第84話 インバーク

「にーくにくにく、おーにくー♪」


リーナ、のりのりだな。


「だって今日はお肉なの、です!」


翌日も、流通拠点センターから王都まで移動すると、今度は北門の外の人気のない場所から飛び立った。

位置的には、バウンドの北から出たほうが近いのだが、なにしろ聖都の上を飛ぶことになるので、それを避けたのだ。


ソリュース川を昨日と反対に遡る。

街道は、馬車で1日くらい行ったところで、西に大きくカーブを描いて、シールサに向かうが、俺たちはそのまま、北連峰の麓付近まで北上してから連峰に沿って西に舵を切った。


北連峰は、7000m級の山々が並んでいるこの大陸一の山脈で、雲の上を飛んでいても、まだまだ山頂は上にあり、真っ白に輝いていた。


「丁度、この山を越えたところが、ドルトマリン帝国だ」

「へー、ダグさんの故郷の」

「そうだな」

「しかし、こんな凄い山脈、よく越えられますね」

「王都の東に1カ所、聖都の北に一カ所低い峠があって、そこが、東のゼレンディアと、北のドルトマリンへの入り口になってるんだよ」


それ以外の場所を越えるのは、自殺行為だぜとハロルドさんが言った。

まあ、そうだろうなぁ。


「そしてこの高山のふもとに拡がる広葉樹の森で、ドングリをたらふく食べたパーヴって鳥が美味いんだと」

「パーヴ?」

「ああ、美しい青灰色の羽と、すこし赤身がかかった灰色の毛を持った鳥だ」


パロンブだよ……。じゃあ北連峰はピレネー?


「他にもそのドングリをたらふく食べて育つ野生のボアがいてな、インバークボアとして有名だ」


ドングリを食べて育つボアか。まるでイベリコだな。


「インバークって?」

「これから行く村の名前だ。ジビエの聖地らしいぞ」


広大な樫やブナや楢っぽい木の森のドングリが育む、ジビエの一大産地ってことか。

リヨン領になってからは、厳格に狩猟制限が課せられていて、定期的に行われる魔物の討伐など、森全体が計画的に管理されているのだとか。


「さすが王兄殿下だろ?」

「そういえば、なんで、弟に王位を譲ったんですかね?」

「さあな、当時俺はまだガキだったし、詳しいことは分からないが……」

「が?」

「女と美食で身を持ち崩したとか聞いてるぜ?」


と悪戯っぽく言った。


女と美食ね。ハロルドさんも気をつけてね。


「お、あれじゃないか?」


それは、小さな湖に面した、まるでオーストリアの山間にたたずむ美しい村を彷彿とさせる、牧歌的な風景だった。


インバークの東門から少し離れたところにある、カーブで見通しが悪い場所に降りたあとは、ゆっくりと進んでいった。

アイスサイトと違って、こちらの道はきれいに手入れがされていた。


左手に拡がる透明度の高い湖の水面が、陽光にきらきら輝いている。空にはゆっくりと雲が流れ、ヒバリのような鳴き声の鳥が囀っているのが聞こえる。


「のどかだねぇ」


と、前方から、ガラガラと馬車を飛ばしている音が聞こえてくる。


「ん?」


すぐに、正面からものすごいスピードで、車軸が折れそうなくらい飛ばしてる馬車が見えた。


「お、おお?」


それを追いかけているらしい馬車の御者が、何か言ってる?


