中編:ストリート・ストーリィ5
マオは林立するビルで形作られた細い路地を走る。
後ろにはフードを目深に被ったアリス。
視界が狭まり危ないが、見つかる危険性を考えれば比べるべくも無い。
「どこに、行くの?」
「知り合いの娼館。そこのオーナーはこの辺りの顔役の一人でね」
マオは僅かに顔を向け、アリスの質問に答える。
「ショウカンって……誰かを呼ぶの?」
「字が違う。娼婦の館、風俗店の方」
「ふうぞ……」
意味を理解したアリスは顔を赤く染め、言葉を途絶えさせた。
そして数秒の沈黙の後、更に問いかけてくる。
「そういうの、好きなの?」
「違う違う、さっきも言ったけどこの辺りの顔役で、仕事の口利きとかしてくれんの」
マオは息を乱さない程度に笑いを零す。
「それでその人が、助けてくれるの?」
「昔カワモトに酷い目に遭わされたらしいから嫌がらせになるって判れば、多分いける」
アリスを不安にさせないよう、言葉を選びながらマオは答えた。
「それに結構繋がり広いみたいだから、繋ぎを取るだけでもしてくれるさ」
言ってからマオはアリスの様子を窺う。
努力してみたものの、とてもじゃないが安心出来る言い方にならなかったからだ。
今の状況で落ち込まれるのは、正直苦しい。
しかし、その心配は徒労に終わる。
アリスは走る事に精一杯で、落ち込む余裕など無い様子だったからだ。
良くはないが悪くもない。
そうして暫くの間、走っていく。
「ん~……元々そんなに遠くないんだけどな」
顔を顰めたマオは速度を緩めると手で曲がる事を示し、角を折れていく。
スーツ姿を見かけてはルート変更。
既にもう何回もやっている事だ。
目的地へは、本来そこまで時間の掛からない筈であった。
しかし見つからない様に遠回りを余儀なくされ、未だ辿り着けずにいた。
時間だけ見れば、歩いてでも到着出来る程度に経過している。
そりそろアリスの体力などが心配になってくる頃合だ。
しっかりと足を止め、振り返ったマオは尋ねる。
「足とか、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
答えるアリスの息は少々荒い。
弱音を吐かない姿勢は好感触だが、限界は遠くない筈だ。
「おっけ、さっさと人ごみに紛れられたら一安心なんだけど……」
マオはアリスを壁に寄りかからせながら思考を回す。
主なものはこの先の行動について。
取る手の大筋は主に二つ。行くか、待つか。
安全策を取るなら、どちらにしても見つからない様にするだけ。
代償は主に時間、懸念材料はアリスの体力。
身動きが取れなくなった所で見つかれば、どうしようもない。
そう、見つかればどうしようもない。隠れ切れる保証は無いのだ。
ならば見つかる危険を冒して最短距離での移動をするべきかもしれない。
幾ら企業が強者とはいえ、無関係の相手に強行策を取るとは考え難い。
辿り着けさえすればなんとかなる。そう信じている。
今現在便りにしている人物は情に厚い。
少なくともアリスの様な少女を、理由無く袖にする真似はしない。
だからこそ、頼る相手として選んだのだ。
「そろそろ移動するよ」
呼吸が整ってきた事を確認して、マオは声を掛ける。
だが、それは少々遅かった。
思考に没頭していたあまり、周囲への注意散漫がその結果を生んだ。
「――おい、そこのお前」
太い声が後ろからやってくる。
逃げ出したくなる気持ちを抑え、マオは振り返る。
そこに居たのはミラーシェードをつけた黒スーツ。明らかに追手だと判った。
単純に逃げても身体能力の差ですぐ捕まる。どうにか口で切り抜けるしかない。
「なんか用? ぶつかったりしてない筈だけど」
マオはアリスを自分の背中で隠しながら、左手で彼女の手を握る。
「人探しをしている。そっちの隠している顔を見せろ」
「そういう事に憶えある? ……首を横に振って」
尋ねる振りをして、マオは小声で指示を出す。
アリスはそれに従い、首を振る。
「違うってさ。というか探してるなら画像なり見せてよ」
「これだ。良く見ろ」
男がホロウィンドウを展開させ、見せてきた画像はアリスに間違い無かった。
予想通り過ぎて、悲しくなってくる。
「……やっぱり違うね。他当たってよ」
「なら顔を見せろ。違うなら問題無い筈だ」
「悪いけど断らせてもらうよ。隠してるのは酷い傷痕があるからだし」
と言って、マオはアリスを背中に隠す。
その反応がいたく気に障ったらしい。男は怒気を強め、凄んでくる。
「……痛い目を見たいか?」
「本当に違ってる場合どうしてくれんのさ? 慰めるのも楽じゃないんだよ」
マオは精一杯の虚勢を張る。
沈黙の中で起こる視線の衝突。
暴力を用いて強引に進めてこないのは、良心の呵責故か。
「判った。見せる代わりにイエローぐらいくれてやる」
ため息をついた男は、懐から実物を出してくる。
小遣いと言うには多い額だ。交換条件としては悪くない。
渋々なのは彼のポケットマネーなのだろう。だとしても良くはないのだが。
「ちょっと人の話聞いてんの?」
マオは押し付けられたカードを男の顔の前に出しながら抵抗する。
