04:下着のポジション

 光はワイシャツの中にすっと手を入れ、下着の留め金をパチンと嵌める。そして、すぐにワイシャツを元に戻した。

「ね? すぐに終わったでしょう」

「う、うん……」

 茜は、微妙に体をくねらせていた。両腕も持ち上がっている。

「光、なんで分かったの? もしかして……私、下着透けてた?」

「いや、そんなことないよ」

 光は、首を振った。

 じじつ、茜の下着が、肉眼で見えたわけではない。

 ただ、なんとなく、留め金が外れているイメージが、頭の中で見えただけ。

 光には、時々そういうことがあった。

 朝、教室の扉を開ける前に、教室の中に誰がいるかがわかったり。

 あるいは、テスト用紙が裏返しにしてあるはずなのに、問題文が分かってしまったり。

 光が、フェンシングで異様に強く、部長にまで推薦されてしまったのも――端麗な容姿や、面倒見のいい性格もあるかもしれないが――そのせいだった。

 相手が次に、どこに攻撃を繰り出してくるか、それがぼんやりと分かるのだ。

 フェンシングは、出方の読みあいで勝負が決まる。それだけに、「読み」が確実にできてしまう光の妙な勘は、フェンシングの成績に絶大な影響を与えていた。

 「透視」というほど大げさではないだろうが、第六感のようなものらしい。

 いつものことなので、さほど光に驚きはない。

(……もしかして、灯が教えてくれてるのかな?)

 光は、くすっと笑う。

 妹が、自分についていてくれるのだとしたら……?

 考えて、彼女は怖いとも思わなかった。 

「あ、光、笑ったなー?」

「笑ってない、笑ってない」

 そんな調子で茜とじゃれていると、

「……?!」

 再び、脳裏に映像が去来する。

 また、茜の下着。

 しかし、今度は上でなくて下のほう――パンツだった。

 パンツが微妙にきちんと履けていなくて、お尻の上のほうが少し見えてしまっている。

 もちろん、その上からスカートが隠してくれているから、実害はないのだが。

(茜、ちゃんと着替えてるのか?)

 ブラジャーとは違って、スカートに手を入れてパンツを引き上げる――というのは、いくら友達でも抵抗を感じる。

 光は、言い出したくても言い出せず、手をひくつかせてしまった。

(あぁ、あのパンツがもうちょっと上にいけば、ちょうどいいんだけど……)

 その瞬間、茜のパンツがひとりでに上に動いた。

「!」

 光は、眼を見開いてしまう。

 茜は急いで振り向いて、

「ちょ、ちょっと光! 今、お尻触った?!」

「いや、触ってない」

 光は、両手を振った。とても、お尻を触れる位置ではない。茜もそう分かったらしく、不思議そうな顔をした。

 けっきょく、「気のせい」ということでカタがついたのだが。

(またやっちゃったか……)

 光は、ひそかに嘆息した。

 「第六感」と同じく、光の周囲では不思議なことが起こることがあった。

 物がひとりでに動いたりするのである。

 手に持ったスプーンが、いつの間にか折れてぽとっと落っこちたり、机の引き出しが勝手に開いたり。  

 フェンシングの試合でも、そういうことが起こった。

 フルーレの剣先が、ありえない軌跡を描いて曲がり、相手選手の思いも寄らないところに攻撃をヒットさせたりするのだ。

 先の試合で、実力のあるはずの茜を完封してしまったのも、それが一因だった。  

(ちょっと、ズルしているみたいだけど。……これも、灯が助けてくれている……のかな?)

 妹の可憐な姿を思い浮かべ、光は目を伏せる。

(僕は、妹に助けられる資格なんてないのにね……)

  

 光と茜は、二人で体育館を出た。

 そして、すぐに二人ではなくなった。

「キャーっ! 真崎先輩よー!」

 出待ちしていたギャラリーの生徒たちが、一気に光へ突進してきたのだ。

 さすがの光も、その勢いに一瞬立ち尽くしてしまう。

「真崎せんぱぁぃっ、駅までご一緒してもよろしいでしょうか……❤」

「あ、あぁ……いいよ。いっしょに帰ろうか」

 光は、なんとか「自然な笑顔」を装った。

「「「キャーッ!」」」

 集まった生徒たちが、耳が痛くなるような声で鳴く。

「ちょっと光……相変わらずすごいね。どうにかならないの、これ?」

「……僕に言われてもね」

 やれやれ、と言う風に、光は両手を掲げて見せた。

 しかし……本当は、光は、茜の言葉を聞き流している。

 その代わり、目線を高速で動かし、取り巻きの女子生徒たちの頭の上を巡回していた。

 集まっている新一年生の中で、自分好みの幼くて可愛い子がいないかどうか、探していたのだ。


 光の妹、灯はかつて、人間離れした容姿をしていた。 

 人形、あるいは妖精のような。

 今年の新一年生も、都会の中学生というだけあって、それなりに見た目は洗練されている。

 それでも、灯に匹敵するほどの美少女となれば、そうそういるものではなかった。

(ダメか……。あぁ、可愛い幼女と、お友達になりたい……!)

 ふと、後輩(光のストライクゾーン外だ)が、話しかけてくる。

「せんぱいせんぱいっ、フェンシングすごくかっこよかったです! 毎日、練習されてるんですか!?」

「……うん。しているよ」

「すごーいっ♡ 熱意がおありなんですね!」

「あぁ……とても想っている。この思いが止められないんだ……どうしても、どうしてもね!」

 妙にズレた台詞だったが、光に自覚はない。

 後輩は、ぽ~っと目を蕩けさせ、光に見入ってしまった。

(いないよな、やっぱり……。灯ちゃんみたいな可愛い子なんて)

 ひそかに、ため息をつく。

 あきらめかけていたが……

 光は、ふと立ち止まった。

 いま、この場には、そこまで可愛い子はいない。

 しかし、光の頭の中に、あるイメージが去来していた。

 例の、「第六感」らしい。

 いちめん緑色の芝生に、幼い女の子が駆けていく様子。

 「灯そのもの」と思えるほど、灯に良く似た美幼女だった。

 あくまで、イメージで、細かいところまでは見えないが……それでも、体や顔の輪郭、長い髪などが灯そっくりだ。

(バカな……!? こんなに、灯ちゃんにそっくりな子が……っ!)

 刹那、光は走り出した。

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