第83話 アイスサイト
翌日、朝早く、王都へ移動した俺たちは、王都の外の目立たない場所から馬車に乗って飛び立った。
コートロゼから飛び立って、大魔の樹海の上を飛んだ方が目立たないのだが、樹海の東の果てにある赤の峰を越えるのが大変そうだったのと、そこに住んでいるエルダークリムゾンと呼ばれる赤い竜に絡まれたくなかったのだ。
そんなの万に一つもないだろうとハロルドさんに言われたが、なにしろめっちゃ幸運が何をするかわからないからな。
王都を流れる大河、ソリュース川は、王都のはるか北にある北連峰と呼ばれる高山群から流れ出し、王都を横切って、南西の遥か先で海に注いでいる。
王都の南東へ数日行ったところで、その流れは2つに分かれ、東へ向かう支流はジローネ川と呼ばれていた。
王国の東側には、北連峰から連なる雪をかぶった高い山々が、隣国ゼレンディアとの境界にそびえている。その一番南側付近で、ジローネ川は海へと流れ込んでいるのだが、その河口と連峰の麓の間に、アイスサイトは位置していた。
王都からアイスサイトまでの距離は、直線だと大体バウンドからコートロゼよりも少し遠いくらいだが、ジローネ川流域は非常に難所が多いため、通常は、ソリュース川河口付近にあるクリアウォートの街へ出て、そこから海岸沿いにアイスサイトまで北上するルートを通ることになる。
そのため、実際の移動距離は、バウンド-コートロゼ間の3倍以上になるだろう。
GIFTのNo.20台クラス(遅延1/60)のアイテムボックスがあれば、10日で4時間の時間経過なので、生の魚も運べないことはないが、往復20日の運送費はなかなか重いだろうし、アイテムボックスで長期間在庫を調整するのも難しいだろう。
大体、1/60のアイテムボックスを所有できるのは大手以上の商会だけだろうし、仮に腕輪を買って輸送を始めても、腕輪の価格が2億セルスだもんなぁ……それを魚に反映させたら、そりゃ鼻血が出るような値段になるよ。
なおクリアウォートの海は、沖がすぐ魔の海にかかっているため、漁業は陸からほそぼそと行うくらいで、代わりに潮風を含んだ牧草を食べて育てる畜産が盛んだそうだ。
そういえば、昨日カリフさんが言ってたな。帰りに余裕があったら、クリアウォートにも仮拠点を作っておこう。
煌めくジローネ川を眺めながらの空の旅はとても快適だった。
ジローネ川沿いの道は、ほとんど通るものがいないので、ハロルドさんは調子にのって、川面のすぐ上を移動させたりしていた。遠目に見れば、川の上を馬車が走っているように見えただろう。
ただ、途中、大きな何かの影が馬車の下を追いかけてきていたのには焦った。イーデジェスナーみたいなシーサーペントの一種じゃないかとは思うが、あれが突然水面に顔を出して、馬車ごと食われるというのは、ちょっと勘弁して欲しい。
上空まで上がって、全力で飛ぶテストもしてみたが、凄い勢いで、クロのMPが減っていく。慌ててMP共有すると、ハフハフ言いながら飛んでいた。うっ、盛らないでね。
人目がないのを良いことに、いろんなテストをしながらだったが、昼前にはアイスサイトが見えてきた。やはり直線で飛べる空の旅は早いね。
「お、あれかな?」
「そんな感じですね、どこか人のいなさそうな、目立たない道路脇にでも降りましょう」
「だってさ。頼んだぞクロ」
「ひひーん」
って、全然御者の仕事してないし。ラクで良いよななんて笑ってますけど、御する方法を忘れないで下さいよ。
街まで1kmくらいのところで、ジローネ川沿いの道に降りた俺たちは、そのままアイスサイトを目指して、馬車を走らせた。
誰も通ってない道だけあって、手入れはまるでされてなく、雑草は生えまくってるし、酷いものだった。
