第五話 ふわふわ猫の小むぎと、幽霊屋敷


あなたの家には、ユーレーっている?

わたしの家には、いる。別に何か悪さをするわけじゃない、ってママは言うけど……

まぁ、正直、あんまり気持ちのいいものじゃないよね……


1年前に引っ越してきたこの山口って街には、ほんとうにびっくりするくらい、あちこちにお墓がある。住宅街を歩いていて角を曲がったとたん、とつぜん墓地に出くわして背中がゾクッとしたり、車通りの多い駅前通りのコンビニの裏とかにも普通にあったりして、ユダンも隙もあったもんじゃない。……わたし山口に来るまで、墓地なんて、家族で行くお墓参りか、遊園地のお化け屋敷ぐらいでしか、見たことなかったんだけど。

パパが言うには、山口はとても古い街で、だからお寺がいっぱいあって、だから墓地もいっぱいあるんだって。しかも、パパが好きな「バクマツ」とやらには、この街のあちこちで、お侍さんたちが刀で殺し合いをしていたんだって。えー、殺し合い? ほんと? 「新しい時代のために、たくさんの血が流れたんだよ」なんて、パパ、なんでそんな楽しそうに話してるの? バカみたい。

……てなわけで、この山口って街は、そもそも街自体が、とっても気味が悪い街ってワケ。

で、そんな中でも、とくべつ気味が悪いのが、うちってこと。わかる?


最初に「おかしいな」って思ったのは、引っ越してきてから数か月くらいたった、冬の夜のことだった。

うちは山口の街の中でもほとんど中心に近いところにあって、ちょっと古いけれど、庭もある一軒家だ。ママによると、ありえないくらい格安の家賃だとか(……ママ、その時点で怪しいと思わなかったの? と言いたい)

その夜、パパの帰りが遅くて、わたしとママは1階のリビングのソファに座って、まったりしてた。珍しくテレビをつけていなかったので、「それ」に気づいたんだと思う。

「ねぇ、いま何か、音しなかった?」って最初に言ったのは、たしかママだ。でも、わたしだってとっくに気づいていた。誰もいないはずの2階から、人が歩く足音が、はっきりと聞こえたのだ。足音っぽい音、なんてものじゃない。完全に足音そのもの。しかも、聞いたのはわたしたちだけじゃなかった。向こうのダイニングテーブルで受験勉強していたコースケ(おにいちゃんだ)も、青い顔をしてこっちを見ていた。

間違いない、誰かいる。わたしたちは、3人でそれぞれ武器(バットとか、傘とか)を持って、おそるおそる2階に上がった。けど……だーれもいないし、窓はしっかり鍵がかかっていて、とても人の出入りなんてできそうもなかった。

……てことは……気のせい、だよね。うん、きっとそう。

ちなみに、足音っぽい音がした、リビングの真上にある部屋は、2階でいちばん広い洋間だ。引っ越してきた日、誰がどの部屋にするか家族で話し合ったとき、「どうしてもここがいい!」ってワガママを言って、わたしが自分の部屋にさせてもらった、まさにその部屋……

その頃から、わたしは自分の部屋で眠れなくなってしまった。10畳もあるってママが驚いてたわたしの部屋は、ほんとうにだだっ広くて、夜、その真ん中に布団を敷いて寝ていると、何だか、部屋の隅っこの暗がりに、何かがいるような気がしてしまうのだ。……いや、きっといる。いるとしか思えない。

なので、わたしはいまは、パパとママの寝室に布団を敷かせてもらって寝ている。そして正直に言うと、たとえ昼間だって、できれば一人では自分の部屋に入りたくない。

その後も、怪しい足音はちょいちょい聞こえていて、ママはすっかり慣れて「別に何か悪さするわけじゃないんだから、気にしなくていいんじゃない?」なんて言うけど、それは、ママがあの部屋じゃないから言えるんだよー……って、毎回思う。