「お前達ストリートキッズだろう? 違っていたら儲けもので終わるだろうが」
抵抗は突破され、アリスのフードに手が掛かる。
観念して、マオは動いた。
「――ぅのおっ!」
思い切り振り抜いた左手が男のこめかみを打ち抜く。
体格、体重の差があろうとも急所への攻撃は利いたらしく、男の身体が泳いだ。
そのままマオの背中側へ転がる。
それがいけなかった。その際に手がフードをひっかけ、アリスの顔が晒される。
「あ――っ」
男が転がりながら声を漏らす。
喜べ、最早隠れる必要は無くなったぞ――マオの思考の、妙に冷えた部分が囁く。
「くっそ、走るよ!」
「は、はいっ」
マオはアリスの手を取り走り出す。
男は追おうとするが先の一撃が良かったらしく、立ち上がる事すら出来ていない。
「あぐっ……見つけた! 俺の位置から東に向かって、同年代の男が一緒だ!」
此処からはもう単純な勝負だ。
一刻も早く目的地に飛び込むしかない。
「待て!」
背後で喚き声が聞こえた。
しかし同時にある筈の銃声が無い。
やはりアリスの捕獲が目的なのだろう。
「はいこっち!」
マオは手近な角を抜け、男の視界から逃れる。
せめてもの抵抗なのだが、幾らもしない内に角から男が現れる。
巨大企業のエージェントが生身である筈が無い。
マオ達は全力で走っているが、瞬く間に距離を詰められる。
そのまますぐに捕まる……とはならなかった。
「なんだ、こいつら!?」
横手から現れた清掃用ロボが男を邪魔してくれたからだ。
突進だけではなくアームを振り回し、男の行動を阻害する。
単純な暴走ではない。明確な意図のある行動。
「――邪魔しやがって、待てクソっ!」
前からも別の男が現れるが、そちらにも同じ様にロボが突撃し妨害する。
男とロボが争っている横を、マオ達は擦り抜けていく。
「このっ……!」
絡んでくる機械を蹴り飛ばし、男がハンドガンを抜く。
アリスの足を撃ち抜いて逃走を阻止するつもりだったのだろう。
「撃つな! 殺害は厳禁、可能な限り負傷させるなとの指示だっただろう!」
「~~~~っ!、さっさと止めないと逃げられるぞ!」
もう一人に止められ、僅かな逡巡の後にハンドガンを戻して走り出した。
「うーあ、物騒極まりないな。もう」
一連のやり取りを背中越しに聞いて、マオは呟く。
とりあえず、向こうの扱いではアリスの命が保証されている事だけは確定した。
それが死よりマシかとは別問題だが。
アリスの様子が気になるが、フードのお陰で見ている余裕が無い。
「もう少し……!」
目の前に雑多で活気ばかり目立つ大通りが見えてくる。
前にスーツ姿は無い。飛び込みさえすれば追跡は困難だろう。
追いつかれる可能性は、更に現れた円筒形の汎用作業ロボが潰してくれた。
「ありがとうっ」
マオは擦れ違い様にボディを叩く。
ロボは特に反応せず、エージェントに突進していった。
そして二人は大通りに飛び込む。
――雑踏、人の声、流行の曲、雑音――
楽しそうな声が多いが、たまに怒声や泣き声が混ざる。
幸いにも休日なお陰で非常に大量の人間が絶え間無く動いていた。
端には露店が並び、雑踏や会話で騒がしい。
夕方の現在でも中々に見通しが悪い。日が落ちれば探索は困難を極めるだろう。
「絶対に手を離さないで、はぐれたら合流出来なくなるから」
「は、はいっ」
しっかりと手を繋ぎ、二人は人波の間を進む。
追手のやってくる様子は、無い。
「やっと一段落か……」
移動を続けながら、マオは安堵の様子を息を吐く。
そこから先はそこそこ順調であった。
アリスが流されかけたりなどはしたがその程度だ。
しばらくして二人は大通りから外れる。そこから少し移動して、目的地が見えた。
「あそこ?」
「そう、あそこ」
問いかけてくるアリスに、マオは頷く。
尋ねてくる理由は判っている。
店の外観がとにかく地味で、雑貨屋か何かにしか見えなかったからだ。
その辺りも好評の要素らしいが、今は置いておく。
「ありがとう……」
「あ、……うん」
アリスに笑顔と共に礼を贈られたマオは戸惑い混じりに笑い、視線を逸らす。
ほんの少しの気の緩み。その程度のつもりだった。
しかし、それすらを許さないとばかりにマオの後頭部に衝撃が走る。
「――――っ!?」
痛みによって視界が明滅、衝撃で身体が泳いだ。
殴られた、敵の攻撃、倒れられない。逃げないと。
だが、意志とは裏腹にマオの身体はうつ伏せに倒れる。
「逃げ――ぐぶっ!?」
即座に立ち上がろうとするが背中を踏みつけられ、それも叶わない。
「くそ、くそっ!」
マオは身を捩り、手足を振り回して抵抗を見せるも、状況は好転しない。
更に最悪な事に首を掴まれ、そのまま何かを巻きつけられる感触が来る。
恐らく、電脳面から作用して相手を無力化する、非殺傷型の拘束用具。
それは手早く装着され、無慈悲に起動される。
「あ――」
意識が途切れる瞬間、アリスの悲壮な表情が視界に入る。
結局、守れなかった。約束も果たせなかった。ごめん。
ちくしょう。
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