魔物はそれなりにいたが、街の側だし、大魔の樹海に比べれば圧倒的に雑魚だし、時々ノエリアがシャドウランスを飛ばしていたが、その姿はほとんど見えなかった。
ゆっくりした速度で10分位移動すると、街の門が見えてきた。
「とまれ。お前等、ジローネ川側から来たのか?!」
と門番らしき人から聞かれる。
しまった。海岸側の道に降りるべきだったか。しかしあっちは人通りがあるからなぁ。
「ええ、どのくらい大変なのかと思いまして。いや、死ぬかと思いました」
と馬車を降りながら、適当なことを言っておいた。
「子供? 責任者はどこだ?」
「あ、私です」
と言いながらギルドカードを取り出した。
「君は冒険者なのか?」
と驚いた顔をしてそれを受け取った門番は、カードを確認してから、
「カール君か。私はマイノスだ。それで、アイスサイトにはどういった用で?」
「いや、本場で魚を食べてみたくて」
と言ったら、いきなり相好を崩して、
「そうか。ようこそ、アイスサイトへ。腹一杯食べていってくれ」
と言われた。
◇ ---------------- ◇
「さて、カール様、どうします?」
家の影でクロをはずして馬車を格納したあと、5人で街――というより発達した漁村という感じだが――の中心部に向かって歩いていた。
「もうすぐお昼ですし、まずは魚を食べてみませんか?」
「そうしましょう」
と、ノエリアが珍しく食いついてくる。そういえば、バウンドでシロカワとサンーマで悩んでたな。魚好きなのか。
「じゃあ、とりあえずマイノスさんお薦めのお店に行ってみましょうか」
その店は漁港のすぐ側にあって、まだ昼には少し早いが、ぱらぱらと人が入っていた。
「こんにちはー」
「いらっしゃい! なんだ見かけないツラだな。観光かい?」
すごいな。見かけないツラだと、まずは観光なんだ。さすが王国一の漁村。
「ええ。美味しい魚を食べたいと、門番の方にお聞きしたら、ここを薦めていただきまして」
「マイノスの野郎か。よしわかった。で、何が食べたい?」
「初めてでよく分からないので、いろいろと美味しいところを見繕っていただけますか?」
「まかせとけ!」
勢いよくそう言うと、厨房に引っ込んでいった。
「なんだか元気な人なの、です」
「威勢がいい方が、漁港っぽいからね」
「そういうものなのですか?」
ノエリアが心なしかワクワクしているような感じでそう言った。
「まずはこれでも食っててくれ」
と出されたのは……刺身だ! こっちじゃ、初めて見た。
「なんだこれ、生の魚か?」
ハロルドさんが頭をひねる。
「おう。キトキトだからな。生で食えるんだ! うまいぜ」
「キトキトってなんだ?」
「生きが良いってことさ」
なんで、富山弁??
「ボクが知ってる名前は、刺身っていいましたけど、こっちでもそう言うんですかね?」
「おう、坊主、よく知ってるな、そりゃ、サーシミだ。そっちのセヲ油をつけて食ってくれ!」
セヲ油?! この世界にも醤油があるの?! と思って見たら、なんていうか、ごま油に塩を混ぜたみたいな調味料でした。
うんまあ、これも美味しいけどね。ハロルドさんはびみょーな顔をしていた。
おれは小皿をひとつ貰うと、腕輪から醤油を取り出して、それにそそいだ。
「ハロルドさん、これで食べてみて下さい」
「あ? 何か違うのか?」
「まあまあ、百聞は一食にしかずですよ。あ、あんまりつけすぎると辛いですよ」
そういうと、ハロルドさんは、ちょんちょんと醤油をつけてから口に入れた。
「ん? んん?! なんだか美味いな!」
「でしょ? その、きれいな白身の魚より、こっちのちょっと脂がのってるやつのほうが、ハロルドさんの好みだと思いますよ」
「どれどれ……おお、いける。生の魚も悪くないじゃないか!」
リーナとノエリアもお醤油を使って食べていた。ノエリアはとても幸せそうだったが、リーナは……はは、やっぱお肉派かな?