あーあ、あの日、パパもママも反対したのに、何でわたし、「ぜっったい、この部屋がいい!」なんて言ったんだろ……


とまぁ、こんなことを考えながら、わたしはその部屋で着替えていた。

いくら入りたくないといっても、わたしの洋服も、学校の教科書とかも、全部わたしの部屋にある(当たり前だよね。わたしの部屋なんだから)。さっき家族で、裏庭にある和栗のお墓にお参りしていたら、急に近くの商店街に行こうっていう話になり、着替えていたのだ。いつものように、ときどき背中を振り返りつつ……

商店街に行くのは、急にパパが「ジョートカイ」とやらに行こうと言い出したからだった。なんでも、商店街ではきょう「ジョートカイ(どんな字?)」というのをやっていて、犬や猫(!)がたくさんいるらしい。しかも、タダでもらえるんだって(すごい!)。

どんな猫ちゃんがいるんだろう? 運命の出会い、みたいのもあるかな? かわいい白い仔猫がいるといいな……って水色のサマーセーターに袖を通しながら考えてたら、1階の玄関から、「小夏まだー?」ってママの声がした。わたしはあわてて「いま行くー」と答えて、トントンと階段を下りた。


うちを出て少し歩くと、すぐに一の坂川っていう、小さな川に出る。さらさらときれいな水が流れ、のんびり鴨の親子が泳いでて、夏にはホタルがいっぱい飛ぶ(わたしは、ここで生まれて初めてホタルを見た)、かなりいい感じの川だ。その川沿いに少しだけ歩くと、商店街だ。いつも買い物に行く生協のスーパーや、お肉屋さん、お茶屋さん、呉服屋さんなんかがある。つぶれちゃってるお店とかもあって、すごく賑わってるって感じじゃないけど、ママは、地方にしてはかなり頑張ってる商店街じゃないかな、って言ってた。

ちなみに歴史好きのパパによると、この商店街は、江戸時代の、前の、さらにその前の時代くらいからある、すごい商店街らしい。お店によっては、「まちやづくり」っていう、京都っぽい建物の面影が残ってたりするんだって。ふーん。

その一角で、ジョートカイをやっていた。元は何かのお店だったっぽい、ちょっと小さめの建物。入り口のガラスのドアに手書きのポスターが貼ってあって、おせじにもうまいとは言えない犬や猫のイラストと一緒に、「譲渡会」って書いてあった。あ、「ジョートカイ」って、こういう字なんだ。

わたしたちがドアを開けて中に入ると、意外と奥行きのある部屋の、あちこちにケージがあって、犬や猫がたっっくさんいた。私たち以外にもけっこう多くの人たちが見に来てて、人のよさそうなおばちゃんたちがにこやかに応対している。

「思ってたより、たくさんいるんだね」「これみんな、捨て犬や捨て猫ってこと?」なんて話しながら、パパとママは奥へ入っていく。入り口に近い方が犬コーナーで、猫は、たいたい部屋の真ん中くらいから向こう側にかたまっていた。

大きい犬の前を、ちょっとビクビクしながら通り過ぎて、猫たちのいる奥側のスペースに入ったとたん、足下に、段ボール箱が置いてあるのに気づいた。中には、仔猫が3匹。そして、そのうちの1匹が……

「ママっ、し、白猫がいるよ!」

わたしは、先へ行きかけていたパパとママを引き留めた。

「あ、ほんとだ」「小夏が欲しがってた白猫だね」。パパとママは立ち止まり、わたしたちはしゃがんで段ボール箱の中の仔猫をのぞきこんだ。茶色っぽくて毛の長い子と、これもちょっと毛が長めの、三毛猫と白猫だ。他の猫たちは、きれいなケージの中にいるんだけど、この子たちは、なぜだか段ボール箱。しかも何となく、他の猫たちより、汚れている感じがする……

「この子たち、けさ近くで捨てられてるのを見つけて、直接ここに連れてきたのよ。だから、まだきれいにしてあげられてなくて……」と、脇のパイプ椅子に座っているおばさんが、申し訳なさそうに説明した。