「密漁だ! そいつを止めてくれ!!」


いや、いきなりそんなことを言われても。


俺たちの馬車の隣を、ドカラっ、ドカラっと音を立てて2頭だての馬車が駆け抜けていく。これは速いわ。

すぐに、追いかける側の小さな馬車ともすれ違ったが、この速度では、離される一方だろう。


「ハロルドさん!」

「おいよ! クロまわれ」

「ひひーん」


初めてやったときは、馬車でどうやってUターンするのかと不思議だった。

馬の前足と、馬車の後輪をホイールベースと考えると、最小回転半径は相当大きくなり、とてもUターンできそうにない道が沢山あるからだ。

しかし、実際には、馬がサイドステップすることで、馬車は、馬車の重心や後輪を中心に回転するのだ。グリップ力のない車輪ならではだな。


「クロ、いけ!」


猛然とクロが走り始める。


「どっちにつきます、です?」


リーナ、それは何かの見過ぎだ。


スタート時点で 100mくらい離されているが、こっちはマリウス馬車にクロエンジンだ。あっという間に、追いかけている馬車を追い抜いて、逃げる馬車に肉薄した。


横に並ぼうとした瞬間、馬車の窓からクロに向かって矢が放たれた。

リーナがそれを信じがたい反射神経で迎撃する。これでもう敵対することは決定だ。


「ノエリア、車輪だ」

「はい」


右の車輪の直前に掘削フーィエで、50cmくらいの穴が空く。そこへ右の車輪を落とした馬車は、反動で跳ね上がって……おいちょっと待て! あれ、俺たちの前で横転するんじゃ!

目の前で馬車が横転する。2頭の馬が転倒し、割れた車輪が宙を舞う。馬車がぶつかる直前に、クロがスピードを上げ、その上を飛び越して、しばらく行ったところでドリフトするように止まった。


「ふいー。最後はちょっとスリルがあったな」

「いや、正直死ぬかと思いましたけど」


「クロは凄いの、です」


リーナがクロのお尻をポンポンしながらそう言った。


転倒した馬車の御者は倒れたまま動かない。馬車の中にいるはずの誰かも、いまのところ動きがないようだ。


後ろから追いかけてきていた馬車が、横転した馬車の少し手前で停車した。


  ◇ ---------------- ◇


「いや、ありがとうございました」


と、追いかけていた人が頭を下げる。


大けがをしていた密猟者の二人組は、ノエリアの回復魔法で死なない程度に回復させた後、後ろ手に縛っておいた。

馬車の中からはパーヴが何十羽も出てきた。どうせある程度熟成させて使うので、アイテムボックスがなくても大丈夫なのだろう。


「私は密猟の取り締まりを行っている、ライルといいます」

「私はカールです。こちらは護衛のハロルドで、こっちの二人がリーナとノエリアです」


と、簡単に自己紹介しておいた。


「それで、申し訳ないのですが――」


本来なら、積荷は全て捕まえた人のものなのは分かっているが、これは回収させてくれないかと頭を下げてきた。


「それは、無償でってことかい?」


とハロルドさんが聞くと、


「いえ、しかし買い取るにしても、これだけの数を王都価格ではとても無理ですから……」


と申し訳なさそうに話をしている。


「冒険者としては納得のいかない話だが、決めるのはカール様だからな」


まあ、ここはアイスサイトよろしく、地元の人に恩を売っておくに越したことはないよね。


「私たちもなりゆきでお手伝いしただけですので、全て回収していただいて結構ですよ。その代わりに――」

「代わりに?」

「美味しい店を紹介して下さい」


  ◇ ---------------- ◇


で、紹介して貰ったのが、村の中心近くにある酒場みたいなお店だ。


店主はミークスさんと言って、ライルさんの友人なんだとか。腕は確かですよと言っていた。

ライルさんは、後始末の手続きがあるからと、後で合流しますといって帰って行った。


「ほら、食いな」


と言ってミークスさんが最初に出してきた料理は、なんと魚だった。


「さ、魚なの、です?」


とリーナが絶望したような顔をしている。


「おう。こいつは、クレアマスだ」


クレアマス?

それは、微かにオレンジがかかったピンク色の肉質で、ミキュイに仕上げてあり、舌の上で溶けるように無くなっていく。これは美味い。上質の脂だ。

ノエリアが微かに上気してうっとりしている。海の魚とは違った、繊細な味わいだ。


話を聞いてみると、そこの美しい湖で捕れるマスで、ものすごく美味しいが、繊細すぎて扱いがとても難しく、シメてから2時間を経過すると味ががた落ちするため、アイスサイトの魚以上に王都へは持ち込みにくいそうだ。

そのため、地元以外では、ほとんど知られていない幻の魚なんだとか。幻、いいねぇ。たっぷり買っていきたいな。


「お肉が……」


「嬢ちゃんは、肉が食いたいのか?」

「は、はいなの、です」

「ははは、心配するな、この後にちゃあんと、スゲーのが用意してあるからよ」


そういって出てきたのは、大きな塩竃しおがまだった。塩竃焼きの調理法があるんだ。ちょっと尖った木槌みたいなものでパカンと割ると、なかからインバークボアの固まりが顔を出した。


