Chapter 14
私がイギリスの大学で修士課程へと進み宮路と離れ離れになってから、彼と頻繁にメールのやり取りをした。研究や論文の進み具合からお互いの日常生活の近況まで、さまざまな内容のメールを送り合った。ふたりが自宅で時間が取れた時にはビデオ通話で話した。カメラを通して他愛のない話をしたり、一緒に食事をしたり、コーヒーを飲んだりした。宮路はイギリスでの生活の様子を知りたがり、私はよく大学の話をした。私の留学先の研究室は、世界各国から集まった優秀で野心に溢れた学生が多くいた。私の研究室の仲間の話をすると、宮路は興味深そうに聞いていた。
そして彼は繰り返し、私の不在を寂しいと言っていた。
日本から離れ約3ヶ月が過ぎた頃、宮路とビデオ通話をしていると冬休みの話題になった。
すると彼は突然「あー、やっぱりダメだ。可奈、悪いけど、ちょっとこのまま待っててくれる?」と言い残し、何か忙しなく作業をし始めた。私は邪魔をしないように通話をそのままにして、キッチンに行きティーバッグをふたつ使いミルクティーをいれた。
私が大きなティーカップを片手に戻ってくると、スクリーンの向こう側で宮路が満面の笑みを浮かべ私を待ち構えていた。そして得意げに「可奈に会いに行くよ」と言った。
私の冬休みに合わせて、彼はロンドン行きの航空券を購入していた。私は驚きはしたものの、嬉しさを隠せず笑顔で「待ってるね」と答えた。宮路にもうすぐ会えることに胸が弾んだ。
宮路は12月の終わりに、ロンドンから車で1時間半の場所にある私のフラットにやって来て、10日間滞在した。
ヒースロー空港までバスで彼を迎えに行き、私のフラットに着くや否や私たちは会話をすることもなくセックスをした。久しぶりに再会をして、歓喜の感情が溢れだした恋人たちのように抱き合った。宮路が私と会えたことを心から喜んでいるのを全身で感じ取れた。そんな彼を見ていると、私の顔にも自然と微笑みが浮かんだ。久しぶりに抱かれた彼の腕の中で、自分の居場所に戻ったような感覚を覚えた。
連日天気が悪く寒かったので、近くの街中に買い物に行く以外は外出することもせず、私のフラットの中で過ごした。フラットは新築で家具付きの40平方メートルほどのワンベッドルームで、私が人生で暮らした中で一番小さな空間だった。玄関を入ると廊下があり、右手に必要な物が揃ったこじんまりとしたキッチン。バーカウンターの向こう側はリビングルームだった。廊下を挟みキッチンの反対側がバスルーム。その隣にクイーンサイズのベッドが占領する寝室があった。それでも、普段1日の大半を大学で過ごす私には充分すぎる広さだった。
宮路の滞在3日目はいつものようにお昼少し前に起きだし、前日に買ってきた食材でアメリカ式のブランチをふたりで作った。パンケーキとソーセージ、ベイクドポテトにスクランブルエッグ。パンケーキは粉っぽい味がしたが、バターとシロップをたっぷりかけて食べるとなかなかおいしかった。食事をしながら宮路も私も紅茶を2杯ずつ飲んだ。
食事の後街へ買い出しに行くために、私たちはシャワーを浴びて身支度をした。いざ出かけようとした時に、どちらからともなく口づけると、そのままベッドまで戻り私たちは再びセックスを始めた。
宮路は私の上に覆い被さり、愛おしそうに私の身体を両腕で包み込んで、私の中に挿入してこれ以上進めない一番奥まで押し込みながら、「愛してるよ、可奈」と優しく囁いた。
その言葉が私の耳に届いた瞬間、脳が機能するより前に目から涙が溢れ出していた。私は両手で彼の胸を叩きながら、大きな声を上げて子どものように泣きじゃくった。
宮路はうろたえて、「ごめん、ごめん。思わず口からでちゃったんだ……まだ早すぎだよな。可奈の心の準備ができるまでもう言わないから。な?泣き止んでくれよ……」と困った顔で懇願した。
私の中で次から次へと湧き出てくる支離滅裂な感情を理解も処理もできず、私は混乱の渦の中にいた。
「……そうじゃない……そうじゃないの。嬉しい……はずなんだけど。でも、よくわからない……私も言いたいのに、その言葉が喉に引っかかって……出てこないの……」
私は泣きながら精一杯の説明をした。
一呼吸おいてから努めても、やはり“愛してる”と発音することができなかった。私の喉は、耳にしたこともない異国の言葉を発音させられるかのように拒絶していた。
「ごめんね……でも、宮路さんのこと好きです。大好き……」と泣きながら笑みを浮かべて言うと、宮路も「大好きだよ、可奈。キミを幸せにしたいんだ」と静かに言った。
自分の中にある宮路への愛情をもう否定することはできなかった。宮路のことを愛しいと思っていた。彼と一緒にいたかった。彼に愛されることが嬉しかった。
それでも、私の人生からこのまま真咲が消えていってしまうのは耐えられないことだった。真咲と過ごした毎日を、過ぎ去った過去にはしたくなかった。それだけは受け入れたくなかった。私は真咲を信じていた。
真咲のことを想い続け、彼が約束の日に私を迎えに来てくれることを夢見て、それでいて私が宮路を愛してよいはずがなかった。
