第14話

 大学の新館にあるカフェテリア。

 中庭に面したガラス張りのその空間は、冬の柔らかな光を集めて明るく心地よい場所のため、大勢の学生で賑わっていた。

 その中で、騒がしいなぁと思いつつ、悠人は思案に耽っていた。思案、というより連想ゲームだ。『青』と言えば連想するものを悠人は考えていた。空、海、水、などを頭に浮かべるが、どれもしっくりこない。考えがまとまらないせいか、周りの話し声が余計に大きく感じられる。

 旧館近くの食堂に足を伸ばすのも億劫でカフェテリアへやってきていたのだが、思った以上に人がいてうるさかった。人といるときは他人のおしゃべりはあまり気にならないものだが、こうして一人でいるときは圧迫されるような気になる。

 かといって、今更場所を移動するのはなと思い、悠人は一人連想ゲームを続けていた。


「悠人くーん! 元気ないの?」


 頭上から呑気な声がして悠人が顔を上げると、翔太が目の前の席に座ろうとしていた。


「いや、考え事してただけ」

「考え事って、美咲ちゃんのこと? 彼氏と別れたらしいね」


 少し前までの腫れ物に触るような扱われ方も嫌だったが、これはこれでデリカシーに欠けるだろうと悠人は思った。


「……知ってる」


 一言で会話を打ち切りたかったのに、翔太はそんなことには気づいていない様子だ。


「あ、知ってるんだ。てか、別れたっていうより向こうに新しい彼女できたらしいね。しかも、その彼女っていうのがさ――」


 翔太は聞いてもいない泥沼愛憎劇を悠人に語り始めた。悠人は、何でこいつは人間関係、しかも面倒くさい恋愛事情とかに詳しいのかと呆れながら聞くともなしに聞いていた。

 身振り手振り・いらない情報付きの翔太の話を要約すると、美咲の別れた彼氏の新しい彼女は、悠人が美咲の彼氏ではなく浮気相手であると教えてくれた翔太の女友達だった、ということらしい。

 その子は美咲の彼氏に横恋慕し、逆恨みし、眈々とチャンスを狙っていた。悠人が美咲の本命ではないことをバラしたのも美咲の彼氏を手に入れるための策略のうちだった、というのが翔太の見解なのだが、悠人にとってはそんなことどうだってよかった。

 たとえそうだったとしても「知りたくなかった」とは思っていないし、今更何かを知って気持ちが動くことはない。傷が癒えることも、深くなることもない。

 ただ、聞いて気分のいい話ではないことは確かで、悠人の機嫌はかなり悪くなっていた。


「……ヘンリエッテからの手紙を預かってきてるんだけど、どうしようかなぁ」

「なんと! 悠人、後生だからそれを渡さないとか言わないでくれ。俺が悪かった! 俺は、ドロドロ恋愛事情を耳にして一人で抱えておけなかっただけで、決してお前を怒らせようとしたわけじゃないんだ! ごめん!」

「……ほら」


 ちょっとした腹いせに手紙を盾にとると、翔太はおでこでテーブルに穴を空けそうなほどヘコヘコした。その『ザ・平謝り』を見て気が済んだ悠人は、カバンから手紙を出して差し出した。

 手紙を読んでいる間は翔太が静かなのを良いことに、悠人はもう一度連想ゲームを始めた。だが、空、海、水、青い猫型ロボット、寝台列車……など、考えれば考えるほど悠人が欲しい答えからは遠ざかっていった。


「なぁ、翔太は『青』って聞いたら何を連想する?」


 行き詰まった悠人は、手紙を読み終えて余韻に浸りニヤニヤが収まらない翔太に、そう尋ねてみた。


「そりゃ、ヘンリーの目の色だろ」

「え? ヘンリエッテの目ってピンクじゃん」

「違うんだって! あれは魔術で変えてるだけで、本当の色は青色だって教えてくれたんだよ」


 手紙のやりとりのみで盛大に美化され女神のようになったヘンリエッテの姿でも脳裏に浮かんだのか、翔太はニヤニヤを通り越してトロトロになった。その顔を見て悠人は、聞くんじゃなかったと心底後悔した。


