第6話

 まだ多くのものが目覚める前の、静かな早朝の女子寮。ヘンリエッテに呼び出されたエルネスタとニコルは、眠い目をこすって彼女の部屋にやってきていた。


「これがエルの分ね」

「わぁ、すごい……!」


 エルネスタはヘンリエッテから渡された一着の洋服を手に、感嘆の声を漏らした。

 それは、雑誌の写真から見様見真似で作った、悠人の世界のファッションを模した服だった。ヘンリエッテたちに異世界のファッションを見せたいというエルネスタの願いを聞き入れ、悠人が何冊か雑誌を買ってきてくれたのだ。

 美容に関する魔術と同じくらい得意なヘンリエッテの裁縫技術によって、エルネスタたちは合コンに着ていく服を手に入れたのだ。

 エルネスタたちの世界のファッションは、悠人たちの世界のものと比べると形式的で古臭い。デコラティブが過ぎるデザインのものはさすがに貴族の老婦人でさえ身につけなくなってはいたが、それでも悠人たちの世界のファッションの進化と比べると随分とゆったりしている。

 悠人たちの世界の女性たちが男装という枠から外れ当たり前のようにパンツスタイルを楽しんでいるのに対し、エルネスタの世界では数世代前にようやくスカートの裾が地面を離れて、ワンピースばかりだった中にツーピーススタイルが現れて以降大した進歩はない。

 不便と感じたことはなかったが、よその世界のことを知ると、エルネスタはいかに自分が今までの服装に退屈していたか思い知った。


「短い丈なのにふりふりのスカートとか、男の人でも履かないようなぴったりとしたパンツスタイルだとか、向こうの女の子たちのファッションって新しくってかなり刺激になったわ」


 退屈を持て余し、美に対して常に革新的な試みをするヘンリエッテは、雑誌から読み取れる悠人の住む世界にかなり興味を持ったようだ。特権階級の人間が流行の中心にいるという現状を、ヘンリエッテはよく思っていない。庶民の中からファッションのミューズが現れることが新しい流れを生むと信じて、彼女は魔術をファッションと美容の革命のために学んでいる。


「あー可愛い。男の子たちに会うのももちろん楽しみだけど、三人で出かけたいわねぇ。この格好で街に出たら、みんなびっくりするでしょうね」


 白のニットワンピースに袖を通し、うっとりした様子でエルネスタは言う。その場でくるりとターンすると、フレアになった裾がひらひらとして、より気分を軽やかにした。

 魔術学院は制服として支給されるのはマントだけで、あとは白いブラウスに黒のスカートを着用との規定しかないため、エルネスタは普段からヘンリエッテが仕立てた他の子たちのものより短いスカートを履いてはいる。だが、こうして私服として膝を出すのは初めてで、その新しい刺激にくすぐったくなった。


「そうねぇ。お年寄りは卒倒するかも」


 そう言って不敵に笑うヘンリエッテは、オフショルダーのゆるっとしたセーターにタイトなミニスカートを合わせている。ヘンリエッテは悠人の世界のギャルファッションにかなり関心を示して、どうやらそれを積極的に取り入れたらしい。上下黒のその組み合わせは金髪によく映えて、彼女の魅力を引き出している。

 ニコルは膝丈のチュニックを編んでもらい、それを普段のブラウスの上から着てご満悦だ。ファッションに関してヘンリエッテとは異なるこだわりを持つ彼女は、頑として制服のまま食事会に参加すると言って聞かなかったが、それをヘンリエッテとエルネスタが二人がかりでなだめて何とか今の服装をさせることができたのだ。

