第122話 カリスマパン屋、爆誕?

ザンジバラードを出てもまだ日は高い。


近くだし、ちょっとトーストのところの様子でも見にいくか。

最近ではあのパンが王都でも結構出回っているという話だし、ヴァランセのお持ち帰りパイの販売数も増えてるって言ってたっけ。


トーストの家のドアをノックすると、中から気の抜けた声が聞こえてきて、幽鬼がドアを開けた。


「……ああ、カール様。お久しぶりです」

「おお? おま、トーストなのか?」


頬はこけ、目は落ちくぼみ、まるでゴーストのようなトーストがそこに立っていた。


  ◇ ---------------- ◇


「いや、もう死にそうなんですよ」


そこにあった木の丸椅子に腰掛けると、開口一番トーストがそう切り出した。うん、見た目からして死にそうだね。


「隣にパン工場?ができたじゃないですか」

「ああ、先日そんなことを言ってましたね」


そこで並べられた石窯が20台。しかもこの部屋の2台よりも大型のタイプで、ひとつで20個くらいは焼けるらしい。


「あれはカリフ様が作られたのですが、それはいい笑顔で『これで、1日3000個はいけますね』なんて言うわけですよ」


3000個! 確かにこの部屋の2台x8回転で160個とか試算したから、20台だとその10倍、大釜なので更に倍!で、計算上は3200個も可能だろうけどさ。

3000個のパンの種を1個20秒で成形したとしても、全部で17時間弱かかるわけだろ。そりゃ無理だ。絶対死ねる。もちろん3000個も作ってないだろうけどさ。


「人は雇わなかったんですか?」

「一応募集して、何人か来てはくれたんですけど……」


まだ、始めたばかりだし、時間を砂時計で厳密に管理した焼成の手伝いと、型を使ったいわゆる食パンの作成くらいなのだそうだ。


食パンはあの炊き出し以来、コートロゼで結構普及した。

皆、あのおいしさと柔らかさに慣れてしまっていたので、なるべく安く提供するようにお願いして、希望するパン屋に作り方を教えて型を譲ったのだ。


「コートロゼから輸出、ですか?をしているのは、パイ類や見た目の美しいロールパンの類ですから、まだ任せられる人がいなくって」


トーストさんが力なく笑う。


「それに、ヴァランセのパイ生地もありますしね」


あー、ヴァランセうちのせいもあるのか。パイ生地は手間がかかるからなぁ……


「あ! それで思い出しました!」


トーストさんがいそいそと、腕輪――あ、no.7だ――から何かを取り出した。そこには――


「これは。もしかして……クロワッサン?」

「え? すでにあるものでしたか」


どうやらパイ生地を作ったときにあまった端切れがもったいなくて、くるくるとまいて焼いてみたら、サクサクの歯ごたえが変わったパンになったんだそうだ。


「あ、いえ、似たようなパンが文献にあるだけで、アル・デラミスではまだ誰も作っていませんし、これはもう、トーストさんのオリジナルパンと言ってもいいでしょう」

「そ、そうですか」


彼はものすごく嬉しそうに、いかにミーナが美味しいとほめてくれたかについて延々と語り始めた。

まあ、もともと娘が自分のパンを食べたとき、俺が作ったパンの方が美味しいようなことを言われて頭を下げに来たのが始まりの人だもんな。そりゃあ嬉しいだろう。とおもんばかってニコニコしながら聞いていたんだが、その語りは永遠に続くかのごとく紡ぎ出されていく。ううう、ものには限度ってものがね……


途中でカリフさんがやってきたのだが、それにも気付かず溢れるように流れ出す言の葉の群れ。最後は、カリフさんがあきれてチョップを入れるまでその独演会は続いたのだった。


  ◇ ---------------- ◇


「それにしても 3000個は無茶でしょう」


と、カリフさんに突っ込んでみる。


「ははっ、それは単に設備が理由で上限を設けられないようにしたまでですよ。押さえつけていては背は伸びませんからなぁ」

「は? そう言うことだったのですか?! くっ、私はミーナと遊ぶ時間も作らずに、ひたすらパンを作り続けていたというのに!」


膝を突いて崩れるように四つんばいになったトーストさんが涙を流している。


「まあまあ。それでカール様にお話があって来たのですが、その前にトーストさんにこれを」


カリフさんは腕輪の機能を隠すためのダミーのバッグに手を突っ込んで、いくつかの巻いて封印された羊皮紙を取り出した。


「なんです、それ?」


それを受け取りながらトーストさんが頭の上に?マークを浮かべている。


「なんといいますか、その、紹介状、でしょうか」

「はぁ……」


いぶかしげにしながら、その書状を開いていく。

トーストさん、そういや普通に文字が読めるんだよな。識字率はそれほど高くないと思っていたが……実はどっかのボンボンで、狐族の奥さんと結婚したから勘当された、なんて話があったりして。


当のトーストさんは、字面を追いかける度に脂汗をかいていく。なんだ?

急いで次の書状を開くと、思わず


「くはっ」


なんて訳のわからない音を出した。


「なんの紹介状なんです?」


と、隣ですましているカリフさんに聞いてみると、


「なんといいますか……端的に言うと弟子入りの申し込みですね」

「弟子入り?」


なんだそれ?


