中編:ストリート・ストーリィ2
数日後の昼過ぎ、同都市の下層地域。
見上げれば天地を貫く超高層の群れと、外の景色を映す偽りの空。
水平に視線を戻せば粗雑な建物で構成された、人工の森の形容が相応しい空間。
その中でもビルの隙間で構成された細い路地を、小柄な赤毛の少年が一人で歩いていた。
年齢は十歳前後、気は強そうだが幼さのある顔つき。
袖を何度も折り上げたジャケットと、ベルトで強引に締めたズボン。
どちらも身体より大きく、ぼろぼろで質の悪い代物。
全体的に決して清潔とはいえないをしていた。
少年の名はマオ、単なるストリートキッズである。
技無し家無し身寄り無し、妙な血筋も秘めたる力も何も無い、ただの子供。
無力で出来る事など無いに等しい、社会的には存在しない立場の人間である。
彼の様な存在は現代では珍しくなく、適当なスラムを覗けば幾らでも見られた。
彼等が生まれたのは企業が原因の一つと言ってよいだろう。
企業が支配的に振舞う現代において、人間は資産の一つである。
育てるにしても選別があり、故に身寄りの無い者は候補から外れやすい。
そもそも社会からドロップアウトした親から生まれてしまったなら、尚更である。
無論セーフティネットは存在するが、当然ながらその懐にも限界はあった。
彼もそうして生まれた弱者、その他大勢の一人であった。
以前は孤児院に居たが、半ば自主的に離れていた。理由に関しては些事としておく。
ともかく、日々の生存すら容易くない環境にあった。
故にこうして歩いているのは遊びではなく、生活に必要なものを手に入れるためである。
「――きゃっ!?」
そんなマオの背中に軽い衝撃と声がやってきた。
ぶつかって目の前で倒れた相手に、マオは手を差し出す。
「っと、気をつけなよ」
「ご、ごめんなさい……」
相手の少女が謝りながらマオの手を握って立ち上がる。
その際、彼女の顔に意識が向く。いや、違う――意識が吸われた。
その状態に自覚はあったが目を逸らせず、鼓動の高鳴りに身体が硬直する。
それは、少女が手を離してくれるまで続いた。
「ありがとう……」
少女は頭を下げた後、弱々しくも微笑んでから再び歩き始める。
「…………」
そこで一度落ち着いたマオの意識は、彼女の外見に向いていた。
年齢は恐らく同年代。多く見ても十五に届く程度。
腰辺りまで伸びた綺麗な金髪と赤い瞳がまず目を引いた。
穏やかな表情が似合う端正な顔つきに、綺麗な色白の肌と人形を思わせる華奢な体躯。
深窓の令嬢を思わせる美少女、それが彼女に対するマオの評価である。
此処までなら眼福に思うだけで済んだのだが、現実は違った。
顔には疲れの色が出ている事が、まず一点。
そして彼女の服がアンダースーツの様な首から下を指先まで包み込んだ代物な点。
幾ら昔と違いデザインの幅が広がったとはいえ、そんな姿で出歩くのは一般的ではない。
加えて移動中に引っ掛けたりしたのか、所々が破れたりしている事実も見逃せない。
「はぁ、ふぅ……」
喘ぐ様に息を吐きながら、少女はふらつく足で歩を進める。
その足取りは、遅い。
見るからに訳あり、それも緊急性が高い状況だとマオは判断した。
大方何処かから逃げ出し追われている辺り。大穴では家出か。
何にしても手を出せば厄介事に関わるのは確実。
助けた所で、生活の足しになるものが得られるとは思えない。
だから手助けする必要など無い。
平穏を望むなら、このまま見送るのが一番の正解に違いない。
「んー……」
マオは悩ましげに唸り、小さくため息をつく。
考えられる手は一応、他にもあった。
逆に金にするために捕まえる、というものだ。
追手に差し出せば、謝礼の一つでも貰えるかもしれない。
もしくは適当な場所に売り飛ばせば、あの外見ならそれなりの金になるだろう。
彼女が肉体的に限界を迎えている事は明白で、捕獲自体は簡単。
