第16話


 決戦の夜を迎え、エルネスタは緊張した面持ちで姿見の前に立っていた。だが、その顔には緊張と同時にはにかみも浮かんでいる。

 あれから悠人はチクチクとドレスを仕上げ、魔術の練習に励み、今日を迎えた。すべては、エルネスタを喜ばせるために。

 ミントブルーのドレスを纏ったエルネスタは、その姿を確認するように何度もターンしてみせた。髪はヘンリエッテにハーフアップに結ってもらい、ティアラを載せている。


「似合ってるよ、エル」


 紋付袴を身につけた悠人は、頬を赤くしたエルネスタにそう声をかける。七五三のとき以来の袴に、悠人はエルネスタとは違う理由ではにかんでいた。「パーティーの衣装は俺に任せろ」という翔太が用意したのが、二人お揃いの紋付袴だったのだ。成人式ですら恥ずかしくてスーツの予定の悠人は最初は嫌がったが、「日本人らしさを見せつけてやるんだ」と翔太があまりにも張り切っているため、しぶしぶ了承した。

 結果的にエルネスタたちに「変わった服ね。一目で異世界の服装だって伝わるわ」と好評だったため、まぁいいかと悠人は思った。


「ユート、ありがとう! すごいのね! あたし、こんなに素敵なもの着たの初めてよ」

「エルちゃん、こいつさ、すげぇ必死でドレスの裾とかにチクチク飾り縫いつけたんだよ。縫い物得意なわけじゃないのに、無駄に壮大なデザイン頭に浮かべちゃって。愛されてるねー」

「いいなぁ、エル。こんな素敵なドレスを贈ってもらえるなんて幸せ者ね」


 翔太に冷やかされ、ヘンリエッテに褒められ、エルネスタは幸せそうに笑っていた。翔太と二人で散々練習した隠しダネがまだある悠人は、それを見たらどんなにエルネスタが喜ぶだろうと想像して得意な気持ちになる。


「よっしゃ! 今日はエルちゃんのために俺たちの科学技術を見せてやるぞ!」


 LEDライトとポラロイドカメラと小型の音楽プレーヤーを手に、翔太は張り切っている。異世界人の証明としてわかりやすい科学技術を見せようということになり、翔太セレクトでこの三つを持っていくことにした。

 悠人のノートパソコンがお気に入りのエルネスタはそれも持っていくと言って聞かなかったが、ネットが使えない環境に行くことを思い出させると納得した。


「にしてもさぁ悠人、ずっとこのこと黙ってたなんてひでぇよな」


 恨めしそうな顔をして、翔太はカーテンの向こう側を指差した。

 翔太はエルネスタたちが自分たちとは違う世界から来たということを知っても大して驚きはしなかった。だが、彼女たちが9と3/4番線から来たのではなく、悠人の隣の部屋から来ていると知ったときは羨ましさにひとしきり暴れた。


「こんな非日常、ベラベラ話せるわけないじゃん」

「まぁ、そうかもしれんけど、俺には教えて欲しかったよー」

「でも私、遠距離恋愛気分で良かったけど」

「ヘンリーがそう言うなら、いいんだけどねぇ」


 秘密にされていたことをごねだした翔太を、ヘンリエッテがうまいことなだめた。食事会以降は手紙のやりとりしかなかった二人だが、もうすっかり親密な様子だ。最初は愛称で呼ぶのが気に入らないと言って大樹のほうを選ぼうとしていたのに、とエルネスタは思ったが、ヘンリエッテが幸せそうなので言わないでおく。


「……来たよ」

「まぁ、ニコル!」

「可愛いじゃない、ニコル!」


 準備が整ってキャッキャ言っているところへ、ニコルがやってきた。いつもの三つ編みはほどき、長いその髪はそのままふわふわと背中へ流している。そして普段のノーカラーのシンプルなブラウスと踝(くるぶし)までのストンとしたスカートではなく、鮮やかなグリーンのドレスを身につけていた。


