伊坂幸太郎 『魔王』

 この辺りから記憶が割とハッキリとしているので前章よりは長くなる。


 小学校高学年の頃から三大週刊少年誌を愛読していた僕。

 その上で何派かと問われればジャンプ派と答えるが、それでも他の二誌が嫌いだった訳では無いし、なんならガンガンも読んでいたし。ウェダには大変お世話になったのも今は遠い記憶である。


 そんなこんなで、それぞれの雑誌から好みのコミックを少ない小遣いから購入する程度には好きな漫画は存在していた。


 比較的その割合が高かったのがジャンプなだけでそれ以外もそれなりに熱心に読んでいた。


 そして、そんな個人的な感情を脇においても――それから大分時間の経過した現在、思い返して見ても当時のサンデーは半端じゃなくアツかった。

 貫禄と実績を持ったベテランと勢いのある人気作家がシノギを削る戦乱の様な誌面の中で、その作品は異彩を放つ存在であった。


 僕の親父の時代から高橋留美子とあだち充が死ぬほど幅を利かせていて、兄貴の世代くらいからジュビロや西森の作品が延々と続いていく。

 それに加えることの僕世代的に――将来的には福地翼や畑健二郎が台頭する前後くらいにオンリーワンの存在感を放った作品がある。


 それが『魔王 JUVENILE REMIX』。


 衝撃だった。

 

 少しクセのある独特の絵柄が何処か退廃的でディストピアを思わせる袋小路な世界観にマッチしてて、何とも言えぬ吸引力を持っていた。


 しかし、今回は漫画の魅力では無く、あくまで原作の方に絞って触れたいと思う。それが本エッセイの一応の趣旨だしね。


 なかなかのストーリーものなので未見の人の為に伊坂幸太郎原作の「魔王」のあらすじを軽く。


 舞台は現代日本の地方都市で主要な登場人物は三人。


 主人公である会社員『安藤』。

 その弟である『潤也』。

 そして構造的に敵役となる新進気鋭の若手政治家『犬養』だ。


 閉鎖的で消極的で八方塞がりが目に見える現代よ日本社会に、一迅の清涼として徐々に頭角を現し存在を強めていく犬養。国民は彼の過激で魅力的な言動に心を奪われつつあった。


 しかし、そんな世相の中安藤だけは違った。

 その耳障りの良い演説に忌避感を覚えたし、思考停止で犬養の言葉に従う民衆に対して例えようのない違和感を強めていく。


 そしてその結果、安藤はを持って、国を変えようとする若き政治家に対決する意志と覚悟を持つ様になって、立ち向かう――!


 酷くざっくりしたあらましにはなるが、致命的なネタバレを避けて物語を説明すれば大体こんな感じになる。要約とは、げに難しき作業だな。


 まあストーリーが気になる人は直接読んで、自身の感性で感じることが全てだと思う。

 僕は僕が感じたままを未読の方に多少配慮しつつも勝手に語らせて貰う。


 まず第一に読者の方に問いたいのは伊坂幸太郎の一番の魅力って何だと思う?

 ちなみに僕はその対話や語りの軽妙洒脱な言い回しだと思う。


 別に秀逸なレトリックに富んでいる訳じゃない。

 殊更美しい文学表現が鮮烈に輝く訳じゃない。


 何なら某ダイナマイト文学賞候補に毎回名を連ねるねじまき鳥の人のほうがよっぽどお洒落で美しい文章を書くと思う。


 だけど、それでも何故だか凄く魅力的に映るんだよね。


 例えば本文にはこんな一節がある。


「あの虫は英語圏でも嫌われてんの?」

「聞いたことはないけど、そりゃ嫌われてるんじゃないのか」

「ほら、わかんねぇだろ? コックローチ圏ならまだ愛されてるんだよ」

「そんなわけないさ」


 これは安藤と…その弟である潤也が交わしたゴキブリについての会話を切り取ったものだが、なんつーかヤバくないですか? 力の入っていない、日常生活の会話の延長線上にある割に滅茶苦茶お洒落な会話じゃないですか?


 別に大したことは言っていないし、本筋にもそんなに関わっていない会話がこれですよ。意味分かんねぇわ。すげえお洒落。こんなやり取りしたことないよ。


 日常の一コマの範疇でありながら往年の名作映画の様な言葉のセンスを感じるよね。え? 感じない?


 なら今すぐ書店に行って講談社文庫の棚を見てくると良いよ。多分一、二冊位は在庫としてストックが有るはずだよ。


 とまあ、こう言った具合の台詞回しが僕の好みに合致して、彼の作品で文庫化してるのは大体読んだと思う。ハードカバーとしてしか出版されてないやつはその内文庫化されるし待機状態だ。


 なんて雑なエッセイだとは思うけど、本エッセイはこんな感じだ。諦めて欲しい。


 これは僕の感じたものを曖昧に書くスタイルだ。

 気になったら実際に読んでみればいい。その感想が僕と大きく食い違うようなら是非教えて欲しい。

 それは多分、僕の見識を広げるのに役に立つ。


 しかし、それは余りに利己的で一方的な僕の主張であるので、此方としては些か心苦しいのも事実である。

 なので、僕個人的に心に刻んだ同作者の名著について、申し訳ばかりに告げようと思う。


 本エッセイで取り上げた以外の同作者の名著が二作ある。


 一つは『終末のフール』


 詳しい説明は例によって避けるが、これは限界ギリギリの人類が最期の瞬間に向けて準備する話だ。


 僕の拙文である『とある神学者の言葉と』https://kakuyomu.jp/works/1177354054882221058の元ネタとなった作品である。


 是非作品世界に浸って、自分ならどうするかを考えて欲しいと思う。



 次が『ラッシュライフ』。


 これは言葉を重ねて説明するだけ野暮になる。

 様々な人間が相対する群像劇で、最後の一文までをしっかりと見て欲しい。ちなみに僕は震えたよ。マジで。


 最後に一つ読者の方――伊坂幸太郎ファンに同志として聞きたいことがあるんだ。

 それは日常生活においてまあまあ良くあることだけど、生活関係者に読書が好きなんて零した先には『好きな作家は?』ってオキマリのあれがあるじゃん?


 それで、その時僕は様々な原因から伊坂幸太郎って答えることが多いんだよね。

 んでもって、そうすると「おすすめの本ある?」ってクソみたいな展開をすることが多いんだわさ。


 すると、心中のへそ曲がりな僕としては『魔王』と『週末のフール』っていいたいんだけど、思想だか受け的な意味を伴った体外的な諸々で一般受けしそうな『重力ピエロ』って口に出すようにしてるんだよね。岡田将生カッコいいし。


 僕と同じような状況に陥った伊坂ファンはマジでどうしているのか…教えてくれると大変嬉しい。


 そんな個人的探求心とは一切関係なく、次回『西尾維新』編、始まります!

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