第15話


「悠人ってさ、すげぇ乙女なんだな」

「いや、これは俺が着るんじゃねぇし」

「わかってるって。そういう意味じゃなくて、これを着せたいって思って、しかも自分でこうしてチクチク縫いつけてるのが、乙女だなって」


 翔太は、悠人が熱心に針を刺すドレスをニヤニヤしながら見ていた。

 そのニヤニヤは何だと突っ込みたいが、こうして部屋を作業場に使わせてもらっている以上文句は言えない。

 仕方なく、悠人はニヤニヤした視線から逃れるために、手元に集中することにした。

 悠人はバイト先の店主の妻ミセス・コロボックルに相談しながら、一着のドレスをネットで注文した。

 演奏会などに出る人向けに売られている、ミントブルーのベルラインのドレスだ。『お姫様っぽさ』を追求した結果、ベルラインは絶対に譲れない条件として、あとはミセス・コロボックルの勧めで、小柄なエルネスタでもすっきり着られるようにと、ウエストの切り替え位置が高めなものを選んだ。

 こういったドレスの裾を膨らませるためにはパニエという下穿き用のスカートが必要と教えてもらい、それも合わせて購入した。本当はパフスリーブがよかったのだが、肩の出たドレスばかりだったため、肩はボレロで隠すことにした。


「買ったままの状態でも、十分可愛いと思うんだけど、頑張るねぇ」


 裾にスパンコールで出来た細いブレードを縫いつけていくという目の回りそうな作業を見て、感心半分呆れ半分で翔太は言う。


「でもさ、プレゼントするなら、ひと手間加えたいと思うんだよ」

「……お前、つくづく尽くすタイプだよなぁ」


 視線をあげずに返事する悠人に、翔太は『やれやれ』とアメリカンな仕草で返した。

 ドレスが届いたあと悠人は、手芸屋に行き、アレンジのための材料を揃えた。ドレスをアレンジしたい旨を店員さんに伝え、ドレスの写真も見せてアドバイスを乞うた。

 最初はガラスビーズを一粒ずつ裾に縫いつけていくつもりだったのだが、期限までに縫い上げられない可能性を指摘され、スパンコールのブレードを購入した。

 その代わり、胸元に大きめのガラスビーズをあしらい、腰にサテンの大きなリボンを結ぶということで納得したのだ。

 手作りに拘る悠人に店員さんが「手作り作家の方たちの作品の中にビーズ製のティアラとかがありますけど」と勧めたため、悩んだ末にそれも購入してきた。本当はそういった小物も自分で作ってやりたかったのだが、エルネスタにバイトがあると偽って翔太の家で作業をするのも限界があると思い、諦めたのだ。

 会計時に店員さんに、「ハンドメイドでアレンジしたドレスをプレゼントしてもらえるなんて、奥さんになる方は素敵ですね」と言われたことで悠人は、自分が結婚式の準備をしているも思われていたことに気がついた。

 そのことにちょっとくすぐったくなりつつも、同時に切なくもなったのだった。



「悠人、ドレス作りもいいけど魔術の練習はいいのかよ」


 手持ち無沙汰にリモコンでテレビのチャンネルを変えながら、唐突に翔太は言った。


「帰ったらエルネスタと練習するから大丈夫だ」

「いやいや、練習は大事だって」

「うん、だからこれがきりがいいとこまで縫えたら、帰って練習するって」

「見せてみ? 翔太くんに見せてみ?」


 もっともらしい理由をつけて、ただ悠人が魔術を使うところを見たいだけらしい翔太は、涅槃のポーズで『くれくれ』と手を差し出してみせた。


「……しょうがねぇなぁ」


 ここまで協力してくれてるわけだからまぁいいかと思い、悠人はテーブルの上にあったメモ紙に火球を表す絵文字を書き、ぐしゃっと握りつぶした。その瞬間、悠人の手のひらに丸々としたソフトボール大の火球が現れ、そして少しして燃え尽きるように小さくなって消えていった。

 多くの絵文字を書き、呪文を唱えることなどを発動条件にするとより複雑な魔術が使えるのだが、悠人が使えるのは今のところこれが精一杯だ。


「……すげぇな。でも、地味」


 しばらく呆けたのち、翔太はそんな感想を述べた。

 自覚していたことだったが、友人にまでそんなことを言われて悠人は凹んだ。しかも、魔術なんてものを見慣れていない人間の目にも地味に見えるのなら、向こうの世界の人にはどう映るのかと考えると、不安しかない。


