中編:ストリート・ストーリィ7
事務所を出て約二時間、街はその姿を完全に夜の顔に変えていた。
街灯、看板、車のライトが飾り、騒音が動きを与える。
その中に歩道を歩いているササキの姿があった。
不意にその足が止まり、同時に手を顔の高さまで持ち上げ、首を傾ける。
直後、後方から飛んできた飲料の入った缶が手の中に収まる。
飛来した缶は頭のあった空間を貫いていた。
避けていなければ後頭部に痛打を与えていただろう。
そんな路上での突然の現象に驚きもせず振り返って投げた主にササキは問う。
「危ないですね。知っていますか? 当たったら痛いんですよ、コレ」
「気づいてたし受け止められたろ。ならイイじゃねーか」
答えたのは明るい雰囲気を持った男だった。
髪は短めの銀色、灰色のコートを着た身体はササキより頭一つ分高く、体格も良い。
少々厳つい作りの顔には小さめなレンズのサングラスが引っかかっていた。
年齢は大凡三十前後。手や肩に荷物は無いが、無手の物腰ではない。
知人ではないが知っている。
あの夜に一目見て以来、ずっと焦がれていた相手だ。
逸る心を抑えながらササキは尋ねる。
「これはお返しした方が?」
「嫌いじゃなけりゃ飲んでくれ。間違えて買っちまってな」
口元を笑みを浮かべたまま、男は自分の手の中にある缶コーヒーを見せてくる。
彼の背中の後ろには自販機があった。そこでつい先程買ったものなのだろう。
銘柄も一致しており、缶の温度からしても間違いは無い。
投げ寄越したのはどうやら処分に困っての事だったらしい。
「解りました、それでは頂きます。ココアは大好物ですので」
ササキは微笑で受け答え、缶の封を切る。
そして口をつけようとした所で、男が声を掛けてくる。
「ついでになんだが、代金代わりに話相手になってくれねーか?」
「いいですよ。ただ長くなるようでしたらもう一本頂きますけど」
「オーライ、交渉成立だ。楽しもうぜ」
そう言うと男は手近な壁の傍に移動し、寄りかかる。
ササキもそれに習って隣に移動し、二人は缶の中身を一口下す。
自販機らしい安物の味、缶の温度、街の音。加えて男の様子。
それらを一通り楽しんだ後に、ササキが切り出した。
「それでどんな事です? 話したい事って」
「おいおい、焦るなよ。俺は別に相談したいなんて一言も言ってないんだ」
男は大袈裟で芝居がかった仕草を交えて答える。
「どっちかってーと会話そのものが目的だったんだぜ? なんか人恋しくなってな」
「そうですか。ならなんで僕を選んだんです?」
「なんでだと思う?」
「僕しか居なかった……訳は無いですよね。通行人なら、ちらほら見かける訳ですし」
ササキの言葉の直後に、二人の前を通行人が通り過ぎる。
この通り、選択肢が無かった訳ではない筈だ。
恐らくは気まぐれ、或いは話し掛け易かったなどだろうが、多少は気になった。
「誰でも良かった訳じゃないさ。お前さんに断られてたら諦めてたよ」
事も無げな様子で男は答える。
手足に僅かな震えや動作のずれも無く、口に張りついた笑みの深さは変わらない。
教科書に載せられる程の、見事なポーカーフェイス。
そんな彼へ、ササキは問いを重ねる。
「そこまで僕を気に入ったんですか?」
「ああ、気に入った」
男は大きな笑みで嬉しそうに頷く。
「参考までに、どの辺りが原因でしたか?」
「原因とは良くない言い方だな」
「好きに置き換えてください。で、何処です?」
苦笑を交えつつ、ササキは返答を催促する。
「そうだな、物腰と……」
男はそこで一旦言葉を区切り、
「――持ち物かね」
「へぇ……そうですか」
答えを聞いたササキは缶で口を塞ぐ。
惰性や誤魔化しではなく、本心である事は判っている。
男の返答の際、一切揺らがなかった雰囲気に生じた僅かな歪みが確かな証明だ。
特にその種類が戦闘に関わる者のそれだった事が一番の収穫だった。
想定の中でも最高であり、自らの反応を抑えるのに一苦労をする程に。
「失礼しました。此処に来て長いんですか?」
暫しの時間を経て、波が収まった所でササキは口を開く。
「いや、此処は初めてだ。それと日本自体が久し振りだな」
男はしみじみと感傷に浸っている様な表情で答える。
「そうでしたか。前は何処に?」
「大陸さ。仕事の関係でその中を色々渡り歩いてた。お前さんは?」
「此処がメインです。用事とかで東京や大阪に行った事もありますけど」
努めて冷静を装って、ササキは答える。
「なるほど、地元民って訳だ」
「別に愛着とかは無いですけどね」
「ニホンジンなら基本そんなもんだよな。今なら特にだ」
と言って男は自らの後頭部を撫でる。
そんな彼の様子――声音や動作、呼吸の一つ一つを改めて丹念に観察する。
