Chapter 3
自転車との衝突事故の翌日、私は放課後の真咲との約束を朝から一日中心待ちにしていた。そのせいで授業にあまり集中できず、時間がひどくゆっくりと過ぎていった。ようやく最後の授業が終わると、急いで正面玄関へ向かった。
私たちが通うインターナショナルスクールの学費は驚くほど高く設定されていた。それはほぼ、先進国の平均年収の手取り1年分に近かった。生徒たちは皆、経済的に恵まれた家庭の子どもたちで、さまざまな国籍の保護者たちは例外なく教育熱心だった。私たちのキャンパスは森の中にあり、幼児部から高等部までの全校生徒の約1000名が在籍していた。広い敷地内には、校長室や事務室がある本館を中心に、活動目的別の建物が数多く建っていた。初等部は本館の西隣にあり、歩行者専用の小道を挟み正面に中等部があった。中等部の北隣には、2年前に建て替えられたばかりの高等部の校舎があった。そのほかにも、食堂館、幼児部、体育館、講堂、科学学習館、室内プール、サッカーコート、テニスコート、ホッケーコートなどさまざまな建物や施設が整っていた。
学校の制服は、初等部から高等部まで同じもので統一されていた。左胸に校章が入った紺色のブレザーに白い長そでのシャツ。ネクタイは紺、白、赤の斜めのストライプ柄だった。暑い日には、左胸に紺色の糸で校名がスティッチされた、白いポロシャツの着用が許されていた。寒い季節はブレザーの下に、左胸に白で校名がスティッチされた紺色のセーターを着用した。男子生徒はグレーのパンツ、女子はグレーに白い細い線のチェックパターンの入ったスカートだった。
ブリュッセルは季節を問わずよく雨が降る街だが、その年の7月と8月は特に雨に見舞われ、20℃に達しない日が多かった。ところが、9月に入ると連日快晴が続き、珍しく30℃を超える暑さが続いた。
暑さのせいで新学期初日からほぼ全員の生徒が、白いポロシャツを着て登校していた。私も真咲もその例外ではなかった。私が玄関に着くと、外でガラスの壁に寄りかかり携帯を触っている真咲の姿がすぐに目に入った。同じ制服を着ていると、私よりも背が高く大人びた容姿の真咲は、私の下級生には見えなかった。
開放されていたガラス製の玄関を通り外に出ると、私は「真咲!」と明るく声をかけ駆け寄った。
彼は手元の携帯から私へ視線を移し、「Hi (やあ)」と無表情に言った。
真咲に会えることだけを一日中心待ちにしていた私は、彼のその一言でようやく本来の目的を思い出した。
そうだ、今日は真咲と英語で話さなきゃいけないんだった……
日本人とふたりきりでの英会話にはずいぶんと違和感を覚えたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。私はできる限り自然に会話をしようと努めた。
私はまず手始めに「元気?」と尋ねた。
「うん。でも今日は長い一日だった」と真咲はぶっきらぼうに答え「可奈は?ケガは大丈夫?まだ痛む?」と私の手首と膝に目をやった。
私はその時に初めて、真咲のイギリス訛りの英語を耳にした。
「動かすとまだちょっと痛むけど。でも平気。ありがと」と微笑んだ。
真咲は「じゃ、行こうか」と正門へ続く坂道を下り始めた。
彼の隣を歩きながら「真咲はブリティッシュ訛りなんだね」と言った。
「うん。俺は2歳から英語を習い始めて、4歳の時に1年ちょっとロンドンで暮らして、そこで幼稚園に通ってたんだ。その後は日本に戻ってここに来るまで、普通に都内の小学校に通ってたけど」
私は短い文をつなぎ合わせ、しかもかなり時間をかけて話したが、真咲は私のたどたどしさなど気にする様子もなく、彼のいつも通りの速さで話していた。
「そうなんだ。英語は真咲の母国語じゃなかったんだね」
彼の英語を聞いた瞬間、てっきりネイティブスピーカーだと思い込んだので、外国語として学んだという事実は意外だった。
「でも、ロンドンで生活してたのは5歳までってことだよね?すごい!それでも英語、覚えてたの?」
今まで帰国子女と多く出会ったが、就学前に日本に帰国して、真咲ほど流暢に外国語を話せる子には会ったことがなかった。
「そんなことあるわけないじゃん」と真咲はあっさり否定した。
「日本に帰ってからも、俺の親がいつもロンドン近辺出身の先生を見つけて、俺に英語を習わせたんだよ。ちなみに、俺のお母さんもブリティッシュ訛りだけど、お父さんはアメリカの大学で勉強したから、アメリカ訛りなんだ」
「真咲のお母さんがイギリス人なの?それとも、お父さんがアメリカ人なの?」と自然な流れで他意なく質問した。