「何だよ、悠人。明らかにお気に召しませんって顔は。で、何に悩んでんの? 魔術か?」

「んーまぁ……そうなんだけど」


 悠人は少しためらったが、この友人に相談してみることにした。好きな女の子の話だからと鵜呑みにして、『魔術』などという非日常なことを口にするのはいかがなものかと思うが、その非日常を分かち合える人がいるのは良いものだと思ったのだ。

 だから悠人はかいつまんで、エルネスタの研究と、新しく開発した絵文字とそれを使った魔術の練習と、エルネスタには内緒で考えている魔術について話した。


「悠人、それって絵文字を青ペンで書けば良くね?」


 うんうんと目を輝かせて熱心に聞いたあと、翔太は事も無げに言った。

 それを聞いて悠人は、ボロっと目から何かが落ちた気がした。


「翔太、お前、頭良いな」

「だろ。惚れるなよ?」

「ダメか」

「ダメだ。俺にはヘンリーがいる。そんなことより悠人、魔法使いになるならメガネかけろよ。額に傷描いてやるから」

「嫌だよ。俺、名前を言ってはいけない人と死闘を繰り広げるのは遠慮したい。モブでいいよ、モブで」

「だな。どちらかって言うと魔法少女を鑑賞するほうがいいよな」

「うん。どうせなら魔法使い(男)より魔法少女になりたいくらいだ」

「でも、魔法少女もなかなかキツイぜ? 一見可愛い白い生物に騙されて不当な契約を結ばされたりするんだからさ」

「キツイな。やっぱいいわ」


 二人がそんな無駄なおしゃべりをしているうちに時間は過ぎて行き、講義の終了を告げるチャイムが鳴った。

 その音を合図に、空き時間をカフェテリアで潰していた学生たちが、一斉にバタバタと移動を始める。

 悠人と翔太も荷物をまとめ、その流れに乗った。


「なぁ悠人、そういえば手紙にヘンリエッテからなぜかお前への伝言が書いてあったんだけど、『エルはまだパーティーの準備をしていないみたい。ドレスのことなど気にしてあげてください』だってさ」


 各々の講義室へ向かう去り際に、翔太がそう言った。そのときは何のことかわからなかった悠人だったが、講義中に「聖人誕のことか!」と思い至ったのだった。

 悠人は翔太を友人として気に入っているが、どうにもチャラい印象が拭えず、その友人の口から『パーティー』という単語が出ると、どうしても仮装パーティーや鍋パーティーなどドンチャン騒ぎ内輪の集まりしか思い浮かばなかったのだ。




「ドレスを作る? それは難しいんじゃないかな……」

「やっぱ、そうですよね」


 講義を終えた悠人は、いつもより少し早くバイト先へ行き、コロボックルの如き店主の妻に相談事をしていた。コロボックルとはいえ、女性である。悲しいかな女性の知り合いが少ない悠人は、こうしてバイト先の人を捕まえない限り女性に相談ができないのだ。


「それにしても、ドレスってどんなものなの? ネットで買えない?」

「いやぁ、それが……知り合いの女の子の発表会? のドレスなんですけど、その子、発表会に向けての練習に熱中しててどうもドレスを準備してないみたいなんで、俺が用意してやろうかなって思って……」


 相談しているのに嘘をつくのはやや心苦しかったが、悠人は本質のみが伝わるように説明した。

 ヘンリエッテからの伝言を聞いて、悠人はエルネスタのドレスを用意してやろうとすぐに思い立った。日数的にもリアルショップで探し歩く余裕はなかったためネットで探したのだが、夜の蝶が着るようなものかウェディングドレスか結婚式の参列者が着るようなものしか検索できず悩んでいたのだった。