「弟子入りって、こちらが教えを請わなければならないような人たちばかりなんですけど!?」


とトーストさんが涙目になりながら書状を振り回している。


「って、誰から預かってきたんです?」


あは、あは、とダメな人になっているトーストさんに聞くのはあきらめて、カリフさんに尋ねた。


「さっき開いた一つ目は、アビシネラの主任パン職人ですな」


アビシネラ?ってどこかで……あ、マリーの出身レストランじゃないか! そういや一流とか王太子が言ってたような。


「二つ目は、ラズールの、こちらもチーフパン職人ですな」


ラズール? って、王室御用達の?


「さすがにデルピエーラはお断りしましたが……他にも王都の超一流がずらりと」


カリフさんが自慢するようにそう言った。

つまり、そういうお店の、主任だのチーフだの第1だののパン職人が、その店に推薦状を書かせて弟子入りの申し込みをしてきた、ってことか。


「しかし、そんな人たちがよくここに来ることに同意しましたね?」

「だって、コートロゼだ、なんて言ってないですもん」

「は?」

「きっと彼らは、王都のどっかの店、たとえばヴァランセですな。あたりだと思っているのでしょう」

「ええ?! それってまずくないですか?」


しかも彼の奥さんは狐族だ。

亜人に料理を出したからと言う理由でマリーをたたき出した店の主任とか、無理筋にも程があるだろう。


「実にまずいですな」


ああ、悪い笑顔になってるよ……


  ◇ ---------------- ◇


「まあ、言ってみれば一種の箔付けです」

「箔付け……ですか?」


心底困ったような顔で、トーストさんが応じた。


ははあ、なるほど。つまり、王都の超一流がこぞって弟子入りを志願したほどのパン職人が作っているという箔がつくわけか。


「そうなのです! これで後は小金貨1枚くらい値上げを」

「それは止めて下さい」

「ええ~?!」


庶民だって買うんだからさ。それに少々値上げしたって、数がだせないんだから儲けは微々たるものだし、イメージの方が重要なんです。

逆に数が見込めるようになれば、少し安くするくらいで丁度だし。


「商人の論理とは違いますが……」

「損して得とれって言葉があるんですよ」

「ふむ、深いですな」


「ま、これでトーストさんもカリスマパン職人ですね!」

「は? これ、断ってもいいんですか?」

「別に弟子にしたければ、弟子にすれば良いんじゃないですか?」

「ととと、とんでもない!」


そこで、カリフさんがもう一枚の羊皮紙を取り出して、トーストさんに手渡した。


「それらを断るのは構いませんが、ただ、この子だけは面倒を見ていただきたいのです」

「はぁ」


とその書状に目を通したトーストさんが泣きそうな顔で訴えた。


「これ、フィセルって書いてあるんですが……」

「フィセル?」

「王都でも有名なパン屋ですよ。ちゃんと続きを読んでください」


とカリフさん。


「次男?」

「そうです。跡取り息子でもなく本人でもなく、次男なのです」

「はあ」


カリフさんの話によると、その次男は一種のパン作りの天才らしい。一度彼が戯れに焼いたパンを食べてみたが、驚くような出来だったと。

しかし、長子相続のこの世界。長男がまるでダメ男ならいざしらず、秀才肌の努力家で、きちんとフィセルの跡を継ぐだけの実力を持っている以上、次男の出番はない。

一子相伝の技術職だけに、気軽にのれん分けというわけにも行かないらしい。


「実はうちの会頭――まあ私の父なのですが――が、先代に大変お世話になったらしく、天才肌の孫をどうしようかと悩んだあげく、私が王都で売り出したパンを食べて驚き、その書状をしたためられたわけでして」


実に断りにくく、ごにょごにょごにょ……となにやらつぶやいている。


「はぁ、わかりました。どうせ経験者が必要だったところですし、受け入れますよ。もちろん本人も希望しているんですよね?」

「ええ、ミートパイを食べて衝撃を受けたらしいですよ」

「はぁ……それで、どうやってここまで? それに住むところはどうします?」


そうだ。王都からなら、結構な距離がある。いきなりリンクドアのことを教えるわけにはいかないし、マリーと違って一瞬だけここに連れてくると言うわけではないから、ごまかすことも難しいだろう。


「あ、それなんですがね。カリフライナーの試走で連れてこようと思っているのです。それでカール様に馬車の仕上げをお願いしようと思って探していたのです」


馬車の仕上げというと、ノエリアの重力魔法付与か。それはいいけど、もう動き始めるんだ。


「住む場所は、パン工場の裏手を職人の寮にするために購入してありますので、そちらでいいでしょう」

「……いつの間に」

「くくく、最初にミートパイの話が出てから、この一角はパン街にするべく、私が買い占めたのですよ」


うん、すっかり悪人顔もサマになっちゃって。買いしめとかどんだけ、とも思うが、全然人がいなかったときだから、好き勝手できたんだろう。なるほど、商売はスピードとはよく言ったものだ。

しかし野望とはいえ、街の一角をパン街にするだけってのが善良なカリフさんっぽくて安心する。


近日中にマリウスさんの所へ顔を出すことを約束して、別れようとしたら、


「ヴァランセの2号店もすぐ完成しますから、その足で王都まで確認に来てくださいね」


と言われた。すげぇなこの人、一体いつ休んでるんだ。

ともあれ、これでケモナーマークを普及させるメドも立ちそうだ。待ってろよ~。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る