「いや、俺の親はふたりとも100%日本人だよ」と真咲は言った。
私は真咲の返答をうまく理解できず、首を傾げた。そんな私の表情を見て彼はいたずらっぽく笑った。
「可奈、俺はゆっくり話したりしないから、もし俺の言ってることがわからなかったら、何度でも質問して。そうじゃないと、練習してる意味ないし。あと、クリシェだけど、間違いを気にしないで。言いたいことがあるなら、とりあえず単語だけでもいいから言ってみて。べつに俺は、可奈の英語を採点してるわけじゃないんだから」
真咲の助言は、私がそれまで外国語を習った先生たちが幾度となく繰り返してきたものだったのだが、不思議と彼の言葉は私の心にすっと浸透した。
そうだよね。真咲は私の会話の上達のために練習に付き合ってくれてるんだ。だから、伝えたいことをちゃんと言わなきゃ意味がないんだ。
さっそく私は彼の忠告に従い「さっき真咲が言ったこと、もう一度言ってくれる?」と頼むと、真咲はおかしそうに笑いながら繰り返した。
「俺の親はふたりとも100%日本人だよ」
やっぱり私の聞き間違いじゃなかったんだ。
私たちは4台の監視カメラが設置されている正門を抜け、大通りまで出た。
真咲が私に「どうしよっか。昨日と同じ、そこの公園に行く?それとも、ほかの場所の方がいい?」と聞いた。
真咲とふたりでどこに行けばよいのかわからなかったので、私は「そこの公園にしようか。この天気を楽しまなきゃね」と答えた。
大通りを渡り公園に入ると、広場の真ん中にある大きな木を指差して、真咲は「あそこまで歩けそう?」と私を見た。
「うん。全然平気」と答え、木を目指し歩き出した。
木陰に入ると、一気に気温が下がった感じがした。真咲はバックパックを芝生の上に置き、その隣に座ろうとして私に振り返った。
「そっか、可奈は膝が痛いんだっけ。ごめん、忘れてた。ベンチに移動しよう」とバックパックを拾おうとした。
私は彼の心づかいを嬉しく思った。
「ここで大丈夫だよ。ここに座ろう」と私もバックパックを地面に下ろした。
あ、スカート汚れちゃうかな……でも、ここでそんなこと気にする人なんていないか。
瞬間ためらった私を、真咲はケガのせいだと思ったようで、私の腕を支えて座るのを手伝ってくれた。真咲のそういった優しい心づかいは驚くほど板についていて、それがより彼を大人びて見せた。
私は少し照れながら「ありがと」とお礼を言った。
真咲も私の隣に腰を下ろし、遠くに見える池をしばらく眺めていた。湿気のないサラリとした軽微な風がとめどなく吹いていた。好きな男の子とこうして一緒に放課後の時間を過ごせることがとても幸運に感じられた。
「俺は、生まれてすぐに今の親の養子になったんだ。俺が生まれる前に、産みの母親と俺の両親の間で決められてたんだって。だから、名前をつけてくれたのも、生まれた時から育ててくれたのも今の両親で、ほかに親はいない。遺伝上の父親は誰かも知らないし、きっとその人は俺が存在すること自体知らない」
彼は淡々と私に説明した。彼の口調から、今までに何度も同じ説明を繰り返したのだろうと想像ができた。
「そうだったんだね。真咲は運がいいね。そんなにきれいな人間に生まれて、とってもいい親に育てられて」
真咲は少し驚いた表情をして「そんなこと言われたの、初めてだけど……そうかもしれない」とひとり言のように呟いた。
その日以降、私たちは毎日一緒に下校し放課後の時間をふたりで過ごした。月曜と木曜は英語で話し、火曜と金曜はフランス語で会話をした。天気がよい日には公園に行き、雨が降る日はお互いの家で過ごし、時折りブリュッセルの街中に出かけたりした。午前中授業の水曜は、夕方に真咲がフットサルの練習に行くまで一緒に勉強し、日本語で話した。土曜の午前中は、塾の国語コースにふたりで通った。
私たちは傍目には不自然に映るほど一緒にいるようになった。真咲と一緒に時間を過ごせば過ごすほど、私には彼といない時間の方が不自然に感じるようになっていった。
真咲を相手に英語とフランス語での会話を始めて最初の数週間は、私の発言はたどたどしく、時間をかけて言葉を探し、文を組み立てながら話した。真咲は私が言い淀んでも決して日本語で話すことはなかった。たまに私が言いたいことが伝わらずに困り果てると、彼はしびれを切らしたかのように私に日本語で言うように促し、それを聞いて外国語での言い回しを教えてくれた。1ヶ月が過ぎる頃には、真咲との会話が言語にかかわらず心からの自然なコミュニケーションとなっていた。後になって真咲との会話を思い出しても、話した内容は覚えているが、何語で話していたかを忘れていることがよくあった。