「だ、だっこしてもいいですか?」と聞くと、優しそうなおばさんは「もちろんよ」と言ってくれた。わたしは段ボール箱の中に手を伸ばし、白い仔猫をそっと持ち上げた。仔猫は特に嫌がることもなく、すんなりとわたしの手の中におさまった。

……あったかくて、柔らかい。

「何だろ? ここが赤いね」と、目の辺りを指差しながら、パパが言った。確かに目頭のところが、あんまりきれいとは言えない赤色のアザみたいになっている。……病気なのかな? 白猫とはいえ、うす汚れた毛と目元の赤色のせいで、その子はほかの猫たちより、みすぼらしく見えた。

「パパは、もっと和風の猫の方がいいな」。パパはそう言って立ち上がり、奥へ行ってしまった。ママも、わたしの手の中の仔猫の頭を1回なでると、パパの方へついて行ってしまった。

でも、わたしは、一度だっこしたその子を、とうしても段ボール箱の中に戻せなくなってしまった。なぜかは、よくわからない。その子は、わたしの手の中で、逃げようともせずに安心したように目を閉じていた。ほのかにあったかくて、手のひらから伝わってくるその温もりは、まるで「ぼく、生きてるよ」って、わたしに一生懸命伝えているように思えた。

どれくらい、そうしていたかは分からない。ママが「他の猫ちゃんも見たら?」と勧めてくれても、他の家族が来てその白猫を見たがっても、わたしはずっと座ったまま、その子をだっこし続けていた。

そして、パバが「この子どう? かわいくない?」と、キジトラとかいう柄の仔猫(たしかに、とってもかわいい子だった)をだっこして連れてきたとき、わたしは、白い仔猫を見せて、キッパリと言ったのだった。

「わたし、この子がいい!」


「この辺だと思うんだけど……」

パパは、不安げにハンドルを切った。うちがあるのと同じ山口市内だけど、あんまり来たことがない、少し町外れの住宅街。

「こんなとこに、ほんとに不動産屋なんてあるのかな……」

譲渡会から、2週間たった。あの日、わたしが白猫がいいって言った時、一瞬、複雑な顔をしたパパは、それでも、笑顔で「わかった」って言ってくれた。

パイプ椅子のおばさんに「この子を飼いたいんですけど」って言うと、グループの代表っぽい別のおばさんを紹介され、長机でいろいろ質問された。「猫を飼ったことはありますか?」とか、「家は猫が飼えないマンションじゃないですか?」とか。この人たちは「クローバーの会」っていって、こういう、捨て猫や捨て犬に新しい飼い主を探してあげる活動をしているんだって。

書類も書いて、じゃあもらっていきますね、ってなったとき、ショックなことを言われた。「2週間待ってもらえますか?」

……え? 2週間も? そりゃないよー! とわたしは思ったけど、しょうがないらしい。何しろまだ拾われたばっかりなので、いきなり猫を飼ったことのないうちに引き渡すのは、ちょっと不安、てことになったのだ。病気の予防注射を打ったり、クローバーの会の、猫の扱いに馴れた人のところで、少し人に慣れさせてから渡したい、んだって。

そんなこんなで、今日、わたしたちはその仔猫を迎えに来たのだ。うちには、猫のトイレも、キャットフードも、猫じゃらしも買ってある。準備バンタン。不動産屋さんってのは、この2週間、仔猫を世話してくれていた、クローバーの会のおばさんの家だ。

「あ、あそこじゃない?」

やっと見つけた不動産屋さんは、自宅兼用の建物だった。普通の一軒家の一角が小さな事務所になってる作りで、看板がなければぜったい気づかなそう。わたしたちは店の前の駐車場に車を停めて、その事務所の前に立った。

「いよいよだね」と、ママも、少し緊張してるみたい。パパがお店のドアを開けて、「ごめんくださーい」と言った。わたしは待ちきれず、パパの脇から事務所の中を覗きこんだ。

雑然とした事務所には、パソコンが乗ったオフィス机がいくつかと、茶色い皮張りのソファーの応接セットがあり、部屋の真ん中には、書類がたくさん積んだり広げたりしてある大きな机があった。

その大きな机の上に、不思議なものを見つけた。

雪のように真っ白で、ふわふわした、まーるいもの。

それが仔猫の後ろ姿だ、と気づいたのは、急にその子が振り返ったからだ。

……かわいいっ!