「うわあ」


リーナ、よだれ、よだれ。


デクパージュというにはあまりにワイルドな切り分けで、皿の上にどすんと載せられたそれは、なかなかに迫力があった。


「はぐはぐ。んー、木の実の香りがします、美味しいのですー」


念願のお肉にかじりつきながら、リーナが満足そうな顔をしている。うん、確かに、身からナッツの風味が立ち上ってくるな。


「これは、あの果実酒が欲しくなるな」


と、ハロルドさん。いやホントに。ああ、早く大人になりたいな。変な意味じゃないよ?



インバークボアは、かなりのボリュームがあったにもかかわらず、ぺろりと平らげられてしまった。意外とさっぱりしているんだな。


「そして、これがパーヴだ」


と、最後に登場してきたのが、パーヴのローストだった。ソースは――


「なんじゃこりゃ?」

「ん、どうした?」

「いえ、なんでもありません」


肉はすごいよ。火入れはやり過ぎてる気もするけど、穀物やナッツの風味が爆発するすごいパロンブ、じゃなくて、パーヴだよ。

でもこのソースは……全然骨も内臓も使ってねぇ!サルミっぽいけどサルミじゃねぇ!甘いだけだよ!


「どうだ、そんな甘いソース、食べたことがないだろう」


とおっさん。

いや、甘いものが貴重なのはわかるし、確かに鳥のローストに甘いソースはあうよ。ただ、これはなぁ……

よし、これがこの世界のスタンダードなのだとしたら、マリーにもっと凄いのを作ってもらおう。ここは大人の対応で、


「ええ、ビックリしました」

「そうだろう、そうだろう」


ミークスさんは気をよくしたのか、他の鳥についても教えてくれた。


「パーヴが一番有名で美味いけどな、森を越えて山に近づくと、足にまで毛の生えているグルスというやつがいるんだ。こいつがクセのあるやつで、とれる場所によって、松ヤニみたいな香りがしたり、魚を焼いたみたいな香りがするんだ」


雷鳥グルースだよ……


「しかしこいつは半分魔物でな、時々光る球で攻撃してくるんだ。ま、あたってもちょっとしびれるくらいでどうということはないんだが。毎年とれる時期が短いんだが、その時期になると食べたくなる鳥だな」


雷鳥だけに、雷玉を撃つんだ。異世界恐るべし。


他にもフェザンっぽいのとか、青首コルヴェールっぽいのとかもいるらしい。森があって湖があるからな、そりゃ宝庫になるだろう。


「本当に美味しい鳥ですよね。実は今度王都でレストランを開く予定なのですが、是非インバークのジビエを取り扱いたいものです」

「なんだ、それが目的だったのか」

「まあ、半分は」


「後の半分はなんだ?」

「美味しいお肉を食べることですかね」


というと、ミークスさんは、それで魚が出てきたらがっかりしてたのか、と大笑いしていた。


「昔は、猟師と直接契約して買えてたんだが、リヨン様がいらしてからは、インバーク周辺でとれたジビエは、狩猟数を厳格に管理するとかで、全て、一度リヨン狩猟統制協会IRCCに卸されるんだ」

