第76話 春まき小麦と中級土魔法と肥料マニア

「カール様」

「ん?」

「そろそろ春まきの時期が迫っておりますが、いかがいたしましょうか」


ダイバが朝食の終わりに、突然そんなことを言い出した。

春巻き? なわけないよね。春まき小麦か。いつもはどうしてたんだ?


「主力は秋まきですが、今年はもう畑が滅茶苦茶なのでどうしようもありません。そのため少しでも早く収穫を得ようと、春まきの計画を立てたのですが、カール様のおかげで復興が進んでいますので、ご相談した次第です」


この地方の農業は、いってみれば三圃制さんぽせいだ。耕地は三分割され、夏畑と冬畑と休耕地に別れている。なんというか、実に不思議だ。


コートロゼに来る途中で、三分割された農地を見て、いわゆるノーフォーク農法を持ち込もうと花輪草を大量に採集してはおいたが、クロのシルフ発言でパラダイムシフトを経験した俺は、なぜ魔法を使わないのか不思議で仕方がない。

実際、土魔法の中級は、まるで農業専用のようなラインナップだった。


lv.4 開墾リクレイム

lv.5 栽培カルティベーション

lv.6 肥沃ファータライズ


なぜこれを使わないんだろう?


「あのな、カール様。普通の農民に魔法が使えるわけないだろ」

「へ?」

「仮に使えたとして、一人の魔力で、どのくらいの広さの畑に使えるんだ?」


そんなに魔力と魔法適正があるのなら、農業なんかやってないで、他の道に進んだ方が圧倒的に稼げるんだよ、とハロルドさんにあきれたように言われた。


「ええー? でもさ、ほら魔法使いを雇って唱えて貰うとか」

「あのな……」


今、言ったようなわけで、土魔法の中級は、ものすごーーーく人気がないのだとか。

初級も、ほとんど使い物にならないので、とにかく土魔法の人気は低いらしい。


というわけで、土魔法の中級をガンガン使える魔法使い自体あんまりいないし、いたとしても、その人を使って元が取れるかどうかは怪しいところだとか。

そもそも、これらの中級魔法は、普通は研究に使う魔法植物を育てるために使うのであって、一般の農業用じゃないんだそうだ。そうだったのか。


「結局、広い範囲を開墾して、普通に育てた方がマシってことですか?」

「まあ、そうなんだろうな。俺は農業なんかしたことがないから本当のところはわからんが」


「よし、わからないことは、現場の人間に聞いてみましょう」


シセロに頼んでおいた、農民募集も進んでいるかも知れないしな。


  ◇ ---------------- ◇


作りかけの役所は、数人が忙しそうに働いていた。

これはあれだな、早いところ紙を作り出さないと、羊皮紙代で破産しかねんな……

住民把握でリストをつくれって言ったら、紙がいるいる、書類が増える。うーむ。PCは偉大だったんだな。本当に。


シセロを捕まえて、農民希望者のリストを見せて貰い、その中に気になる名前を見つけた。


「シセロさん、この人ご存じですか?」

「え?……ああ、確か騎士爵家の4男坊だと言っていた男ですね。彼がどうかしましたか?」

「騎士爵家? それで農業希望って珍しいですね」

「ははは、本人の弁によると、貧乏騎士爵家だし、昔から畑をやっていたらしく、そういうものに興味があるそうですよ。一番は、食べ物を作ってりゃ食いっぱぐれがないからだそうです」

「へー」


手元のリストで、俺の見ている場所には「カイ=ターク」という名前があった。どこのパイオニアだよ。日本人には強烈な印象を残す名前だな。


  ◇ ---------------- ◇


シセロに教えて貰ったカイの家は、随分と外れた場所にぽつんと建っていた。

何でこんな場所に? 別に村八分ってわけでもないだろうに。と思いながら近づくと、その理由はすぐに分かった。


「ご主人様、臭いですー」


リーナが泣きそうな顔でそう言ってくる。


「なんだよこりゃあ、鼻が曲がるぞ」


とハロルドさんも毒づいている。


そう、近づけば近づくほど、何かの発酵臭や、動物のらしき臭いなどが入り交じって漂ってきたのだ。

ドアの前に立って、ノックをして


「カイさーん。カイ=タークさーん」


と呼びかけると、頭をぼりぼりかきながら、まだ二十歳はたちそこそこに見える、無精髭の男が戸口に現れた。


「なんだ? あんたらは」

「初めまして、私はカールと申します」

「カール? カール、カール……って、代官様か?!」

「ええ、まあ一応」

「こ、これは失礼しました」


と言って家の中に入れてくれた。うわ、なんだこの部屋は……


「それで、どういったご用件でしょう? あ、やっぱりこの臭いがまずかったっすか?」


部屋を一目見ただけでよくわかった、こいつは、マニアだ。それもかなり重度の肥料マニアだ。


「いえ、まだ周りには何もありませんし、そういう苦情があったわけではないです。えーっと、カイさんは、肥料の研究をされているのですか?」


そういうと、いきなり満面の笑顔を浮かべて、


「わかりますか! そうなんですよ。なにしろ肥料は素晴らしい! 収穫が何倍にもなるんですよ!!」


マニアに話をふった俺が悪かった、カイは空気も読まずに延々と肥料のすばらしさを語り、元の世界で言うところのNとPとKの話が全員の目が死んだ魚のようになるまで続けられた。