「ニコルもドレス着たんだな」

「……実家から送られてきたの」

「似合ってるよ」

「あんまり見るな!」


 不本意そうにしているニコルに悠人が声をかけると、お人形のような姿になったニコルは噛みつかんばかりの表情で睨みかえした。


「おい、エル。お前は最初、この子をよく『癒し系』カテゴリで俺に紹介しようとしたな」


 ニコルの凄みにたじたじになりながら悠人は言う。それに答えたのは、ニコルのおめかしの最終調整をしてやっていたヘンリエッテだった。


「男の人が何をもって女の子を『癒し系』と見なすかは知らないけど、少なくとも私たちにとってこのニコルは癒しよ? おっとりした口調で他の人が言えないような鋭いことを言ってのけるのは、そばで聞いていて胸がすくもの」


 そう言って笑うヘンリエッテは、黒いマーメイドラインのドレスを纏い、その豊かな身体を存分にアピールしていた。美しい金髪は見事に巻かれ肩上で揺れており、首の後ろでリボン結びされた肩紐とその髪だけでほかのアクセサリーは必要ないほど決まっていた。


「では、姫様たちをエスコートしますか」


 黒、緑、青のドレスの少女たちが並ぶと、それだけで部屋は明るく華やいだ。それを見てテンションの上がった翔太は、キザな仕草で執事のようなポーズをとった。

 だが、どんなに格好つけたところで紋付袴ではふざけているようにしか見えない。ピシッとした人が着れば様になるのに、そうじゃない人が着るとどうにも阿呆に見えると悠人は感じていた。


「じゃあ、このドアを開けたらもうあなたたちの知らない世界だからね」


 ドアノブに手をかけ最終確認のように言うエルネスタに、悠人も翔太も頷いた。それを合図に、ドアがガチャリと開かれた。


 エルネスタの部屋から廊下に出ると、その先に広がる景色に悠人たちは言葉を失った。

 そこにあったのは、悠人たちが普段目にすることはない、西洋のお城を思わせる廊下だった。

 悠人たちの通う大学は、旧館ですらリノリウムの床材が使用される近代的な建物だ。それに慣れた二人にとっては石造りのこの建物は新鮮で、荘厳な雰囲気に背筋をピッと伸ばした。

 長く長く続く廊下は壁掛け燭台の灯りに照らされるのみで、薄暗くしんとしている。何となく言葉を発するのをためらっている様子の二人を気遣って、エルネスタが口を開いた。


「大丈夫? 雰囲気に飲まれてない? こんなの、ただ古臭いだけの建物よ。――もう少し歩いたら会場につくから、力を抜いていきましょ」


 少し反響して届くエルネスタの声に悠人は頷いた。


「魔術を使うタイミングとか俺はわかんないから、合図してくれよ」

「わかってるわ」


 言いながらエルネスタは大ホールの扉に手をかけ、それを開けた。


「わぁ!」


 それまで声を出すことを堪えていた翔太が、思わず感嘆した。悠人も声こそあげなかったが、目の前の光景に息を飲んだ。

 絢爛豪華という言葉がぴったりな、キラキラとした空間だった。床には赤絨毯が敷かれ、天井から吊るされたシャンデリアがその上に眩しい光を降らせている。灯りは当然電気ではなく蝋燭で、炎の揺らめきに合わせて見事なカットが施されたシャンデリアの輝きは表情を変えた。

 その光に満ちた空間をたくさんの人が行き交っていた。談笑したり食事を楽しんだり、ホールの中央ではダンスをしたりしている。

 悠人たちにとっては、映画の中でしか見られないような光景だった。


「悠人、これが社交界ってやつですよー」

「静かにしろって! ただでさえアウェイ感半端ないんだから」


 慣れない雰囲気に気圧されて、悠人も翔太も縮みあがっていた。紋付袴が目立つのか、大勢の人の視線が突き刺さり落ち着かない。

 それでもエルネスタは足を止めることなくホール内を闊歩しつづけるため、一行はそれに付き従って歩いた。


「何、あれ……」


 それまでズンズンと歩き続けていたエルネスタが、突然足を止めた。彼女の視線の先にはカラフルな集団がおり、その集団は一頭の馬を囲んでいた。

 よく見てみると、サーカス団のような衣装を着た一団が囲んでいるのはただの馬ではなく、角が生えていた。


「ユニコーン……ブラージウスのグループね」


 エルネスタが気づいてそう呟いたとき、一団も気づいて一斉に視線を向けてきた。


「おい、エルネスタ。お前、変なの連れてるな。ユニコーンを捕まえられなかった代わりに、変な服装の男の子を連れて歩くなんて、やっぱり優秀な人の考えることは違うなぁ」


 ブラージウスはつかつかとエルネスタに歩み寄ると、揚々と嫌味を言って高笑いをした。

 二人の関係性を知らない悠人と翔太は唖然としたが、ヘンリエッテとニコルの表情を見て、あの一団と彼女たちが仲良しでないことに気づいた。

 エルネスタはブラージウスの挑発にのらず、黙って見つめ返すだけだった。だが、代わりにニコルが前へ出て睨み返す。


「ブラージウス、顎で威嚇しないで。見慣れてない男の子たちがびっくりするでしょ。この男の子たちはね、エルネスタが異世界から召喚したの。ユニコーンより珍しいんだから」

