08:いやしの接吻

 ナーシャは、抱っこされたままで、光の耳にけん銃を突きつける。

「う……!?」

 しかも、間の悪いことに、光の肩の銃創は、いよいよ酷くなってきた。

 血が流れ出て、気が遠くなってくる。

「チッ……。仕方ない、この程度はサービスだ」

 ナーシャは、光の肩に手を当てた。血を抑えるような格好だ。そして、

「んっ……」

 小ぶりなくちびるを、光の口に押し当てる。

「!? ん、んむぅ……っ」

 光は、思わずうめいた。

 ナーシャの生暖かい、ぬるっとしたくちびるの感触に圧倒される。

 しかも、それは「軽く押し当てる」程度ではない。

 殴りつけるような、襲い掛かるような、激しい接吻だった。

 光のくちびるがまくり上げられ、ついには、小さい舌が光の口の中に入ってくる。

「ちょっ、ナーシャ……?! ん、はぁっ、ン、ぁ……!」

「ふっ、ぁむ……ン、ちゅるニぢゅッ、ちゅぅ~~~っ……ぷはっ! 我慢しろ、もう少しだ……はぁっ、くぷっ、ん……にゅるにゅる、ぴちゅチュ……」

 ナーシャの舌が、光のそれと絡み合う。唾液が、喉の手前で洪水になっている。

 その上、目の前に、妹そっくりの幼女の小さな顔があった。

 窒息するか、失神するか……究極の選択だった。

「んっ、ぷチュっ……れろれろれろれろ、くちゅぅ~っ」

 舌やくちびるが触れる音さえ、生々しく、大きく聞こえる距離。

 光の顔は、極限にまで熱くなる。

 しかし、それだけではなかった。

 肩の激痛が、だんだんと薄れていくのだ。

「んぷ、ン……にゅぱっ!」

 ナーシャがくちびるを離す。唾液が、光の制服を汚す。それどころか、二人の口のあいだに、ねっとりした橋をかけていた。

「どうだ、楽になったろう?」

 ナーシャは、手を離す。

 すると、光の肩には、銃創がなくなっていた。

 完璧に滑らかな、光の肌があるだけだ。

 制服だけは、肩の部分が切り裂かれ、血染めになっているが、逆に言えばそれだけ。本当に傷があったのかと、光は不思議に思うほどだった。

「お前の傷を、治癒ヒーリングした」

 ナーシャは、つんと鼻を高くした。

「す、すごい……!」

 光は、肩を大きく回す。何の痛みもなく、簡単に動かせた。傷は、完治したようだ。

「ありがとう、ナーシャ!」

「それよりも、どうするのだぁ? さっさと決めろ。私の前にひれ伏すか、でなければ……!」

 再び、けん銃を突きつけてくるナーシャ。

 生温かいくちびるにキスされたかと思えば、今度は冷たく硬い金属。その落差に、ぞっとする光。

「ぼ、僕は……っ」

 その時、光の思考を邪魔するように、脳裏に誰かの声が響いた。

『た、す…………!』

「え?」

 それは、女性の声だった。

 だんだんと、声が明瞭になる。

『助けて……誰か……!』

 聞き覚えのある声だ。

 光は、ピンときた。

(これ、茜の声じゃ?!)

 先ほど、学校に置き去りにしてきたはずの同級生。その声に似ていた。

 即座に、光は立ち上がる。

「あっ、お前! 逃げるなぁ!」

「違うんだ、ナーシャ! とにかく……あぁもうっ、ちょっと一緒に来て!」

「うわっ!?」

 光は、ナーシャの細い手首を掴む。第六感で感じられる方向へと走りだした。軽いナーシャは、引っ張られて旗のように空中に足をなびかせる始末だった。

  

 ほんの数十メートル走ったところで、光は立ち止まる。

 木々の立ち並ぶ中、地面に横たわる異質な物体を、光は発見した。

「あれは、茜……?!」

 光は、わが目を疑う。

 ぴくりとも動かないそれが、とても人間だとは思えない。ただの、「物体」にしか思えなかったのだ。

 駆け寄ってみる。

 そして、光の心は大嵐になった。

 茜が、仰向けに倒れている。

 顔が青くなり、力なく目を閉じて。

 腹から血を噴出し、辺りには血だまりができていた。

 和香女学園の制服を着ていなければ、茜だとは気づけない。それほど、別人のように生気がなかった。

「あかねっ?! どうしたんだ、大丈夫か!?」

 光は、茜の傍にしゃがみこんだ。

 肩をゆすり、顔を近づけてみる。死体が目の前に迫るようで、光は――友人だというのに――一縷の嫌悪感さえ感じてしまうほどだった。

(ゴメン、茜……!)

 茜の口を開けさせ、耳をそばだてる。

 しかし、いくら待っても息をする気配はない。

 手首を探っても、脈を打っている様子さえない。   

「茜……そんな、ウソだろう……!? 茜、あかねっ」

「ムダだ」 

 幼女が、冷静に言った。 

「ナーシャ……?!」

「既に、そいつは死んでいる」

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