見捨てたとしても、あの状態では遠からず見つかって捕まる筈である。
末路が変わらないなら、得のある方を選ぶべきだ。
身勝手だがそういう考えでなければ、生きていけない立場なのだ。
形振りなど構っていられない。それは贅沢だ。
実際、今日の晩飯の目処も立っていない。
ただ実行に移したとして、望み通りにいくとは限らない。
追手に差し出しても、知った奴は殺す理論や力尽くで奪われるかもしれない。
そうなれば無力なマオは、なすがままになるしかない。
ほぼ確実なマイナスか、安全なゼロか、不確定なプラスか。
「――、――――!」
悩んでいるマオの耳に慌しい音が届く。
外れていた視線を戻すと、少女は変わらぬ速度でゆっくりと移動していた。
彼女は気づいていない様子だった。
聴覚に意識を回している余裕すら無いのだろう。
――重ねて意識する。
確かに日々の生活すら厳しい現状で他人を助ける余裕は無い、と。
そうしてからマオは自らの手と、離れていく彼女の背中を見比べる。
脳裏に先程の感触が蘇える。
「……はぁ」
色々要素を天秤に掛けて……自身が導き出した結果に、マオはため息をついた。
馬鹿な事は山ほど承知している。それでもこの答えが出てしまった。
後悔は現在進行形でしているが、曲げるよりはマシなのだから仕方が無いのだ。
そして、少年は動く。
「ちょっと待って」
マオは少女に駆け寄ると彼女の手首を握り、引っ張った
予想通り簡単に彼女の態勢が崩れたので、そのまま抱き上げる。
その身体は予想以上に軽く、柔らかい感触をしていた。
「へ、――ひゃあっ!?」
「ちょっと此処に隠れてて。悪い様にはしないから。静かにしてて」
突然の事態に慌てる少女へ、マオは一方的に告げる。
近くにあったコンテナの傍へ移り、その陰に身体を下ろした。
近づいてきた音に、少女がやっと気づいてすぐに大人しくなる。
「……間一髪かな」
道の端に寄って邪魔にならない様にしているフリを装って身体で隠しつつ、マオは呟く。
直後に数人のスーツ姿の男達が、二人の傍を走り抜けていく。
先程からの音の主達だろう。
正体は企業かマフィアの関係者……どっちでも危険な存在に違いは無い。
とりあえず穏便に引き渡す選択肢は無くなったと見るべきだ。
「おい、そこのお前」
男の一人が他と短く言葉交わした後で立ち止まり、声を掛けてくる。
そのまま通り過ぎて欲しかったが、そこまで上手くはいかないらしい。
努めて平静を保ちつつ、マオは応じた。
「何?」
「女を見ていないか」
「どんなの、見てるって答えたらなんかくれる?」
マオはわざとらしい笑顔を作り、言葉を選びながら返事をしていく。
探られるのは勿論アウト。殴られるのもアウト。
正確には殴られてもいいが、少女が見られたら終わりだ。
早々に飽きられて立ち去ってくれる様に仕向ける必要があった。
「真面目に答えろ。さもないと飴玉を叩き込むぞ」
「はいはい、それでどんな見た目?」
「お前と同じぐらいの金髪の女だ」
マオの演技に気づいた様子無く、男は高圧的に問いかけてくる。
「それなら見てないよ。綺麗なら売春宿とかに聞いた方が早いんじゃない?」
必要以上に面倒くさそうな態度を露に、マオは無責任に答える。
緊張のお陰か、時間が引き延ばされた感覚に陥る。
後悔が生まれ、諦めて差し出そうとする誘惑が生まれる。
しかし同時に湧き上がる無力への苛立ちが、それを押し潰してくれた。
「……ふん、無駄な時間取らせやがって」
数拍の間の後で男は一方的に言い捨てる。
そして他と合流すべく、走って離れていった。
「……ふはぁ」
マオは無言でその姿が消えるまで見送り、溜まっていた息を吐く。
それによって緊張が解け、身体が震えた。
それから少女の方へ顔を向けると、丁度顔を上げた彼女と目が合った。
「とりあえず、危険は去ったみたいだよ」
「……あ、ありがとうございます」
ぎこちない笑みで少女は応じてくれた。
「立てる?」