「何言ってるんだ、お前は。そんなことできるわけないだろ? 負け惜しみでそんな出まかせ言うなんて質が悪いな。そんなことより、僕たちの研究成果をご覧に入れよう。エルネスタが捕まえるよりずっと有意義なことができたんだ」


 ニコルの口撃に一瞬悔しそうな顔をしたが、ユニコーンを傍らに侍らせているブラージウスは強気だ。だが、そのユニコーンが明らかに不機嫌なのがエルネスタたちは気になっていた。


「さぁ! 行け」


 ブラージウスは宙に光の輪を出現させると、ユニコーンをけしかけ、その輪をくぐらせようとした。ブラージウスが自信満々に言っていたのは、ユニコーンに芸を仕込んだということだったらしい。

 だが、誰の目にも穏やかには見えなかったユニコーンは、ブラージウスに尻を叩かれたことに腹を立て、途端に暴れ始めた。

 ユニコーンは苛立ったように二三度身体を大きく震わせたあと猛然と走りだし、そのままでは直線上にいたエルネスタが危なかった。

 そのとき、視線があった悠人と翔太は瞬間的に同じことを思ったらしく、瞬きする間に行動を起こしていた。


「ビビディ・バビディ・ブー!」


 男二人の野太い間抜けな掛け声が響き渡り、その場にいる人々は聞いたことがない音楽が流れ、目が眩むほどの光の粒が一帯を満たした。

 突然の音と光に驚いたユニコーンは、目を回してその場に急停止した。


「悠人たち、何をしたの⁉︎」


 寸前のところで障壁を張ってその内側で身を守っていたエルネスタが、二人に寄って行って驚愕した瞳で見上げた。


「いや、これは本当はエルネスタを喜ばせるために練習してたもので、まさかこういう場面で使うはずじゃなかったんだよ……」


 言い訳じみた口調で、悠人は翔太と顔を見合わせた。先ほどは魔術でつけた音楽プレーヤーの電源を今度は手動で切りながら、翔太はもじもじとした。怒られるのではないかと思ったのと、周囲の視線が更に集まったことで居心地が悪くなったのだ。


「そうだったのね……ありがとう、助けてくれて。よかったら、本来見せてくれるはずだった形で見せてくれない? あなたたちが内緒で練習していた魔術を」

「私もぜひ拝見したいな」


 はにかんで言うエルネスタの声に続いて、落ち着いた男性の声が会話に参加した。

 見ると、そこには恰幅の良い中年男性がにこやかに立っており、その身なりから高位の方であることがわかる。


「あの、あなたは?」

「気にしない気にしない。ささ、彼らの魔術をもう一度見せてもらおうじゃないか」


 エルネスタが落ち着かない様子で尋ねたが、男性は微笑んで悠人たちを促しただけだった。エルネスタが頷くのを見て、悠人と翔太は構えをとった。


「ビビディ・バビディ・ブー!」


 二人が声を合わせて呪文を唱えると、先程と同じように翔太の持つ音楽プレーヤーからアップテンポアレンジのビビディ・バビディ・ブーが流れ、悠人の手からは光の粒が飛び出した。

 翔太はプレーヤーの電源のオンオフを切り替える魔術、悠人は光の粒を出す魔術をとことん練習した。本当は二人で光の粒を出す予定だったのが、翔太が習得できた魔術がなぜかこれだけだったのだ。

 悠人が出した光の粒はエルネスタに降り注ぎ、螺旋を描いて彼女の周りをぐるりとしたのち、ドレスのスカート部分を飾る輝きになった。


「あと、こんなのもできるんだ」


 感激に声を失っているエルネスタに畳み掛けるように、悠人は懐から取り出した紙を握りつぶし、彼女へ差し出す。その手のひらから青い炎が生まれ、それにふっと息を吹きかけると、青い薔薇が姿を現した。