「……というわけなのですよ。肥料は何て素晴らしいんだ!」


えーっと、話は終わったのかな? というか、俺たち何しに来たんだっけ?


「カール様は、魔法を使わない理由と、その方がましなのかどうかを現場の人に聞きに行こうとおっしゃっていました」


とノエリアが耳打ちしてくれた。ああ、そうだ。そうだった。ちなみにハロルドさんとリーナの目は死んだままだ。


「それで、ですね。私は農業について余り詳しくないので、いくつかお聞きしたいと思いまして」

「はい。……しかし私は肥料のこと以外はよくわかりませんよ?」


筋金入りだよ。


「農業で魔法ってつかわないんですか? 効率が悪いとか?」

「魔法?」


なんか、きょとんとした顔で、あんた何言ってんのって感じで見つめられたぞ。なんでやねん。


「いえ、ほら、土魔法には、開墾の魔法とか、作物を育てる魔法とか、土地を肥沃にする魔法とかありますよね?」

「ええまあ。しかし、開墾は人力でやった方が安いですし、作物を魔法で急激に育てると地力が普通に育てるのに比べて何倍も疲弊しますし、土地を肥沃にしたいなら肥料をまけばいいのでは?」

「ええ、そうなのですが、労力が減るかなと……」


「代官様!」

「は、はい!」

「いいですか、まずそんなことができる魔法使いに頼んだ場合、ベラボーな料金を請求されます」

「はい」

「その金で沢山の人が雇えますよね?」

「まあ」

「そう、雇用が創出できるのです! 雇用の創出は社会の根のようなもの、草木を燃やして灰にしたものを加えることで、根は大きく伸びるのです!」


はい。カリウムですね……。うん、まあ、言ってることはわかるよ。


「つまり、魔法使いを雇っても、同じことを行うために人を雇っても、かかるお金はあんまり変わらないか、人を雇った方が安いから、雇用創出のためにも魔法は使わない方がいいってことですか?」

「そうです」

「人手が足りない場合は?」

「人手を集めてくるか、開墾をやめればよろしい。人がいないなら食料もいらんでしょう」


ふーむ。商品作物って概念はハナから無視されているのか。


「それが概ね農民の総意って感じでしょうか?」

「当然です! 職を、職を失うのは、恐ろしい……ことなのです」


ぶるぶる震えてるぞ。何かトラウマがあるのか?


「よくわかりました。ありがとうございました」

「ええ、またいらっしゃってください。肥料の話に花を咲かせましょう!」


いや、ボクマニアじゃないし。しかも花、咲いてないし。


「花を咲かせるなら、骨粉ですよ!」


といって、カイはウィンクしながらサムアップしている。ああ、リン酸系ですね。ちょっと肥料から離れろよ、お前!


  ◇ ---------------- ◇


「いやあ、すごい男だったなぁ……」


ハロルドさんがげっそりしながら、そう言った。


「紛う方なきマニアでしたね」

「リーナはもう、死にそうなの、です」


優れた嗅覚を持っている銀狼族に、あの家はきつかったろうな。


「農民の考えはよく分かりましたが、今のコートロゼに農地を開拓する人的資源はありませんから、さくっと我々でやっちゃいますか」

「いっとくが俺は、ただの護衛だからな」


とハロルドさんが防衛線を張ってきた。


「もちろん魔物の退治はおまかせしますよ」

「外かよ?! ああ、そういや街の東がどうとか言ってたな……」

「ぴんぽーん」


「それでどうするんだよ。また夜中なのか?」

「人目を忍ぶ行動ですからねぇ……」

「はあ……じゃあもう帰って風呂入ってねようぜ」

「リーナも、リーナも!」


そうだな、そうするかな。まだ昼だけど。そうだ。


「じゃあ、ちょっと今日は趣向を変えて、公衆浴場に行ってみましょう。視察って事で」

「男女別じゃなかったか?」

「そうですけど」

「あ、カール様はそれでいいんだ」

「それでって……い、いいに決まってるでしょ!」


ガハハハと笑いながら、ハロルドさんが公衆浴場方面に向かっている。

ハイムでだって、極たまにしか一緒に入ってないんだからね!

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