中編:ストリート・ストーリィ6
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信用とは使い重ねるもの也。使い減らすものに非ず。
――商人の心得
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「ん……」
肩を揺すられ、ソファに座らされていたマオは目を覚ます。
正面を向いた視界に映ったのは応接スペースらしき部屋だった。
目の前のテーブルには湯気を細く立ち上らせている、カフェオレの入ったマグカップ。
ただ、ミルクの量が多目らしくかなり白い。恐らく砂糖も大量に入っているのだろう。
肩の感触に視線を向けると、隣に安堵の色を浮かべるアリスが居た。
「……此処は?」
「白兎組の事務所、だそうです」
「白兎組……白い兎の?」
「そう、です」
マオの問い掛けに、アリスはこっくりと頷く。
白兎組の名と評判は、マオも知っていた。
場所も考えると彼等に保護されたと考えるのが自然か。
そこまで思考が至った所で気を失う直前の事を思い出し、声が漏れる。
「あ……」
「何かありました?」
「いや……なんでもない」
アリスの様子を確認したマオは、自身の首を揉みつつ返事をする。
胸中では状況の整理と推測を始めていた。
首輪は無くなっている。他に拘束も無し。
ウェブへの接続は……可能。アリスの様子も悪くない。
最後に襲ってきた相手は、彼女の様子を見る限りどうにかしてくれたのだろう。
情報を揃え、推測を始めようとした所で事態が動く。
「起きたか?」
ドアが開き、水牙が入ってくる。
後にはササキの姿が続く。
アリスに恐怖などの反応が無い事を確認して、マオは最低限の軽い警戒を纏う。
「いきなりで悪いが、話をさせて貰うぞ」
向かい側に座った水牙は最低限の前置きだけして、用件を切り出してきた。
確認の形こそ取っているが、拒否権が無いのは明白。
マオは雰囲気に怯えたアリスの手を握り、不安を和らげる。
「その前に一つだけ、あんたは誰?」
「白兎組若頭、黒木水牙だ。お前は?」
「マオ。苗字は無いよ。ついでに立場もね」
マオは自嘲混じりの言葉で自己紹介に応じる。
「ストリートキッズか。その子と一緒なのは、ほぼ偶然か?」
「そうだよ。オレ達を捕まえたのってアンタ達?」
多少刺々しい態度で尋ねるマオ。
あれが最良とはいえあんなやり方をされた以上、友好的に振舞う謂れは無い。
そこを承知しているらしく、水牙は平然と進めていく。
「果たすべき仕事ってやつだ」
「なるほどね」
マオは相槌を共に小さな嘆息を一つ。
自分達は助けられた訳ではない事を理解した。
それを踏まえてマオは問いかける。
「それでオレ達をどうする気? どっかに売り飛ばすとかすんの?」
「待ってマオ、この人はそういう訳じゃないって、言ってくれたの」
二人のやり取りに不安そうにしていたアリスが割って入ってくる。
白兎組の評判を考えると在り得る話だ。
しかし彼がどんなに善人だとしても組織に属している以上、組織の利益を優先する筈。
故に、安易に信頼出来なかった。
それ以外にも取引がある場合、足元を見られないためのポーズでもある。
そしてもう一つ、根拠の無い善意は信用ならないという経験則もあった。
故にマオは警戒を解かず、水牙に問い正す。
「ホントに?」
「ああ、お前が寝てる間にな。別口に追われていたって事は……当たりか」
水牙は聞いた情報を手持ちを擦り合わせ、勝手に納得している素振りを見せる。
「そういう口振りって事は、オレの意識を飛ばして捕まえたのはアンタの手下?」
「やり方が荒かった事は謝ろう。お前の方でもそうだが、時間が惜しくてな」
と言って片手で軽い謝罪の仕草を取り、水牙は頭を下げる。
立場のある人間が頭を下げたのだ、受け入れる他道は無い。
少々溜飲を下げたマオは気になっていた事柄を尋ねる。
「……なら答えてよ。どうやってこっちの足取りを掴んだの?」
「ワンダーランドのオーナーからの連絡があってな、それでだ」
「まあそこからだよね……」
順当な所だと感想を抱き、マオは頷く。
良くしてくれるオーナーだが、此方を庇うまでの義理など無いのだ。
他人より身内を優先するのは当たり前。そこを怒るのは筋違いでしかない。
「間違っても怨むなよ。こっちがちゃんと扱う条件で売らせたんだからな」
「判ってるよ。そういう人じゃないってのも」
マオはため息をつく。
此処までの話を一通り終えた所で、水牙は今の話を始める。
「さて、本題に入ろうか」
その言葉を聞いたマオは表情はそのままに意識を切り替える。
そして、水牙が問いかけてきた。
「自分達が何故、誰に追われていたか知っているか?」
「カワモトがアリスを探してるって事なら知ってるよ」
マオの言葉に、横でアリスが頷く。
この情報も既に掴んでいた情報らしく水牙は淡々と続けてくる。
「その理由はどうだ?」
「知ってたら、何かくれるの?」