「……すごいわ、ユート。いつの間にこんなことできるようになったの?」

「エルに隠れて、すげぇ練習したんだ」


 青薔薇を胸に引き寄せながら、エルネスタは涙ぐんだ。その涙と周りからの拍手に照れて、悠人は子供のように頭をかいた。


「大変楽しいショーでした。ちょっと君、手のひらを見せてくれるかな?」

「は、はい」


 悠人に近づいてきた高位の男性は、差し出された手を興味深そうに見つめた。この男性の行動の意味を理解しているのは悠人と翔太のみで、あとの者はその様子を不思議そうに眺めていた。


「この模様は何かな? 私はてっきり手のひらに陣の刺青でも彫ってるのかと思っていたんだが」

「これは、絵文字です。さっきのキラキラしたものを出すために考えたもので、何度もたくさん出すために消えにくいインクで書いたんです」

「絵文字?」

「えーと、新しく考えた文字で……」

「陣や呪文の詠唱を省略するための手段として考えたものなんです」


 さらに興味を持ったらしい男性に、悠人から言葉を継いでエルネスタが説明を始めた。


「今ある魔術はどんなに簡略化されたものでも、長い歌や古臭い言い回しを覚える必要があり、魔術師でない人には使うことが難しいです。だから私は、より多くの人に使ってもらえるようにするため、その魔術の効果そのものを表す絵文字を用いて魔術を発動させることを考えてみました」


 絵文字の言葉を補佐するように、悠人は紙を取り出して握りつぶし、青い炎から青薔薇を出現させて見せた。その紙に書かれていたのは、炎を表す絵文字の中に薔薇の絵文字が内包されているものだった。これは、翔太と二人で考えた特別仕様のものだ。


「あの……この研究の最も大きな成果は、研究対象として魔術が存在しない世界――異世界からこの二人を連れてきたことなんです。魔力を有していてもその出力の方法を知らない者として、とびきり頭の悪さうなのを選びました!」


 突然ニコルが前へ出てそう言った。悠人はふざけているのかと思ったが、その顔は真剣で、彼女なりにエルネスタを売り込もうとしているのがわかった。


「異世界……奇異な身なりをしているのはそういうわけだったのか」

「こういうものが発達した世界から来ました!」


 男性が食いついたのに気がつき、翔太はポラロイドカメラで男性のことを撮影した。懐からLEDのミニライトを取り出してチカチカさせようとしたのは、さすがに悠人が止めた。


「確かに……我々の持たない技術だね。ということは、君は召喚と、言語の共有化と、新しい文字の開発をしたということなんだね?」

「はい……副産物のようなものなんですけれど」


 男性がいたく感心した様子なのを見て、エルネスタは恐縮した。元々が良縁を引き寄せるためのものだったなんて、口が裂けても言える雰囲気ではない。


「とても面白いね。君のお名前を伺ってもいいだろうか? 私は、北部の魔術学校の理事をやっているバイルシュミットというものだ」

「エルネスタ・アーリンゲと言います。……あの学校の関係の方だったんですね」


 高位の人物であることは予想できていたが、バイルシュミット氏のあまりの立場の高さにエルネスタは焦った。有力者も援助する価値のある魔術師を探しにパーティーへ参加するとは聞いていたが、このクラスの人物まで来ているとは思っていなかったのだ。