「今さ、これを青い火に変える練習もしてるんだけど」

「でも、それだけだろ?」

「……うん」


 悠人のか細い返事に、翔太は『しょうがねぇなぁ』という顔をした。


「悠人くん、俺は思うんですけど、魔術ってかなりイマジネーションの世界だと思うわけですよ。つまり、逞しい想像力があれば、ある程度のことは実現できちゃう……と。もちろん、呪文や魔術陣が必要であることを考えると、そのイマジネーションを魔力で再現するための道具立てっていうのは大事なんだろうけど」


 涅槃のポーズから座り直すと、翔太は突然ドヤ顔でそんなことを語りはじめた。友人のその切り替えに、悠人はついていくことができない。


「……うん?」

「察しが悪いな、お前。だからさ、やろうと思ったらある何でも程度できちゃうものなんじゃないの? って言ってるわけ。……なぁ、せっかくこうしてエルネスタちゃんのドレスを用意してるんだったら、とことんあの子の魔法使いになってやったら?」

「……どういう意味?」

「だー! お前、これ見て勉強しろ!」


 すごく良いことを語っているつもりなのにそれが悠人に伝わらず、翔太は苛立った。そしてテレビ台の下から何かを取り出して、ビシッと悠人に突きつける。

 翔太が取り出したのは、シンデレラのアニメDVDだった。某夢の国に行くと真っ先に目に入るあの城で有名な、あれである。


「『ビビディ・バビディ・ブー』をエルネスタちゃんにしてやるんだよ。……うぉー! 成功したら絶対、あの子はお前に惚れるぞぉ」

「……はは、そうかな」


 事情を知らない翔太は、悠人がエルネスタに片思いをしていると思っている。

 翔太はヘンリエッテから『魔術師であること』しか知らされていないため、悠人が奇妙なルームシェアをしていることも、それがとてもイレギュラーなことも知らない。

 説明されていないのをいいことに、彼女たちがどこかの駅のホームの柱の中からやってきているというような都合の良い解釈をしているため、放っておこうと悠人は思っているのだ。

 悠人とエルネスタに別れが来るように、それは翔太たちにも訪れるのだが、そのことを今知らせたところで仕方がない。

 ニコルが頑張ってくれていると信じて、約束を果たすために努力するしかないと悠人は思っている。


「悠人、『ビビディ・バビディ・ブー』だ!」


 ペンを杖に見立てて振りながら、翔太はノリノリで歌っていた。

 参考にしようと画面を見ながらも、悠人は「シンデレラのアニメDVD持ってるお前のほうが乙女じゃねぇか!」と心の中で突っ込まずにはいられなかった。



 上機嫌で繰り返し繰り返しそのシーンを見ながら『ビビディ・バビディ・ブー』を歌う翔太を適当にあしらい、礼を言って悠人は家路を急いだ。

 とはいっても、悠人と同じく学生向けマンションに暮らす翔太の家から悠人の家へは十分もかからない。

 翔太のがうつったのか、気がつくと悠人も『ビビディ・バビディ・ブー』を口ずさんでいた。脳内に、ドレスにキラキラを纏うシンデレラを思い浮かべる。エルネスタへのとっておきの隠しダネは、あのシーンをイメージしたものにしようと翔太と話し合ったのだ。

 赤みがかったオレンジ色の髪に、ミントブルーのドレスは良く映えるだろう。緑がかった青を選んだのは、彼女の瞳の色も考慮した結果だった。

 結い上げた髪にティアラを載せて、ふんわりとした裾のドレスを纏った彼女に、キラキラの光を降らせてやるのを想像して、悠人の胸は高鳴った。

 幸せだ、と思った。これっきりになるとは思いたくないが、最高の夜にしようと考えていた。聖人誕のパーティーの日に、最高の夜を贈ろうと。

 ドレスと魔術のプレゼントを受け取ったエルネスタの笑顔を想像して、弾むような足取りで悠人は玄関のドアを開けた。

 ところが、その先に待っていたのは、仁王像のように憤怒の表情を浮かべたエルネスタだった。


「……エルさん? どうかしましたか?」


 いきなりそんなカウンターを食らった悠人は、靴を脱ぎながら低姿勢で尋ねた。尋ねながら、バイトと偽って帰ってこなかったことを咎められているのだろうかと考えたが、どうにも違う気がする。