丁寧にシャンプーされ、ご飯もたっぷり食べて健康になったその子は、譲渡会の段ボール箱の中で見たときとは別人(別猫?)のように、輝くようなかわいさでそこに座っていた。

どんなぬいぐるみもかなわない、これまで見たこともないくらい、ふわっふわの白い毛。きっと、雪の妖精がいたらこんな風だろうな、って思った。

パパとママが話している間、わたしはずっと、その子から目が離せなかった。ああ、やっぱりこの子が、わたしの運命の猫なんだ。

その日から、小むぎは、わたしたちの大切な家族になった。


小むぎは、家に来た最初は、すぐにテレビの裏に隠れちゃって、じっとこちらの様子をうかがっていた。でも、不動産屋のおばさんが「とっても元気な子よ」って言っていた通り、猫じゃらしをひらひら動かすと、興味しんしんって顔でガン見し、すぐに警戒しながらも手を出すようになり、そしてあっという間に、ゴキゲンでピョンピョン跳び跳ね始めた(しかもすごいジャンプ力だった!)。

出会った時にあった目元の赤色は、すっかりなくなっていた。たっぷり遊んだあとにキャットフードをあげたら、もりもり食べた。わたしたちは、小むぎが食べてるのを見ながら、みんなでニヤニヤしてた(なんで、猫がごはん食べてるとこ見ると、あんな幸せなんだろう?)

ちなみに、「小むぎ」っていうのは、小むぎが家に来てすぐ、わたしとコースケで決めた名前だ。わたしは「シフォン」とか「ミルキー」とかが良かったんだけど、和風が好きなコースケは、「だいふく」とか「あんまん」がいいって言う(……「あんまん」って、なに? いくら白くて柔らかいからって、「だいふく」はともかく、「あんまん」はなくない?)

けっきょく「小むぎ」でおちついたんだけど、小むぎは小麦粉のように真っ白でふわふわだったから、ぴったりの名前だった。


そうしてうちの新しい家族になった小むぎには、一つ、不思議なことがあった。いつも家中を駆け回っているんだけど、気がつくとよくいる、特に大好きな場所があったのだ。

……どこだと思う?

それは、わたしの部屋。あれ、小むぎがいないなーって思うと、たいてい、2階のわたしの部屋の真ん中で、丸くなって寝ている。その部屋で遊ぶのも大好きみたいだった。とにかく広くて家具がないので、駆け回り放題、とび跳ね放題なのだ。

わたしも自然に、自分の部屋にいる時間が増えてきた。それに寝るときも、前みたいに自分の部屋に布団を敷いて、小むぎと一緒に寝るようになった。小むぎと一緒なら、わたしの部屋も、この家も、ぜんぜん気味悪くない。……というか、小むぎが元気いっぱいに走り回れる、とってもいい家だ。


こないだ、1階のリビングで小むぎと遊んでいたら、ママがカフェオレを飲みながら、ぽつりと言った。

「やまぐちに来たから、小むぎにも出会えたんだね」。

確かに、その通りだ、とわたしは思った。今では学校に友達もできて、前よりやまぐちは嫌いじゃなくなってきてたけど……そう言われると、何だか、意外といい街なんじゃないか、って気がしてくる。

うん、そうだよ。だって、小むぎと家族になれたんだもん!

わたしは、ママの顔を見て、にっこりと笑った。ママも、笑い返してくれた。

……ひょっとして、わたしが将来、大人になったとき、やまぐちのことを「第2の故郷」なんて思い出すような日が来たりして。ふと、そう思った。

小むぎが、猫じゃらし動かしてよ、と言うように、にゃあ、と鳴いた。

……わたし、やまぐちに来て、良かった、かも。

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