 ニコルは保守的というわけではないが気に入ったものを持ち続ける質なため、新しいものを取り入れさせるのにはいつも骨が折れる。


「それにしても、向こうの世界の外套がこちらの世界のものと大差なかったのはありがたかったわね。じゃなきゃ私、あと何徹することになったのかしら……」


 ふらりとソファに倒れこみながら、ヘンリエッテは心底ホッとしたように言う。悠人からもらったファッション誌を見る限り、手持ちのフロックコートやケープで上着はなんとかなりそうだった。そうでなければヘンリエッテは洋服作りに追われ、倒れるかボロボロの状態で食事会に参加することになっただろう。

 彼女は魔術によって手を早く動かせるようにして三人分の服を高速で仕立て、その間体が疲れを感じない魔術をかけていたのだ。だが、結局自身の体を動かすことに変わりはないし、誤魔化していただけで疲れていないわけではない。魔術の効能が切れた今、服が完成したことによる高揚感だけが彼女の意識を繋ぎとめていた。


「ヘンリエッテ、疲労回復に効くお茶だよ」

「……ありがとう」


 ほとんど眠りかけた状態で、ヘンリエッテはニコルからカップを受け取った。


「それ、苦いわよ」


 エルネスタは口の中にその味を思い出したように眉を寄せて、ヘンリエッテに警告した。それは普段、エルネスタがよく淹れてもらっているお茶だった。美容のために日頃とんでもないものを飲んでいるくせに、慣れない味にヘンリエッテは目を見開いた。


「向こうのファッションにはかなり惹かれるものがあるけど、しばらくはもう縫いたくないわ。だって、このお茶を飲みたくないもの」


 その言葉を最後に、ヘンリエッテは意識を失った。


「ヘンリエッテ、すごいわ。このお洋服、向こうの世界で売っててもおかしくないくらいの出来よね。……さっそくユートに見せてこようかな」


 エルネスタは体をくねって、揺れる裾を満足気に眺めてうっとりとした。その様子を見てニコルは怪訝な顔をする。


「何で見せに行くの? ……その男の子に一番に見せたいの? 『可愛いじゃん』って言われたいとか?」

「え……ち、違うわよ! そんなんじゃなくて、ユートに見せて何も言われなかったら、それは、ちゃんと向こうのお洋服として違和感なく見えたってことだって安心できるでしょ? ……別にユートに褒められたって嬉しくないしね!」


 ニコルの質問に、エルネスタは戸惑った。そうやって真っ直ぐ問われると、答えにくいことに気づいたのだ。

 ただ見せたかったからとしか言えないこの気持ちを、そのまま口にするのは何となくためらわれる。


「……ふーん」


 慌てるエルネスタを、ニコルは珍しいものを見るような目で見つめていた。




 悠人はベッドの上で気持ち良くぱっちりと目を開けた。それからきちんと覚醒した頭でスマホのアラームを聞き、しゃっきりとした動作でそれを止めた。


「すげぇ……」


 日頃感じたことがない爽快な目覚めに、悠人は感激していた。

 とにかく朝起きるのが苦手で、一人暮らしを始めてからはほぼ毎日悩まされていた。五分おきにアラームが鳴るよう設定して、それを一回一回止めて、最初のアラームが鳴って三十分経つ頃ようやく体を起こすような生活だったのだ。


「すげぇ効果があるんだなぁ」


 枕元においていた小瓶を手にして、しみじみと悠人は言う。その小瓶は雑誌のお礼にエルネスタからもらったものだった。

 エルネスタからの「何か欲しい魔術はある?」との問いに、迷った末「朝寝坊しない魔術が欲しい」と答えたところ、この小瓶をくれたのだ。「寝坊しないというより、決まった時間に目が覚める香油よ」とのことで、六時に目が覚めるよう調合してもらったところ、こうして何の苦労もなく目覚めることができた。


「すげー! 魔術すげー!」


 はっきりしゃっきり覚醒したその気持ちよさに、悠人は浮かれきっていた。勢いよく毛布から飛び出すと、そのまま着替えるために寝間着として着ているスウェット上下を脱ぎ捨てた。


