第85話 お願いとぼったくりと不穏な紋章

気持ちの良い風が頬をなで、木漏れ日が静かに揺れている。

陽射しで斑になった道を通って、湖のほとりまで歩いていくと、50mくらい先にある小さな島に立つその家を、岸からも見ることができた。

遠目にも趣味の良さが見て取れるが、不便な場所だし、良くない噂もあるし、相場的には100万セルスでお釣りがくるだろうとライルさんが行っていた。


「ご主人様。お願いがあります」

「どうしたのノエリア。あらたまって」

「あの家は、必ず手にお入れになって下さい」

「え?」


ノエリアがこんなことを言うのは珍しい。なぜ?と聞き返そうと思ったが、あまりに真剣な様子にうなずくしかなかった。

あの家になにかあるんだろうか? だが、こんなところに来たことがあるとは思えないし……まさか、クレアマスが気に入ったから湖の上に、なんてことはないよね。


それにしても、教会が家の売買を斡旋するなんて聞いたことがないが、いったいどういう事だろう、と不思議に思いながら、教会を訪ねた。



「こんにちは」


というと、壮年の落ち着いた感じの司祭が出てきた。


「こんにちは。インバーク神聖教会になにか御用ですか?」

「はい。湖の島の家がこちらで売られているとお聞きしまして」

「……ああ、あの家ですね」


司祭は何とも言えない奇妙な顔をした。



「早速ですが、おいくらですか?」

「ええ、確か……300万セルスでしたか」


300万?! いくらなんでも、相場の3倍は、ふっかけすぎじゃないの?

ノエリアを見ると、心配そうな顔をしている。うん、ここはちょっと格好いいところを見せちゃおうかな。


「分かりました、それでは、これで」


と白金貨を3枚出そうとすると、突然、


「あ、ああ! 間違い、間違いでした」

「は?」

「確か、3000万セルスだったかな……」

「はぁ?!」


何でいきなり10倍?! ふっかけるにしても、やりようってものがあるだろう。1000万円でお釣りがくるはずの物件に、いきなり3億円の値をつけて、誰が買うんだよ!


もしかして売りたくない……のか? いずれにしても、これ以上ゴールが動いちゃかなわない。


「すみません。売買契約書はございますか? あるなら価格を確認して頂きたいのですが……」

「もちろんです。今お持ちしましょう」


といって、司祭は奧に引っ込んでいった。


……20分後。いそいそと現れた司祭は、契約書を見せてくれた。


いや、これ、今、書き足したんじゃ……価格の部分、白金貨30枚の文字の色が他の部分より薄い。

役所で大量に羊皮紙を使うようになって知ったのだが、羊皮紙に書かれた文字は削ることによって比較的きれいに消せる。そして、書かれたばかりの文字は色が薄いのだ。時間の経過と共にインクの成分が酸化して黒に近づいていくそうだ。


「確かにその金額ですね。しかし、売り主のサインが入っていませんが」

「ああ、これは失礼」


司祭はその契約書にサインした。え? 司祭が売り主なの?


「ええ、代理を承っております」


しかし白金貨30枚ね。そこまでして売りたくない理由も、売っている理由もわからない。

売りたくないなら、売りに出さなければ良いだけの話なのに、いったい何がしたいんだろう。


「……結構」


俺は白金貨30枚を取り出した。


「え? ええ?!」


司祭が驚く。そりゃそうだろう、誰だってこの金額で買おうとするはずなんてない。


「え、あ、いや、実は、3億……」

「売買契約書に30枚って書いてありますよ。ではこれを」


曖昧な態度をとる司祭に、無理矢理白金貨を押しつけて、売買契約書にサインした。

契約魔法がかけられている羊皮紙は、その瞬間白く輝いて、家の持ち主が俺に書き換えられる。司祭は、白金貨を持ったまま呆然とそれを眺めていた。


  ◇ ---------------- ◇


「ジビエの聖地とはいえ、湖の上の小さな家に、白金貨30枚ねぇ」


ハロルドさんがあきれたように言う。

しかたないじゃん、ノエリアにお願いされたんだもん。


教会で鍵を受け取った俺たちは、呆然とする司祭を尻目に、岸にある専用の船着き場から、島へと渡った。


「あれは、売らないための言い訳のようでしたけど」

「売ってるのに売りたくないって、どういうことなんだ?」

「さあ」


司祭があれほど奇妙な行動をしたからには、なにかあるとは思うんだけれどね。


「この家にねぇ」


瀟洒という言葉がとてもよく似合う、こじんまりとした趣味の良い家だ。

長く使われていないと言うから、どんな惨状になっているかと危惧したが、室内にはかすかに埃が積もっていただけできれいなものだった。


とりあえず窓を開けて風を通そうと、窓に近づくと、板状のりガラスがはまっているような窓だった。この世界の板ガラスって、まだ未発達だったんじゃなかったっけ?


「ハロルドさん。こちらのガラス窓って、ロンデル窓じゃありませんでしたっけ?」

「ああ。ん? こりゃあ……」


ハロルドさんが唸る。


「こりゃあ、ガラスじゃなくて、卵殻膜だな」

「らんかくまく?」

「シルマリルロックバードって、でかい鳥の卵の薄皮だよ」


卵の薄皮? そんなものが窓に?


まあ、障子みたいなものだと思えばそれほどおかしくはないのかな。

しかし、それって一般的なの?


「いや、全然。下手すると水晶の窓よりも高くつくぜ」


げげっ。そんなものを使える人が元の持ち主なのか? それって、白金貨30枚は実は上物の価値だったってオチなんじゃ。


「何かの結界が張られていたようですね」


とノエリアが近づいてきてそう言った。

結界? じゃ、島に足を踏み入れたとき、空気がぴりっとした清浄なものに切り替わったような感じがしたのは、そのせいなのか。


「よくないものかな?」

「詳しいことはわかりませんけど、何かからここを守ろうとした名残のように感じられます」


名残、だって?


「はい、結界自体はすでに壊されているようですが、おそらくとても強力な結界だったのでしょう。未だにその名残が残っているようです」


そんな強力な結界で何を守ろうとしたのか。そして、何故その結界が壊れたのか。なんとも分からないことだらけだな。


「おい、カール様……あれ」


ハロルドさんが指さす先を見てみると、そこにはひとつの執務机が置かれていた。そうしてその机の背板には――


王家の紋章が刻まれていた。


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年度末で多忙につき、おうちに帰れない日が発生しているため、更新が1日くらいとんだりする日が出るかも知れませんが、しばらくご容赦下さい m(__)m

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