わざとらしい笑顔を作り、マオは尋ね返す。
「それなりにな。君はどうだ?」
「……知りません」
話を振られたが、アリスも首を横に振る。
マオが素直に答えなかったのは勿論信用出来ないからだ。アリスにしても同じだろう。
そこは水牙も判っているらしく追求は無い。後々聞ければ十分だと判断したか。
「こっちの、今のオレの要求を言っていい?」
「言ってみろ」
「この娘の安全。今だけじゃなくって危険の排除ね。それとそっちの目的を聞く事」
「目的というと、今のか?」
「そう、ちゃんと言葉で聞いておきたくってね」
「わかった。目的は治安の安定化だな」
マオの捕まった立場とは思えない態度の質問に、水牙はあっさりと答える。
確かに褒められた姿勢ではないが、進行を優先したのだろう。
「て事は具体的にはカワモトさん達には穏当に、早々のお帰り願うで合ってる?」
「それで間違いない」
水牙は頷く。
「なら、解決策の一つにアリスの引き渡しがあるけど」
「それは最後の手段だ。基本やらないと思ってくれ」
「なんで? 楽な手じゃん」
マオは薄い笑みを浮かべて言い放つ。
自分の言葉に身体を震わせたアリスと握った手に、力を込めながら。
「確かにそうだが面子の問題だ。企業に尻を振るって評判がつくのは好みじゃない」
そこまで言ってため息を挟んだ水牙は、更に言葉を続ける。
「それに組としても個人的にも、そういうのは嫌いなんだよ」
「それなら安心したよ。それでなんだけど、取引してくんない?」
「取引? 何についてだ」
「アリスを簡単に渡したりしない事。出せるのはそっちが知らないであろう情報ね」
マオは涼しい顔のままで条項を提示する。
「……中身を言ってみてくれ」
「カワモトが狙ってる原因、アリスの持つものについて」
「その条件なら構わないが、やる必要はあるのか?」
「あれば少し安心出来るよ」
当然と言った口振りで答えるマオ。
取引の内容自体は無いに等しい事は理解している。
重要なのは取引をしたという事実だった。
少年が現在最重要としていたのは、アリスの安全の確保である。
しかし彼自身に実行出来るだけの力は無い。
それを白兎組がやってくれると言っているに等しいのは、嬉しい事ではあった。
が、駄目なのだ。
白兎組が無償で動いているでは、駄目なのだ。
「こっちは元々お前達を守るって言ったつもりなんだが、それじゃ駄目なのか?」
水牙は悩ましげな表情で問いかけてくる。
進行を優先していたが、流石に意図の不透明さを見過ごせなかったのだろう。
「そっちこそ、難しい内容じゃないんだし、二つ返事で了承しないの?」
「そんな無責任な事出来るかよ。せめて取引する理由を聞かせてくれ」
「あんたの善意から言ってる。でもそれは気分が変われば無くなる程度だ」
ならばとマオは本心を口にする。
尊いもの、しかしあやふやなものに己の身はおろか、他人の身を預ける。
そんな真似がどうして出来ようか。それも信用も無い相手となれば尚更だった。
「……そういう見方もあるな」
苦虫を噛み潰した様な顔で水牙は言った。
怒りと共に否定したい所だったが、納得できてしまったが故だろう。
駄目押しに、マオはもう一つの理由を口にする。
「それにさ、組としてもって言ったじゃない」
「ああ、そうだな」
「そういう言葉が自然に出てくる程度には大事に思ってるんでしょ?」
「その通りだ」
水牙は頷く。
「それって……所属している以上の要素も込みでしょ」
「まあ、そうだな。色々と返し切れない恩がある」
「だから組のためって名分で最悪を避けようとしてしまう、そう思えたんだ」
マオは殊更に平坦な声で告げた。
「そんなに組と俺が信用出来ないか? 評判は悪くないと思うんだが」
と言って水牙は顔を後ろに向ける。
視線の先に居たササキは微笑を崩さす、手を振るのみ。
手助けしてくる気配は無い。絶対に面白がっている。
援護は諦め顔を戻すと、マオは断定的に言った。
「組の評判は知ってる。だから信頼出来ないのさ。特にあんたの事がね」
アリスが隣で不思議そうな表情になっているが、流石に構っている余裕は無い。
一方の水牙は発言の意図を判っているらしく、厳しい表情をしていた。
故に彼女への解説も兼ねて、マオは言葉を続ける。
「目先の利益に流されず筋をしっかり通す、情に流されないタイプだと思ったよ」
「だからこそ、か」
「もっと単純で感情を先走らせてたら迷ったけど、真摯な対応をしてくれたから余計にね」
マオが善意を否定するのは先の理由だけではない。
消える以外に、事情などによって消されてしまう事を危惧していたからだ。
ワンダーランドのオーナーがそうした様に。
全てを好き勝手になど出来る訳が無い。優先順位が出来てしまうのは当たり前。
企業ですら逃れられない現実であり、無力な自分はより実感している事だ。
大切な組がある水牙はそちらを優先するだろう。いや、しなければならない。
そういう立場であり、個人としても望んでいるだろう。