マオは少女に尋ね、少し離れる。
下手に手を差し出すよりはと考えたためだったが、少女が立ち上がる様子は無い。
一応努力はしている様子だが、成功しない。
まさかと思い、問いかける。
「もしかして移動させた時に足とか怪我した?」
「いえ、その。ちょっと、疲れて……」
たどたどしく答えた少女は壁に身体を預け、完全に脱力していた。
閉じかけた目の焦点は合っておらず、意識の方も怪しく見える。
「んっと、失礼……あー、やばいかな、これ」
マオは一言断りを入れてから、彼女の具合を確かめようとして……手が止まる。
「やっぱり見なかった事にするべきかな……」
胸中に再び鎌首をもたげてくる考えを振り払い、行動を続ける。
額に手を当て、各部の様子を診て……原因は大体把握出来た。
素人判断だが疲労と脱水症状。このタイミングなのは一難去って気が抜けた所為だろう。
原因はともかく衰弱が酷い。このまま時間が過ぎると手に負えなくなりかねない。
だがマオの住処は多少の距離があり、間に合う様には思えなかった。
ならやる事は一つしかない。
「ちょっと待ってて。何か持ってくる」
マオはそう言ってジャケットを脱ぎ、少女に被せる。
そして探しに向かおうとした所に――近寄ってくる物に気づいた。
それはドラム缶みたいな汎用作業ロボであった。
「なんだよ。通報でもする気?」
少女を庇い、警戒するマオ。
対するロボは目の前で止まると警報を鳴らすでもなく、アームを伸ばしてくる。
掴んでいるのは飲み物の入ったボトル。
それはこの辺りの自販機で売っている物だった。
「くれるっての?」
尋ねると、ロボはマオの手にボトルを落として去っていく。
自分は仕事をした、こっちの都合はお構いなし。そんな感じだった。
妙な事は横に置き、マオは手元に目を落とす。
「…………」
確かに求めていた物だが、手放しで喜ぶ程能天気ではない。
何処かの愉快犯が毒でも入れ、ロボを使ってバラ撒いてる可能性は十分に考えられる。
かと言って問題無かった場合、捨てるのは勿体無い。
ボトルの外側を入念に確認すると封は開いていなかった。
「……ん~、いける、かな?」
そしてマオ封を開けて中身を少量、ゆっくりと口に含む。
味にも妙な違和感等は無い。
飲み口から中を覗いてみても異常は見られなかった。
故に一応大丈夫だと信じて、少女の頬を軽く叩く。
「ん……」
「飲める?」
そうしてマオは多少意識の戻った彼女の手にボトルを握らせる。
「うん……」
「それ飲んだら、背負って移動するから。飲むのはゆっくりでいいよ」
「判った……」
少女はぼんやりとしながらも頷き、言われるがままにボトルを傾け、水分を摂っていく。
その様子を眺めながら、マオは先程のロボについて考えていた。
物自体は恐らく市街地清掃用。
目の前に欲しがっている人間が居ても、商品を入手し無料配布する機能など存在しない。
平たく言って話が出来過ぎている。
絶対に何かカラクリがあり、少女が絡んでいると見るべきだろう。
もしかしたら無関係かもしれないが、それなら杞憂で済む。
「ふむ……」
息を吐き、マオは意識を目の前に戻す。
それはそれとして、目の前の問題をどうするか。
完璧に訳有りだが、一度手を出してしまったのだ。
既に顔は見られている。見捨て無関係を言い張っても、事無しになるとは限らない。
ならば取引材料として、手に届く様にしておく方がマシかもしれない
そうでなくても此処で見捨てたら、少女の道行きは碌でもない事になるのは明白だ。
総合的に損が少なくなるのなら、と考えると……今の選択しかない。
そう結論づけて燻っている後悔などを捩じ伏せる。
「さて、どうなる事やら……」
そしてマオは再び少女の顔を横目で見た後、彼女に聞こえない様に呟いた。
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