 ウェディングドレスはそんなふうにあげていいものではないと思うし、夜の蝶ドレスも日本における一般的なパーティードレスも丈が短く露出が激しいものが多い。

 悠人の中で、エルネスタに着せてやりたいドレスは、どちらかといえばおとぎ話のお姫様が着るようなものだった。

 袖はふんわりと膨らみ、腰にはリボンが巻かれ、裾は流れるように長いものがいいのだ。

 そんな少女趣味全開のザ・お姫様ドレスはなかなか見つからず、それなら作ってしまえ! と安易なことを悠人は考えていた。


「なるほど。それで作ろうと思ったわけね。でもね、ドレスっていうか裁縫は舐めてかかっちゃダメよ。私の友達がウェディングドレスを自作するって張り切ったんだけど、やっぱり何ヶ月もかかってたもの。専門卒のその子で数ヶ月かかるなら、初心者の悠人くんならどれだけかかるかわかんないわよ?」


 事情を理解した店主の妻にそう言われ、悠人はガックリと肩を落とした。

 それを見て、店主の妻は自分のスマホを操作して検索画面を表示させた。


「悠人くん、たぶん検索ワードが悪かったわね。『発表会 ドレス』で検索したら、品のあるロングドレスが結構出たよ」

「本当だ」


 ほら、と言って差し出された画面を見ると、ピアノやヴァイオリンを演奏する人が着ていそうなロングドレスが表示されていた。

 だが、裾の膨らみが控えめで袖のないものが圧倒的に多い。どれもエルネスタが着ることを考えると、どうにもピンと来ないと悠人は感じていた。



「……悠人くん、完璧に気に入るものがなくても、胸元や裾にコサージュとかピーズを縫い付けてアレンジするって手もあるわよ?」


 ややがっかりした様子の悠人を見て、店主の妻は笑った。それを聞いて、悠人は安心した顔をした。


「そっか。そういう方法もあるんですね」

「だから、ドレスをひとまず頼んで、現物が届いたのを見てから、手芸屋さんに行ってビーズとか買ったらいいと思う」

「そうですね! よかった、実家から小中で使ってた裁縫箱持ってきてて。普段、シャツのボタンが取れたときしか使わないんですけど」


 頭の中に理想のドレスを思い浮かべて、悠人はウキウキとした。そんな悠人に店主の妻は言う。


「その女の子、シンデレラみたいな体験ができるのね。しかも、王子様が魔法使いだなんて素敵」


 悠人の直向きさが可愛らしく思えて、店主の妻は笑った。

 だが、悠人はその言葉を聞いて夢想から引き戻された。


「……いや、俺はただの魔術使いです。その子は、パーティーで素敵な人を捕まえるんです。俺は、そのために協力してるだけですよ」


 悠人の少し寂しそうな、だけど覚悟の決まった笑顔を見て、店主の妻は何も言葉をかけてやることができなかった。

 苦労の多い恋愛ばかりする子だなと、こっそり聞いていたちょび髭の店主と店主の妻は思った。

 暗黒面に落ちかけていた事情も薄々知っている二人は、悠人が幸せな恋愛をできるようこっそり願わずにはいられなかった。




 その頃、エルネスタは一人で図書館へやってきていた。

 王都にある魔術学院内にあるだけあって、ここの図書館は大陸屈指の蔵書数を誇る。

 エントランスから階段を上がりメインホールに出ると、円形の建物の壁をぐるりと囲むよう棚が配置された、三六◯度本棚の空間に迎えられる。一階から始まり順々にすべての本のタイトルのみを確認しながら最上階である三階に辿り着くだけでも朝から晩までかかると言われているほど、ここの図書館は広い。

 その上、建物の中央部にも本棚群があり、すべての蔵書をチェックするのには何日もかかると言われている。

 そのため、時間を潰すには持ってこいの場所で、研究が行き詰まったのもあり、エルネスタは本の海をぷらぷらとしていた。

 もうそろそろ夕飯時なのだが、ヘンリエッテは自室で聖人誕のパーティーについてあれやこれや頭を悩ませており、何となく食事には誘いにくかった。

 ヘンリエッテは翔太と手紙のやりとりでうまくいっていて、どうも彼をパーティーのエスコート役に誘うらしい。好きな人とパーティーに出席することに決めたヘンリエッテは、今からそのことで頭がいっぱいになっている。