「さ、寒いっ!」


 室内とはいえ十一月。タンクトップにトランクス一枚で平気でいられるほどの気温ではない。


「おはよう、ユート。……って、何よ、その格好⁉︎」


 不用意にカーテンをくぐってきたエルネスタは、下着姿でクローゼットの前に立つ悠人の姿を目にしてしまった。


「ご、ごめん。でも、着替えるから脱ぐの仕方ないじゃん」

「いいから! 何か着て!」

「着るけど、裸じゃないからそんな過剰反応しなくても……」

「はーやーくー!」


 怒るエルネスタの声に急かされるようにして、悠人は慌てて適当に引っ張り出したものを身につけた。

 共学の学校にいても裸に近い異性などお目にかかる機会のないエルネスタにとって、悠人の今の姿は猥褻物以外の何物でもない。

 だが、そうは言っても興味があるのも本音で、目を覆った両手の指をやや開いて、時折その間からチラチラと盗み見していた。


「はい。もう着たから安心しろ」

「そ、そう」


 中途半端に目を覆うエルネスタに、見たくないのか平気なのかどっちなんだと思いながら、悠人は声をかけた。怒っているのはちょっとしたポーズだったエルネスタは、どうやって普通の態度に戻ればいいかわからず戸惑った。


「……で、こんな朝から何しにきたんですかー? エルネスタさん」


 朝食の支度をしながら、悠人は不審なエルネスタを見つめた。マントの前をぴっちり止めて立つその姿は、逆さになって休むコウモリに似ている。だが、悠人の頭にはコウモリよりもトレンチコートなどの下に一糸纏わぬ体を隠して人々の前に現れる変質者の姿が浮かんでおり、少しばかり警戒していた。


「そうそう、これを見せにきたんだったわ!」


 悠人が何に警戒しているのかわからずに、エルネスタはババーンとマントの前をはだけ、中の服を露出させた。裸だったらどうしよう! と一瞬身構えた悠人だったが、すぐに意図を理解し、マントの中から現れた服を見た。


「おお! いいな。似合う似合う」

「でしょ! これ、今度の食事会に着ていくのよ!」

「そうか。うん、いいな。真っ白でニットってかなりポイント高いよ」

「そ、そう? ……まぁ、素材がいいからね」


 手放しに褒める悠人に、エルネスタは大層気を良くした。男の子に対して免疫がないエルネスタは、当然こういった褒め言葉にも慣れていない。真正面から褒められたことに対する戸惑いも大きいため、つい可愛げのないことを言ってしまう。


「翔太の好きそうな服装だな。よしよし」

「……え? ショータ?」

「あ、俺の友達ね。顔も性格も良くて実家が金持ちの、エルネスタにイチオシの奴だよ。だからそいつが好きそうな服装ですげぇいいと思ったんだよ」

「……そうなの」


 エルネスタは戸惑いつつも、自分が悠人の褒め言葉に嬉しがっているということは理解していた。

 だから、この言葉は少しばかり彼女を傷つけた。なぜか? と問われると困ってしまうが、嬉しかった気持ちが萎んでいくのをエルネスタは感じていた。


「もう店も予約したから、あとは週末を待つだけだな。合コンのセッティングなんて初めてだったけど、翔太に聞いた店選びのコツの通りに良い店探したから、大丈夫だと思う」


 そんなエルネスタの様子に気がつかない悠人は、喜々としてそんなことを語る。その顔を見て、さっきの言葉も、服を見たときの褒め言葉も、他意はないのだなとエルネスタは思った。


「あたしもすっごく美人な友達とすっごく可愛い友達連れて行くから、楽しみにしててね!」

「ああ。期待しとく」


 萎んでいく気持ちを奮い立たせるように、エルネスタは無理して明るく、悠人にそんなことを言ってみた。

 そして、ヘンリエッテの部屋でニコルに言われたことを思い出して、その通りだったのだなと苦笑した。


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