真咲のことを話そう……
それで宮路が私から離れていってしまうことが、私にも宮路自身にとっても最善の結末のように思えた。
私は考えがまとまると、数回大きく深呼吸をして気持ちを静めた。
「私、宮路さんのことが好き。でもね、私はあなたに愛してもらうわけにはいかないの」
自分の決心から逃げ出さないように、しっかりと宮路の目を見て話した。
「私には再会を夢見てる人がいるの。私が27歳の12月……あと5年……そっか、あと5年後だ」
口に出してみて初めて時間の流れを実感した。心が引きちぎられた真咲との別れからもう、約束の半分の時間が過ぎたんだ。
「彼と約束してるの。初体験の日に約束したことに期待するとか、最初の恋人との結婚を夢見るなんて、あまりにもナイーブだって自分でもわかってるんだけど……それでも私は、その日をずっと待ってる。例え彼が忘れてしまったとしても、私はその日が来ない限り彼を諦めきれないの。だから……」
終わりにしよう、と言いたかった。言わなければならなかった。それなのに、どうしても言葉が続かなかった。私は宮路に愛してると言えない上に、終わりにしようとも言えない卑怯な人間であることを自覚した。
さらに、そんな自分自身に同情するかのように涙を流す自分が許せなかった。
「前に可奈が言ってた、もう誰かを好きになれないっていうのは、そういうことだったのか……」と宮路は全身から力が抜けたように言った。
私は座ったまま利己的な涙を流し続け、宮路は両手を頭の後ろに回し仰向けになったまま、白いのっぺりとした天井を見つめていた。
しばらくしてから宮路は上半身を起こして、私と向かい合った。
「それで、可奈はどうしたいんだ?俺とどうなりたいの?俺にどうしてほしい?」
私は首を横に振りながら「わからない……」と小さな声で言った。
宮路は天井を見上げてため息を吐き「それってさ、俺に丸投げってこと?俺が続けたければ続けて、嫌なら去れって言ってるのか?続けたとしても、5年後に昔の恋人のところに戻るまでってことだよな?」と初めて宮路は私に怒りのこもった表情を見せた。
「あのさ、俺にとってこの状況がどれほど残酷かっていうの、キミはわかってるの?」
私は小さな子どものように首を横に振りながら「わからない……」と繰り返した。
本当にわからなかった。わかりたくなかった。今の私には自分の気持ちさえわからないのだ。
宮路はまた大きなため息を吐き、目を閉じたまま右手で髪をかき上げた。
長い沈黙の後、宮路は座ったままの私に「可奈、ごめん……」と言い、突然強い力で私をうつ伏せに倒し無理矢理に挿入してきた。私は枕に顔を埋めたままわけがわからず、両手をついて起き上がろうとすると、彼はその手を強く掴み「ダメだ、逃げないで」と言って私の自由を奪ったまま乱暴に動き始めた。
「愛してる、可奈」と私の耳元で苦しそうに繰り返す彼の声を聞きながら、私は徐々に押し寄せてくる強い快感の波に身を任せるしかなかった。
私がそのまま絶頂に達すると、彼は仰向けになり私を上に乗せた。
彼は私の腰を大きな手で捕まえて強い力で動かしながら、「可奈、一度でいいから、ウソでもいいから、愛してるって言ってみて」と私を見上げながら宮路が言った。
彼が間断なく与え続ける強い刺激で言葉が出なかった。思考力も奪われ「愛してるって言って」と繰り返され、まるで催眠術にかけられているみたいだった。
そして、私は絶頂に達する瞬間に溢れてきた言葉を口からこぼした。
「宮路さん……愛してる」
宮路は私の腰を抑える手によりいっそう力を込めて、私を3回動かすと大きく腰を突き上げ呻き声をあげて射精した。
彼は倒れ込む私を優しく受け止めて「ありがとう」と言った。
私はこぼれる涙を拭う気力すら残っていないまま、眠りに落ちる寸前にもう一度「愛してる」と呟いた。彼に聞こえたかどうかはわからないが、その状態で出せる言葉は、私の本心でしかありえないと思った。
私が目を覚ました時、宮路はベッドにいなかった。
先ほどの会話の後で、いるはずの場所にいない宮路の存在は私を大きく動揺させた。
ベッドから飛び起きてバスローブを羽織り、走ってリビングルームに行くと、キッチンでコーヒーを作っている宮路が見えた。
「目、覚めた?コーヒー飲む?」と宮路はいつも通りの優しい笑顔で尋ねた。
私は寝ぼけた子どもが母親を探すような足取りで、彼の胸にしがみついた。
「……もう、いないかと思った……」と私は顔を彼の胸に押し付けたまま言った。
「俺、今、見知らぬ国にいるんだよね。可奈のところで囚われの身で、ここから放り出されると生きていけないっていう過酷な状況なんだ」
宮路は私の髪をゆっくりと撫でながら、私に言い聞かせるように話した。
「しかたがないから、どうにか生きながらえてみるよ。行けるところまでがんばってみるよ、俺なりに」
私は彼に心からのありがとう、と、ごめんね、をどうしても伝えたかった。私は床にひざまずき、愛情をこめて彼の身体を愛撫した。
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