 ヘンリエッテが悪いわけではないが、悠人との関係がどうにも前に進む気配がないエルネスタはそんな彼女との温度差を感じてしまっていた。

 ニコルの部屋も覗いたのだが、用があったらしく不在だった。食堂に行けば会えるかと思ったが、どこにも見当たらず、しかもそこにいる子達もパーティーに向けて気持ちが高まっていて、エルネスタはその空気に圧倒されてすごすごと退散したのだった。


(いっそ、悠人を箒に乗らせて飛ばせようかしら)

 そびええ立つ本棚の間を歩きながら、エルネスタはパーティーでのパフォーマンスについて考えていた。確かに悠人の言うとおり、いくら異世界人の魔術初心者とはいえ、手から火球を出すだけでは地味な気がしてきたのだ。

 箒による飛行は、はっきり言ってセンスだ。練習ももちろん必要だが、飛ぶセンスさえあればすぐに形になる。

 だが、よくよく考えて、悠人が箒に乗って飛んだところで、新しく考えた絵文字による魔術のアピールには全くならないことにエルネスタは気がついた。

 派手さにこだわって本質を見失いつつあることにエルネスタは気づいて、ふるふると頭を振った。そんな仕草をしても思考はちっともクリアにならないのだが。

 何かヒントになるものはないかと別の棚へ移動しようとしていたとき、棚の向こうの通路からにょきっと何かが飛び出したのが見た。それに驚いて足を止めていると、やがてブラージウスが通り過ぎていった。

 ブラージウスの顎が主張しすぎなのは知っていたが、遮蔽物の向こうから現れるときあんなふうに見えるのかと、エルネスタは驚いた。

 あまりの驚きにしばらく立ち竦んでいると、ブラージウスの姿が見えなくなった方から話し声が聞こえてきた。

 ブラージウスが何か言って、それに落ち着いた声でもう一人が返していたが、やがてブラージウスが腹を立てたように声を荒らげて、エルネスタのいる棚のほうへ引き返してきた。


「……何だよ、お前。いつからいたんだ」


 見つかると面倒くさいため隠れていたのだが、そのせいで逆に気配が目立ったのか見つかってしまった。やたらと主張する顎を威嚇するように持ち上げて、ブラージウスはエルネスタを睨んだ。

 見つかってしまったのは仕方がないので、エルネスタも言い返す。


「いちゃ悪いわけ? あなたこそ、何を図書館で吠えてたの? うるさいわよ」

「ニコルといいお前といい、本当に不愉快だ! ユニコーンを捕まえたのは僕たちなんだ! だから、お前より僕のほうが先んじている! お前らがコソコソと身の丈に合わないことをしたって、僕たちには敵わないんだ! 今はこんなでも……絶対どうにかなるんだからな!」

「……は?」


 ブラージウスはひとしきりがなり立てると、勝手に顔を真っ赤にして歩き去っていった。日頃は取り巻きがいるせいでうるさいのかと思っていたのだが、一人で十分うるさいことをエルネスタは知った。


「研究、うまくいってないのかしらね」


 取り巻きを連れずコソコソと図書館へ来ていたことや余裕のないあの態度から推察するに、ブラージウスのユニコーン研究は上々とは言えないようだ。

 そんなことがわかったとしても自身の研究が進むわけではないと思い直し、エルネスタがまた本棚から本棚へと移動しようとしたとき、出会い頭に誰かとぶつかった。


「ごめんなさい……って、ニコル」

「……エル」


 棚の向こうから出てきたニコルは、ひどく驚いた顔をしていた。その狼狽ぶりはぶつかったからというだけではなさそうで、エルネスタは友人にそんな顔をされたことに戸惑った。


「ニコル、どうしたの?」

「何でもない! エルは、何も心配しなくていいから……」

「え?」


 一方的に言って、ニコルは分厚い本を抱えて小走りに行ってしまった。その後ろ姿を見送るしかできず、エルネスタは悲しくなった。


「……みんな何か変よ……」


 あまりにも悲しくなったエルネスタはそう独り言ちて、とぼとぼと図書館の出口へ向かった。



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