その結果、彼の発言に嘘はないとササキは判断した。
この街で荒事に関わっているなら自分の名を知らない筈が無いからだ。
正規系の所属なら話は別だが、とてもではないがそういう風には見えないので除外する。
名前に関してだが、知名度だけならかなりのものと自負があった。
単なる実力では一流の山に埋もれる程度だが、条件を入れると即座に特定出来るからだ。
尋ねる相手を間違えなければ、それこそ安酒一杯の対価で突き止められるだろう。
男が見立て通りであったなら……よっぽどか、本当に知らなかったかのどちらかになる。
そんな彼が何かに気づき、驚いた様子を見せた。
「てかお前フレッシュ……もしかしてネイキッドか?」
「あ、判ります?」
ササキは若干澄ました風情で応じる。
「ああ。動作に無機質な最適化も無いし、義肢としてのムラも無いからな」
「そういう貴方は完全義体ですか。加えて脳の置換や増量も行っている様ですね」
「へへ、判るか」
男は照れた様に笑った。
サイバーウェア――義肢、人工臓器などの総称であり、こういった世界の定番である。
特に脳の電子処理機能の付加は現代社会での生活において必須のものと化していた。
大規模都市では比喩ではなく人口の九割前後が処置を受けている程である。
その用途は様々で、元来の医療以外にファッション等の娯楽系にまで利用されている。
無論、軍事関係……戦闘方面は言うまでもない。
筋力、反射速度増加、防弾装甲、各種追加機能の付与。
強靭な肉体や高度な技術を短期間で入手出来るのだ。
利用されないと考える方がおかしい事である。
ただ様々なものに相性が存在する様に、サイバーウェアが適合しない人間も存在した。
その症状はサイバーアレルギーと呼称され、そちらも研究の対象となっていた。
要因は様々で軽度ならば改善可能だが、根本的な解決は未だといった具合である。
男が口にした言葉はそれぞれ電脳化のみと、それすら無しを示す俗称だった。
此処までくれば予想がつくと思うが、ササキもそちらに含まれていた。
それも電脳化すら不可能――完全な生身である。
当然ながら戦闘という極限状況において大きなハンデであり、無謀以外の何物でもない。
そんな身でありながら一流の領域に居る事が、先の知名度の高さに繋がっていた。
缶を傾けるササキは、そこで缶の中身が無くなっていた事に気づく。
それを良い機会だと断じ、動いた。
「さてと……やらないんですか?」
「何をだ?」
「元々そのために声を掛けたんでしょう? 今此処でも、構いませんよ」
ササキは低くゆっくりとした声で告げる。
缶で隠れているが、その口は獰猛性を帯びた笑みの形に変わっていた。
この瞬間、他全ての事象が思考から消えていた。
白兎組もマオ達も、どうだっていい。
目の前の相手と踊れるなら、他の全ては些事と打ち捨てていた。
しかし、そんな所で水を差したのは男だった。
「冗談だろ? 勿体無いじゃねーか」
男は変わらない様子で拒否を口にする。
拒絶、否定ではなく、拒否である。
予想していなかった返事に意を削がれたササキは、呆気に取られた状態で問いかける。
「勿体無い、ですか……それはやらない方じゃないですか?」
「お前さん……ムードとか頓着しないタイプか?」
「食いっぱぐれるよりはマシだと考える性分でして」
ササキは空いている左手で後頭部を掻く。
「もう少し拘れよ。じゃないと損するぞ」
「出来ない方が損ではないですか?」
「満足出来なかった方が残念だろ。簡単にやり直しが出来るもんじゃないんだしよ」
「そういう考え方があるのは知っていますが、最高の状況に心当たりがあるんですか?」
唇を尖らせながらササキが言うと、自信に満ちた声で男が答えた。
「ああ、すぐに来る」
「僕がそこに辿り着ける確証は?」
「お前のやる気、もしくは運次第ってトコか?」
「……判りました。努力してみましょう」
感服の言葉を漏らし、ササキは頷く。
確たる証拠が無いにも関わらず受け入れてしまったのは、納得してしまったからだった。
その時が確実に、遠からず来るという予感があった。
故にこそ、不満無く受け入れられた。
「ああ。待ってるぜ」
と言った男は自販機へ向かう。
そして新たにココアを買うと、それをササキに向けて放ってきた。
「ほれ、受け取れ」
「これは?」
「長話になった分だ。またな」
答えは聞かずに男が去っていく。
「では、また……」
一瞥したササキもまた、逆方向へ歩き出した。
――――――――
あとがき
用事があるので次回更新は確実に遅れます。
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