「じゃあ、そのIRCCから購入するわけですか?」

「まあそうだな」


「それだと、品質のコントロールは難しいですかね」

「そうだな。注文に応じて適当に割り当てられるはずだ」


うーん。良い素材を狙って手に入れられないのか。どうするかな……


「なんだ、お前ら、良い鳥が欲しいのか?」

「そりゃ、そうですよ」


「裏技もあるが……」

「裏技?」

「ああ」

「違法じゃないでしょうね?」

「もちろんだ。そんなことをしたら、インバークから追い出されちまうからな」


ミークスさんによると、インバーク内に作られた店になら、特定の猟師と契約して卸して貰っても、その数をIRCCに伝え、標準価格の5%を収めるだけで問題ないのだとか。

書類上は、IRCCに猟師が売ったジビエの数を、そのまま店で買い取っていることになるわけだ。直接物品のやりとりがなくても、数が間違っていなければ問題ないらしい。


ただし、余り取り扱いが増えるようなら、割り当てで数が制限されるということだ。


「なるほど。じゃあ後は店舗と、腕の良い猟師を捜せばいいわけですね」

「店舗ともかく、猟師はすでに会ってるだろ」

「え?」


なんと、ライルさんが、インバークでも指折りの猟師なのだとか。密漁を取り締まるためには、猟のことを知ってないとだめってことか。


「最近は取り締まりばっかりやってたみたいだから、特に何処とも契約してないと思うぜ」



「どうも耳の後ろがもぞもぞすると思ったら、私のうわさ話かい?」


とナイスなタイミングで、ライルさんが戻ってきた。密猟者の二人は、衛兵に引き渡し、密猟されたジビエはIRCCに引き渡してきたそうだ。


「馬と馬車は、あなたたちのものになりますがどうします?」


と聞かれたので、面倒なのでそちらで売って下さいと言っておいた。


「それで何の話だったのですか?」

「いやな、こいつらが、腕の良い猟師を捜してると言うから、お前を推薦してたところだったのさ」


俺は、さっきミークスさんにした話を繰り返した。


「ふーむ。カール君には借りがあるしね。いいとも、引き受けよう。ただしあまりたくさんは無理だよ」

「それはできるだけで結構ですよ。足りない分はIRCCからも購入しますから。要は最上級のものが一定量欲しいのです」

「わかった、まかせてくれ」


「そういえば、クレアマスはどこで買えばいいんですか?」

「クレアマスだ? 買ってどうするんだ?」

「いえ、これも美味しかったので、店で出したいなぁと思いまして」

「どうやって? 生きたまま輸送するのか? 絞めてから2時間ってのは冗談じゃないんだぜ? 味も素っ気もないスカスカな魚になっちまうんだ」


「そこはまあ、なにか考えますよ」

「ふむ。まあいいか。そっちはどうせ村内でしか消費されてないから、IRCCみたいな組織はないよ。この先で川漁師のシャーキーってやつが売ってるから、そこで買えばいい」


売ってる? どうやって管理してるんだ?


「ああ。とってきたクレアマスを生け簀に入れて、注文に応じて絞めるんだ。ただし生け簀に入れたものは段々やせていくから、できれば新しいものがいい。シャーキーも、あまり長く生け簀に入っているものは、逃がしてるようだな」


へー。良いところが買えるといいな。料理素材の格納に、no.9の腕輪を使えば 1/300だから、24時間で大体5分弱。クレアマスでも10日以内に出せば大丈夫だろう。


店舗に利用できるような家は商業ギルドの斡旋になるそうだから、こっちはカリフさんにまかせよう。それじゃ、どっかに小さな仮拠点を作っておくか。


「すごくきれいな村だし、小さい家が欲しいんですが、どこかに出物はありませんかね?」

「え? 住むのかい?」

「住むというか、別荘として使えればなあと」

「ふむ。若いのに、なかなか趣味人なんだね」


まあなぁ。子供が別荘とか言い出したらリアクションに困るよな。わかります。


「そうだな、少し不便でもよければ、誰もが売りに出されていることを知っている瀟洒な家が一軒あるが……」

「なんです? その微妙な言い回しは」

「いや、その家は湖の中にあるんだ」

「は?」


その家は、湖の中にある小さな島に建っているそうだ。水の中にあるのかと思ったぜ。小さいが瀟洒な屋敷で、噂によると16年前リヨン公が建てたものだと言われているらしい。

橋などはかかっておらず、移動は小舟で行うことになる。


「へえ、なんだか興味がありますね」

「いや、でもな……」


幽霊が出るなんて噂もあって、買い手が付かないそうだ。なんとここに来て幽霊譚ですか!


「ご主人様。幽霊っているのです?」


と、リーナが心配そうに聞いてくる。


「まあ、ゴースト系の魔物はいるからな。いてもおかしくはないよな」


とハロルドさん。退治できるんなら問題ないんですけど。


「わかりました。で、買うとしたら誰にお金を払えば良いんです?」

「今は教会が管理してたはずだが……」

「教会?」


何故教会が? と聞くと、わからないということだった。

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