「リーナは、魚はダメか?」
「美味しい、です。でももうちょっと歯ごたえが……」
ふーむ、硬い魚ね。こりこりしてるやつ……
「なあなあ、カール様」
「なんです?」
「ちょっと、飲んでもいい?」
俺はぷっと吹き出して、ウン、確かに欲しくなるよな、この味は、と思った。
「どうぞ。街中で危険もないでしょうし、帰りはリンクドアで帰りましょう」
「おっし、了解」
「次はこれだ!」
と出されたのは、なんだろうこれ、クエかな? かなり大きな魚を半身にして、片方を塩焼きに、片方を煮付けにしたものだった。
煮付けと言っても日本のそれじゃなくて、なんというか、アクアパッツァみたいな料理だ。
「どうだ。クーエの双海仕立てだ」
白身の魚はほろりと崩れて、上品な旨味がたっぷり含まれてた。こりゃ美味い。
「これはすごい、上品な甘みと旨味がたっぷりですね」
「おお、わかるか坊主」
俺は塩焼きの方にちょっと醤油をつけて食べた。うん、これも美味い、ご飯が欲しいなー。
「お、おい、そりゃいったい何だ?」
と店主が、小皿を指して言う。
「これですか? これは醤油と言って……」
「ショーユだと?!」
店主の声が響くと、背景に「ざわっ」と文字が書かれたような空気が流れる。
「ど、どうかしましたか?」
「……坊主、しらんのか?」
「なにをです?」
ショーユとは王国創成期に作られた調味料で、サーシミにはことのほかよくあったとあるだけで、その後失伝していた調味料だそうだ。
あちこちにバラバラに書かれていた内容を調査して、現在では類似品だと思われているセヲ油が作り出されている。
「いや、まあ、名前が同じと言うだけで、それと同じものとは限りませんけど……食べてみます?」
「い、いいのか?」
店主は震える手で、白身魚のサシーミを摘むと、少しだけ醤油につけて、口に放り込んだ。
「むっ……」
「どうです?」
「間違いない! この旨味! この風味!
「こ、これがあれば、双海仕立てもより完璧に……坊主! これ、何処で手に入るんだ!! 売ってくれ!!!」
「い、いえ、その……」
この調味料は自家製で、自分達が食べる分しか作ってないんですと、そう答えるしかなかった。
「そ、そうか……これほどのものだ、製法も秘密なんだろうな」
がっくりと肩を落とす店主。
うーん。日本の産物は多くを供給するのが難しいから、あんまり広めたくは無いんだけれど、一店舗だけだし、ここは足がかりに使うべきかな。
「あの、条件によっては少しくらい融通してもかまいませんよ?」
「なんだと?!」
うわ、やべ。言い方が不遜だった?
「言え、すぐ言え、条件を言え~!!」
そこで、これから王都にレストランを開くこと。料金は平民でも食べられる値段にしたいが、素材はアイスサイトの最高のものを使いたいこと、などを話した。
「つまりアイスサイトの最高の魚を継続的に仕入れられるようにすれば、醤油を分けてくれるってことか?」
「まあそうです」
店主は少し考えるような仕草をしていたが、すぐに、
「ちょっと待ってろ」
と言って、いきなり他の客を追い出して、店を閉めて、出て行った。ええ?
