02 困窮した男

 男はTVが好きだった。

 空虚な仕事を終え、寝静まった住宅街の中を三速の自転車で帰る。そんな日々に唯一の楽しみとしてTVがあった。コンビニで買った発泡酒と弁当をだらだら食べながら、くだらないバラエティを観ることが癒やし。職場では最低限の会話のみで親しい仲間もおらず、わずかな休日に遊ぶ友人も、もちろん恋人もいなかった。男にとって会話とは、“温めますか”に“はい”と答える以外には、騒がしい芸人につっこみをいれるぐらい。そんな寂しい日常でも男は満足しており、TVを愛していた。

 

 インターホンの音がその日常に終わりを告げる。


「TVありますよね?」


 男は受信料を払っていなかった。そういったものがあることは知っていたが、TVとは無料だと思っていたし、払うだけの余裕はない。しかし今、扉は開いてしまっている。


「契約、お願いします」


 断れなかった。契約はしたくなかったが押しの強い人間を相手に会話する技術など、持ち合わせていない。それでもなんとかしようと手渡された契約書とパンフレットを隅々まで読む。

 そして記述を見つけた。


「はい。こちらのプランはキャンペーン中でして、今なら手数料無料で、いつでもどこでもTVを楽しむことができます」


 契約した。

 どうせ払わなければならないのならば、よりお得な契約をしようと考えたためだ。そしていつでもどこでもTVが観られる。これは男にとって夢のような話だった。

 しかし実際のとこと通常契約よりも、長期的にみれば割高で、この特別な契約もメリットばかりではないことに男が気がつくには……賢さが足らなかった。


 次の休日になると、男はすぐに案内された施設に向かった。


「いらっしゃいませ」


 数分も待つこと無く、奥のほうへ通され、椅子に座り、錠剤を渡され――。


「ありがとうございました」


 目を開けるとテレビがあった。目の前に、テレビが浮かんでいるのだ。男は驚きのあまり声が出ず、無言のまま施設を後にした。

 帰宅する途中、意味深なようで中身のない発言の司会者が人気のくだらないワイドショーを観た。どんな仕組みなのか全く理解できなかったが、チャンネルを強く思えば切り替わるのだ。品のないネタにへらへらと笑いながら自転車を漕いでいると。


「あっぶな」


 若い男にぶつかりそうになった。学生のようだ。男はテレビを観ながら自転車を漕いでいたと知られてはまずいとTVを消そうとした。


「あの、聞いてます?」


 スイッチがない。消そうと思っても、どう消せばいいかわからない。しかし学生にはTVが見えていないようだ。それなら音だけでも静かにしなければと、音量を調整する。だが逆に大音量にしてしまった。思わず“うるせぇ”と言ってしまう。


「え……」


 目線を泳がせながら、いきなり暴言を吐く男に学生は怯んだ。男は

 音量の調整方法がわからず耳を塞ぐも、効果がない。学生に“音を小さくする方法を知っているかい?”と大声で聞くと、困惑しつつも答えてくれた。


「えっと、小さくすればいいんじゃないですか」


 答えになっていない。だが男はチャンネルを変更するように、音量も小さくなれと強く思えば小さくなることに気がついた。“ありがとう”と学生に感謝すると“いえ”と丁寧に返してくれた。

 コツを掴んできたと上機嫌で、男はまた自転車を漕ぎ始める。曲がり角で消えるまで、学生は男を凝視していた。

 

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