それから僕らは家を駆け出て、自転車を立ち漕ぎで漕いで、僕らが成し得る最短時間で神社に向かった。鳥居の側に自転車を停めると、妹が少し遅れて僕の自転車の隣にぴたりと自転車を並べた。

 いつもは並んで歩くことが多いが、この時の僕は妹の足の遅さや幼さなぞ考慮せずに、ぐんぐん石段を登っていった。一度ちらりと後ろを振り向くと、意外にも妹は泣かずに、文句も言わずに、黙々と石段を踏みしめていた。

 石段を登り切って、立ち止まって息を整える。木によって出来る歪な影を、ぼんやりと視界に入れる。影が、音もなく揺れている。音も匂いもない。温度さえも遠く感じる。すごく、静かだった。

 背中から、妹の大げさな呼吸音が聴こえた。それでもまだ、僕は薄い粘膜の中にいるような感覚から抜け出せないでいた。妹はそんなことを微塵も感じていないかのように、僕の横をするりと走り抜けて神社へと向かう。石畳の道の中腹辺りで、くるりと黒い髪を翻して、「こっちこっち」と手招きする。くんと一歩、足が進む。僕の意思が存在していないかのように。

 そのまま神社の左手へと回り、腰を屈めて床下を覗き込みながらゆっくり進む。すると突然妹が、勢い良くしゃがみ込んだ。僕も倣って隣にしゃがみ込み、首を傾げるようにして身体を斜めに倒し、縁の下を覗き込む。薄暗い埃っぽい空間がしんと存在している。そこに、薄茶色の温もりを見つけた。

 いつもより丸まって見えるそれはジンで、なんだか柔らかく見えた。そのお腹のあたりには、小さなカタマリが4つほどもぞもぞと動いている。ジンはこちらをじっと強くにらんでいて、これ以上近づいてはいけないのだとわかった。

 子猫たちがもじもじと動くのをしばらく観察して、ふと妹の方に視線をやる。それに気づいたのか、それともただ単に同じタイミングだったのか、妹も僕の方に顔を向ける。

「ジンって、雌だったんだね」

 妹が言ったのか、僕が言ったのかは忘れてしまったけれど。なんだか嬉しくて、面白くて、二人で小さく笑いあった。


「金魚掬いする?」

 飽きもせずにじっと四角い世界を見ている彼女に声をかける。その声に反応して、露店のおじさんが片目だけで僕をチラリとみる。浅黒く日焼けしていて、頬がこけていて、いかにも咥え煙草が似合いそうなおじさんだ。手にポイを20ほど持っていて、無気力そうにかしゃかしゃと弄んでいる。

 彼女は僕の声が聞こえていないかのように、しばらく水面を見つめていたが、ふるり、とわずかに首を横に振った。綺麗に切り揃えられた髪の毛が、首の動きを追いかけるように、くるりと波打つ。

「生き物は、お父さん、嫌いだから」

 そう、と返事をする。向かいの焼き鳥屋の看板に目を移しながら、「お父さんって、どんな人」と聞いてみる。少女はすっと顔を僕に向け、あまり大きくはなく黒目がちなその目をまん丸にする。そして含んだように微笑みながら、「教えない」と、楽しそうに返す。その声色だけで、彼女がお父さんを好きだということは明白で、僕はなんだか面白くなくて、眉をひそめた。彼女は下唇を噛みながら笑った。


 僕には、父親というものがどういうものか、何を考えているのか、よくわからなかった。「父親」という役割を持った人間が、と言った方が正確かもしれない。

 僕の父は、実直で寡黙な人だった。大声など聞いたことがない。毎日同じ時間に家を出て、同じ時間に帰ってきて、夕食を食べ、風呂に入り、テレビを見ながら、缶ビールを1本呑んだ。僕が成長していって、部活動で帰る時間が遅くなったり、夜遅くまで起きて勉強するようになっても、それは変わることがなかった。判を押したように同じ行動を繰り返す父を、時計の針のようだと、いつからか思うようになっていた。刻々と同じことを繰り返す。「父親」という役割は、それで十分果たされていた。

 僕が働き出してからは年に一度会うか会わないかだが、会う度に小さくなっていく。痩せた、とか、老いた、ではなく、やはり「小さくなった」が一番適切なのだ。父は自分よりも脆い生き物なのだと思わずにはいられない。子どもの頃に感じていた、絶対的存在感はどこに行ってしまったのだろう。

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