「おいおい、なんだか妙な雲行きだぜ?」
「いや、まあいきなり襲われたりはしないと思いますが……」
マップ上の点は白や水色だ。
「ご主人様、美味しいクーエがさめてしまいますよ」
とノエリアに言われて、仕方がないので、食べながら待つことにした。
◇ ---------------- ◇
20分位もたっただろうか、
「またせたな!」
と主人がいきなり、随分ごつい男を連れて戻ってきた。
さりげなくハロルドさんが手元に剣を引き寄せる。
「こいつは、アイスサイト
「初めまして、カールです」
「ストームだ」
「お、そういや、俺も名乗ってなかったな。ペイシェルだ」
ストームさんは、誰もが認めるアイスサイト
つまり、アイスサイトでとれる最高の魚は、どこにも売られておらず、地元で消費されていたのだとか。
「まあ、大部分はうちの店で使わせて貰ってるんだが、そのうちの半分、最上の所を譲ろう」
「え? それは嬉しいのですが、大丈夫なんですか?」
「なぁに、他から仕入れる魚だって悪くはないのさ。こいつのが飛びぬけてるってだけでな」
「いえ、ストームさんのポリシー的に……」
と、おそるおそるストームさんの方を見た。
「昔からペイシェルには世話になってるんだ」
「はあ」
「そいつが、どうしても必要なんだって言うんだから、まあ仕方ないだろ」
「それはどうも」
「ただし」
「はい?」
「俺の魚をダメしたらタダじゃおかねぇからな」
「わかりました。いつでも王都へ食べに来て確かめて下さい」
と言って、握手した。
ペイシェルさんとストームさんは、足りない分の魚も、最高のものを準備してやると約束してくれた。
俺は、とりあえずお礼もかねて、新しい醤油をひと瓶ペイシェルさんに渡しておいた。ペイシェルさんは、おおおおおと言いながら、それを拝まんばかりに掲げていた。
せっかくなので、
「それで、仕入れの拠点を開きたいんですが、どこか良い場所をご存じありませんか?」
と聞いてみたら、着いてこいと言われて、店の外に連れて行かれた。
◇ ---------------- ◇
立ち止まったのは、ペイシェルさんの店の丁度裏手にある、年季の入った2階建ての建物の前だ。
港からも近いし、鮮魚を仕入れるなら、なかなかの一等地だ。
「この家は、去年の終わりまで、魚の卸をやってた爺さんが使ってたんだが、去年で引退したから丁度空き家になってたんだ」
「いいですね。買い取りのお話はどなたにすればいいですか?」
「持ち主はその爺さんだが……」
「だが?」
「まだかくしゃくとしてるんだが、家族がいなくてな。俺の老後のためには、100万セルスは必要だって言ってるんだ。それで売れてないのさ」
「相場はどのくらいなんです?」
「そうだな、30万から50万ってところか」
倍か。しかし爺さんの気持ちもわかるな。蓄えがなかったら 300万円や500万円では不安だろう。
「わかりました。150万セルスで買い取りましょう」
「……なんだと?!」
「ただし、相場を壊すつもりはないので、直接取引で、金額は内緒にして下さい」
「それはいいが、かまわんのか?」
「やはり一人では老後が不安でしょうし。よければ時々仕入れのアドバイスなどをいただければと。それにこの場所はとても良いじゃないですか。ペイシェルさんのところにも近いですし。醤油が必要になったときもとりに来やすいでしょう?」
「そりゃ、ありがたいが……わかった、それで話してみよう。今すぐ言ってみるか?」
「お願いします」
元の持ち主の爺さんは、二つ返事で売ってくれた上に、市場関係者にも口をきいておいてくれるそうだ。一気に仮じゃない拠点をゲットしちゃったよ。
魚は、朝の7時までに市場にくれば
「ノエリアです。よろしくお願いします」
「お、おお、よろしくな」
とオッサン二人が照れていた。
◇ ---------------- ◇
二人と別れるころには、午後も結構遅い時間になっていた。
売って貰った家に入ると、古いがしっかりしている作りで、手直しも最小ですみそうだった。
奧の倉庫になっている部屋の入り口に、リンクドアを設置する。
ドアをくぐれば、そこはコートロゼの
「何度通っても、未だに信じられないぜ……」
とハロルドさんがドアを見ている。
「あれをくぐれば、アイスサイトなんだよな」
「いつでも美味しい魚を食べにいけるようになって良かったじゃないですか。ノエリア、明日からしばらく朝一で向こうに行って魚を仕入れておいてね」
「承知しました」
「たまには、ペイシェルさんのところで何か食べても良いから」
「……ありがとうございます」
とちょっと顔を赤くしながら返事をした。
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