それで容易に切り捨てられないために、マオは取引という形を求めたのだ。
「……随分と高く買ってくれているじゃないか」
長いため息をついた後で、水牙は重い声も吐き出す。
「それでもそういう態度なのは昔か?」
「オレ自身に被害は無かったけど、グループの面子が半分ね」
答えたマオはカップに手を伸ばす。
「なるほど。実体験も込みか」
「結論は出た?」
「ああ、契約はしよう。代わりに一つだけ言わせてくれ」
「どんな事?」
「単なる文句だ……」
水牙はそう言って目を閉じて息を吸った。
「見縊るなよ、小僧。ガキと交わす約束一つ守れなくて、極道やってられるか!」
そして鋭い目つきで、優しさの消えた強い声を放つ。
テーブルに叩きつけた拳の衝撃で、カップなどが宙に浮き、耳障りな音を立てる。
マオは何とか耐えた。アリスは身体を跳ねさせた。
最早壁の華と化していたササキはやはり僅かな微笑みを崩さず、静かに眺めているのみ。
一喝を終えた水牙は力の抜けた声を発する。
「大人が矜持を賭けて見栄張るって言ってるんだ。信じろよ」
「じゃあしっかりやって信じさせてよ」
マオは意地の悪い笑みで返す。
多少落ち度はあったが、大の大人を出し抜いて自ら定めた目的を達せられたのだ。
喜ばない理由が無い。
一方の水牙は拗ねた様子を見せていた。
「判ってるよ。ったく……お前みたいなガキは嫌いだ」
「小賢しい所?」
「そうならないと生きていけなかった所だ。ガキはバカで無鉄砲な位が丁度良いんだよ」
水牙は負け惜しみじみた言葉を吐く。
そうやって相好を崩し始める二人の間に、ようやくササキが介入する。
「雑談を興じるにはまだ早すぎませんか?」
「そういや、あんたは何?」
「フリーの傭兵で今は彼に雇われています。ササキと呼んでください」
問われたササキは朗らかに答える。
「そっか、よろしく」
興味が湧かなかったマオはあっさりと流した。
代わりにアリスへ、伏せていた情報の公開を許可を取る。
「それでだけど、話していい?」
「……うん」
少々の逡巡の後に、アリスは頷いた。
それを受け、マオは自分が知っている範囲を話し始める。
「んじゃ、アリスの事なんだけど、道具無しで遠隔のロボを操作したんだ」
「それだけか?」
「それだけ。この状態でね」
マオはアリスの髪を持ち上げ、彼女のうなじにある接続口を見せる。
「救命用のバイタルデータも見れない状態で、出来ると思う?」
「なるほどな。企業さんも血眼になる訳だ」
と言って、水牙は納得した反応をした。
それらが示す意味と、結果の異常性を理解してくれたらしい。
「そういえば、それって元々?」
「は、はい。そうです」
マオが話題にした所で気づいた疑問に、アリスは肯定で答える。
「おいおい、そんな事すら知らなかったのかよ」
「無理はやめてよ。まともに会話してる時間なんて全然無かったんだから」
そう言ってマオは大袈裟に頭を振ってみせる。
出会ってからの時間は長く見積もっても半日も経っていないのだ。
落ち着いて会話出来た時間に至っては一時間にも満たない。
信頼関係の構築すら出来ていない状況で、どうやって聞き出せというのか。
「それで良く助ける気になったな」
「悪い?」
「いや、そんな薄い関係性なのに何故やっているのか、と思ってな」
「最初に逢った時にうっかり助けちゃったからだよ」
「それだけか?」
「……それだけだよ」
やや間を作り、マオは目を逸らしながら答えた。
これは本心だ。嘘偽りなど一つも無い。
やっと落ち着いた、とアリスが眺めているとササキが小さく手招きをしていた。
「一段落、ですかね」
ソファの端――ササキの方へずれた所で彼が話しかけてきた。
その時の声は、二人には聞こえない小さなものだった。
「そうみたい、ですね」
「ああそれと」
なんでもない様な事、という調子でササキは続ける。
「二人は貴女の何かが原因だと認識しています。覚悟が決まったら話してあげて下さいね」
「――――っ!?」
その言葉に、アリスは全身を硬直させる。
思わず視線を向けるが、その微笑からは何も読み取れない。
そんな少女を他所に立ち上がったササキに気づいた水牙が声を掛ける。
「何処か行くのか?」
「はい、独自に動いて情報を集めてみようかと。何かあったら急行しますので」
「判った。こっちも情報を集めて詰めておく」
「それでは」
そう言って部屋を辞するササキ。
「ん、どうしたの?」
「な、なんでもないっ」
マオに訊かれたアリスは慌てた様子で手を振る。
「……まあいいか。オレ達はどうすればいい?」
「今は大人しくしてろ。多分面倒を頼む事になるだろうからな」
と水牙は席を立つ。
そして彼も部屋を後にした。
――――――――――――
あとがき
正直、書いててきっついシーンでした。
どうも王道的なストーリーは肌に合わないみたい……。
これが王道かと言われたらごめんなさいするレベルですが。
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