「そんなに緊張しなくていい。いやぁ、面白い子を見つけたよ。ぜひ我が校に来て欲しい。優秀な研究者を探していたんだよ」

「よろしくお願いします」


 バイルシュミット氏とエルネスタが握手を交わすのを見て、拍手が起こった。ヘンリエッテとニコルが感激に目を潤ませて、激しく手を叩いていた。悠人も、慌ててそれに倣う。

 エルネスタの夢が叶ったのだ――そう思うと悠人の胸は熱くなった。


「待ってください! 僕はブラージウス・グライリッヒ! 僕だってユニコーンを捕獲して芸を仕込みました!」


 場の空気を読まないブラージウスが、どこかに走って行こうとするユニコーンを取り巻きたちと一緒になって抑え込みながら、バイルシュミット氏に声をかけた。


「ああ、そんなに抑えたら可哀想だ。ユニコーンは気高い生き物だ。こんな室内で芸をさせるための生き物ではない。早く外に出してやりなさい」


 どうあってもエルネスタに対抗したくて必死なブラージウスに対し、バイルシュミット氏はユニコーンの心配をしただけだった。

 それを見て、ブラージウスの顔には絶望が、そして次に憎悪が浮かんだ。


「……何なんだよ、どいつもこいつも。庶民が調子に乗るなよ。庶民は僕たち富裕層に搾取されてればいいんだよ。才能? そんなもん、金でどうにかなる。どうにかするんだよ! ちょっと魔術がうまいからって、勘違いするな! お前の顔を見てるとイライラするんだ。お前の才能に気がついたとき、一番に声をかけてやったのはこの僕なのにっ!! お前みたいな奴は、一生僕の足元で這いつくばってろ! この高飛車貧乏人が!」


 怒りで錯乱しているのか、ブラージウスの言っていることは全く要領を得なかった。だが、その体からにじみ出る負の念や鋭い目つきから、エルネスタに危害を加えようとしていることはすぐにわかった。

 エルネスタに対する好意や嫉妬がない交ぜになった感情は、当人よりも彼女を大事に思う悠人のほうが敏感に察知したのだ。

 だから、ブラージウスがエルネスタのほうに一歩踏み出すよりも早く距離をつめ、拳を突き出していた。


「うるせぇな!」

「あぐぉっ!」


 悠人は握りしめた拳で思いきりブラージウスの顔面を殴った。防御の構えをとることができなかったため、そのパンチはきれいにきまる。脳を揺らされたことで、ブラージウスはその場によろけた。

 悠人はすかさず屈むと、念のためにとブラージウスの手から杖を奪う。


「な、な、何するんだ? お前、この僕が誰だかわかってるのか?」

「誰? まぁ、誰でもいいけど」

「何だと!? この蛮族めっ!」

「……お前、喧嘩したことないんだな。普通、この状況なら吠えるのやめるよ? 杖もなしにどうすんの? キッチンのバイトで鍛えた腕力舐めんなよ? この杖なんかよりずっと重いもん日々振ってんだからな、俺は」


 まだ起き上がれずにいるくせに、ブラージウスは悠人に向かって威嚇をやめなかった。取り巻きたちは蛮族・悠人を恐れてなのか、ブラージウスを助けようとする様子もない。それを見て、悠人の怒りはスーッと落ち着いた。


「ユート、暴力はダメよ。そんなやつ殴って怪我したらどうするの? フライパンを振れなくなるじゃない」


 どうしようかと見守っていたエルネスタだったが、悠人とブラージウスが睨み合ったまま動こうとしないため、割って入った。だが、悠人をたしなめたように見せかけて殴ったこと自体は一切咎めていなかった。

 そのことに、悠人も含め周りの者たちは笑ってしまった。

 サーカスのような衣装を着ていることもあいまって、ブラージウスたちはこの場において道化でしかない。相対する悪役にすらなりきれないのだ。


「いやぁ、若いね。結構結構。自分の大切な女性を馬鹿にされて拳のひとつも振り上げられん男よりよほど私は好きだね」

「ど、どうも」


 まるで余興でも見るかのように事態を見ていたバイルシュミット氏は、悠人にも握手を求めた。


「君も頑張ったんだね。実に筋が良い。我が校に来て、魔術を学ばないか?」

「え?」


 がっしりと悠人の手を握って、バイルシュミット氏は微笑んだ。その顔を見れば、彼が冗談を言っているのではないとわかる。それだけに悠人は戸惑った。だが、悠人がその戸惑いを口にするより前に、翔太が手を挙げた。


「俺も頑張りました! 俺は? 俺は筋、良くないですか?」

「君は……面白いけどおそらく、魔術ではない別の力を使っていたよ?」

「え?」


 悠人と翔太は、それぞれ違う理由で驚いていた。エルネスタは葛藤を浮かべ悠人を見上げ、ヘンリエッテはショックを受ける翔太の肩を抱いた。


「君、そんなに落ち込まないで。その面白い力、ぜひ磨いて伸ばしてくれたまえ。――それで、君は、我が校に来てくれるだろうか?」


 バイルシュミット氏は、改めて悠人に問うた。

 その有難い申し出に悠人の心は激しく揺れたが、約束したことを思い出し、首を振った。


「大変素敵なお誘いなんですが……俺、自分の世界に帰ります」

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