真咲と話すことで、苦手だった会話がおもしろいほど早く上達していった。ただ、私は発音が不得手で、真咲に同じ単語を繰り返し発音するようにお願いすることがしばしばあった。
「真咲は何語を話しても発音が上手だよね。羨ましいなぁ。私もいつかもっとうまくなるのかなぁ……」と私は嘆いた。
「俺はかなり練習したから」と彼は、当然だ、というように言った。
「そうなの?!私はてっきり、生まれ持った才能みたいなものがあるんじゃないかって、諦めかけてたよ。ほら、“彼は歌がうまいね”とか“彼女は最初からピアノが弾けたよ”みたいな。でも、外国語はだれも最初からうまいはずないかぁ……」と私は自らの練習不足を自覚した。
「んー、どうなんだろうな。もしかしたら、音楽の才能みたいに生まれつきの発音のよさっていうのもあるのかもしれないけど。でも、俺の場合はそんな才能ないよ」
「でも、イングランド人の英語の先生だって、真咲の母国語が英語だと思ってたじゃん。それにフランス語だって、誰と話しても真咲を外国人だと思わないし」
「俺にだって、いまだに苦手な音はあるよ」
「そうなの?」と私は驚いて尋ねた。
「英語だとTHとRの組み合わせとか、フランス語だとROUで始まる言葉とか。オランダ語のUIなんて、たまに言い直すし」
「ふーん……なんか、意外。真咲を見てると、どんな言葉で話してても、苦手な発音があるなんて思えないよ」
「まぁ、英語は小さい頃から叩き込まれたからね。しかも、訛りは違うけど、世界どこにいてもよく耳にするし。フランス語は8歳から始めたけど、こっちに来る前はラジオで練習したし」
「ラジオ?」
「そう。たぶん、どこの国もそうなんだろうけどさ。ラジオのパーソナリティって声が似てる人が多いじゃん?特にフランス語の男のパーソナリティは、俺にはみんな同じ声に聞こえるんだよね。早口なのに聞きやすくて、丁寧過ぎる言葉づかいじゃなくて自然だし。だからラジオを聞きまくって、真似して、繰り返して練習したんだ。意味がわからない言葉でも、とりあえず真似して発音したりして」
「うわぁー、真咲ってすごい努力家なんだねぇ。そっかぁ、私もがんばらなきゃ」
真咲と話すたびに、彼がいっそう魅力的に見えていった。彼をよく知るごとに、彼への想いが強くなっていった。私の狭かった世界を、真咲が広げてくれるように感じていた。
真咲と出会う前にも、何人か男の子を好きになったことがあった。目が合うだけで胸が躍ったり、その子も私と話したいと思ってくれるといいなとか、私を好きだと思ってくれるといいな、という願望のような気持ちを特定の男の子に対して抱いた。しかし、私の真咲への気持ちは、それまで経験したどんな“好き”とも違っていた。もっと利己的で、より強欲だった。いつも一緒にいたいと願い、彼に私をもっと見てほしいと切望した。近づきたいと熱望し、少し近づくともっと親密になりたいと欲深くなった。彼の長い指を見ると触れられたいと思った。彼の喉や肩や胸を見ると、時折り私の身体の奥にある何かが揺さぶられた。
真咲との会話練習のおかげで、クラスメイトとも自然に話ができるようになっていった。日本にいた頃のように、毎日学校で行動を共にする仲のよい女友だちもできた。さまざまな国から来ている生徒で成り立つクラスは明るく、楽しく、刺激的で、学校生活を以前にも増して謳歌できた。本格的な寒さが降りてきた頃には、私の視界から国籍や文化の違いの概念は消え去り、ひとりひとりが個々の人間としてしか見えなくなっていた。おそらくそれは、真咲が常に見ていた世界なのだろうと思った。
私が中学1年の頃は、クラスメイトによく真咲について質問された。私たちが毎日一緒に帰る姿は、誰が見てもカレシとカノジョに見えていたようだった。私にとっては嬉しいことだったが、いつも「彼は私の親友だよ」と説明した。ほかにどう説明してよいのかわからなかった。
相変わらず真咲は女の子に人気があるらしく、彼の下級生や同級生のみならず、私の同級生や上級生からもデートに誘われることがあるようだった。真咲は私に女の子の話をしなかったが、噂話は音の速さでみんなの耳を駆け抜けた。そんな時はいつも、真咲に恋人ができたら私はどうなるのだろうと心がざわめいた。
その頃の私は、真咲の恋人になりたくなかった、と言えばウソになるが、いつも通りに毎日彼と一緒に時間を過ごすことができればそれで満足だった。間違った一歩を踏みだし、現状を壊してしまうことだけはしたくなかった。
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