「『どうかした?』じゃないわよ! ユート、あなたって本当に酷い人ね! ニコルも!」

「……え?」


 怒り狂うエルネスタの後ろから、小さくなってニコルが顔を覗かせた。彼女の姿を見て、悠人は大体の事態を理解した。

 悠人とニコルが二人して隠していたことを察知したエルネスタが、ニコルを伴ってこの部屋にやってきたということだろう。

 すまなさそうにエルネスタ越しに悠人の顔を見るニコルに、彼女が何とか秘密を守ろうとしたことを感じることができた。

 エルネスタの怒りを前にして、悠人は言葉を失っていた。ニコルも困った顔をして口をつぐんでいた。

 気まずい空気が、三人の間に流れている。


「ニコルはコソコソしてるし、ユートは何か変だと思ってたけど……こんな隠し事ってないわ! こういうのは、一番してはいけないことよ!」


 重苦しい沈黙を破ったのは、怒りに声を低くしたエルネスタだった。


「……ごめん、ユート。問い詰められて、全部話した……」

「ごめん、エル。ニコルも……」


 怒るのは理解できるため、ニコルも悠人も小さくなるしかない。


「あなたたちがあたしのことを思って内緒にしてたのはわかるわよ。でも……隠して良いことと悪いことがあるのよ……」


 怒るだけ怒って神経が高ぶりすぎたのか、エルネスタは急に声を詰まらせ、そして泣きはじめた。子供のようにただただ泣きじゃくるエルネスタを見守っていた悠人だったが、ニコルから無言のプレッシャーをかけられ、エルネスタの近くへ寄った。


「エル……ごめんな」


 ためらいがちにエルネスタの髪を撫でながら悠人は言う。


「ごめんで済むと思ってるの?」


 嗚咽の向こうから恨みがましい口調でエルネスタは答える。


「いや……本当に申し訳ない。傷つけて、ごめん」

「……それから?」

「本当、悪かったと思ってる。すまん。」

「……他に言いたいことはないの?」


 いくら待っても謝罪の言葉しか口にしない悠人に苛立ち、エルネスタは涙を溜めて悠人を見上げた。いじらしい上目遣いだとなおよかったのだが、その怒った涙目にぐっと心打たれて悠人は、気持ちを伝える決意をする。


「……好きだ、エルネスタ。好きだから、エルの夢を応援したくて、邪魔したくなくて、だから……研究に集中して欲しくて黙ってた。それでエルが傷つくなんて思ってなくて……ごめんな」


 好きという気持ち、好きだからという気持ち、それがエルネスタに届くように、真心込めて悠人は言った。


「あたしが気づかないままお別れを迎えたらどうするつもりだったの? そっちのほうが悲しむとか思わなかったわけ?」

「ゔっ……!」


 悠人の言葉を聞いても怒りが収まらなかったエルネスタは、身長差を活かして抱きつく形で悠人の鳩尾へ頭突きした。

 あまりの痛みに飛び上がりながらも、悠人はエルネスタの体を抱きしめた。


「……勝手に人のこと、諦めないでよ! 思われてるってわかったら、あたしは絶対、悠人と離れることを選ばなかったわ! もちろん、研究だってちゃんとするわよ」

「そうだな……そういう子だよな」

「そうよ」


 ひとしきり悠人の胸に顔をうずめてグスグス言ったあと、エルネスタは気が済んだのか顔を上げ、悠人から離れた。


「今日は帰る! ニコルがいろんな文献読んで調べてくれたことを聞かせてもらいたいし、これからどうするのか考えなくちゃいけないし」

「……いいところだったのに……すみませんねぇ……」


 エルネスタの背後から、にんまりとしたニコルが顔を覗かせた。さっきまで存在を忘れていた悠人は、その顔を見て途端に恥ずかしい気持ちになった。


「ニコル! その顔やめろ」

「いや……もう本当、ごめんね……ぷっ」


 仲直りと告白の一部始終を見ていたニコルは、その熱々ぶりを見るに耐えかね笑いはじめた。友人の喜ばしい出来事とはいえ、こういったことが苦手なのだ。ラブラブな人たちを見ると、どうにも冷やかしたくなる質らしい。


「もぉっ! ニコル、あんまり冷やかさないで! 恥ずかしいでしょ!」

「ひゅーひゅー」

「もぉー」


 顔を赤くしたエルネスタはニコルの背中を押して、自分の部屋へ戻っていった。照れる二人を面白がってニヤニヤするニコルの顔がカーテンの向こうに消えてから、悠人はホッと息をついて座り込んだ。

 胸はまだドキドキいっていた。思えば、帰宅したときから心臓は鳴りっぱなしだった。エルネスタに怒られて、エルネスタに想いを伝えて、その間ずっと高鳴っていた。

 その高鳴りを鎮めるために深呼吸を二三度繰り返して、ようやく悠人は落ち着くことができた。


「……言っちゃったなぁ」


 そういう流れだったとはいえエルネスタを抱きしめて告白したことを思い出し、悠人は嬉しさと恥ずかしさに悶絶した。

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