第4話
「は? 何だって?」
吊るし終えたシャワーカーテンの向こう側へ、悠人は呆れた声で問いかける。あーこれはちょっと透けるなぁと、威張ったシルエットを見て思いながら。
「だからね、あなたの友達でも何でもいいから、男の子を紹介してって言ってるの!」
「何で俺に言うんだよ。関係ないだろ」
「ひどい! 冷たい! いいじゃない!」
「よくないって。面倒くせぇもん。あ、入るなよ」
カーテンを割ってこちらへやって来ようとするエルネスタを片手で制しながら、悠人は溜め息をつく。これなら高い金額を出してでも、木製のパーテーションを買えばよかったと思ったのだ。
悠人は結局、ホームセンターではポールと布ではなく麻のロープとシャワーカーテンを購入した。ポールでは何かあって倒れたときに危ないんじゃないかという翔太の助言を受けて決めた。倒れたときの怪我よりも、もしエルネスタに倒れた場合、腹いせに魔術でカエルにでもされそうなのが心配だったのだ。
「こんなカーテンで仕切って……あたしのこと迷惑だって思ってるんでしょ?」
「いや、このカーテンは寧ろそっちへの配慮のつもりだったんだけど。知らん男と並んでは眠れんだろうし、丸見えだと不都合があるだろ? 昨日も俺が気づかず寝てしまってせいでエルネスタに不便かけたんじゃねぇかと思って」
「昨日は机で寝ちゃっただけだからいいのよ……でも、確かに困ることもあるわよね」
部屋に戻ってきてすぐ、水色のカーテンが悠人と自分の部屋を区切っているのを見て、エルネスタはそれを彼からの拒絶の意志だと感じていたのだ。だから、その彼から思いやりの言葉を受け取って戸惑った。
「この部屋、エルネスタもわざとやったわけじゃないんだろ? だから、これはあとあとちゃんと元に戻してもらえばいいと思ってるから」
「うん……」
悠人は努めて穏やかに言ったが、別に取り繕ったわけではなかった。
『突然始まるルームシェア☆(魔女と)』というとんでもないシチュエーションに戸惑っているだけで、その原因を作ったエルネスタを責めようという気には不思議とならなかった。
だが――
「じゃあ、あたしに男の子を紹介してよ!」
「『じゃあ』じゃねえって。嫌だよ。何て言って紹介するんだ? 『こちら、異世界から来た魔女さんです』って言うの? 俺が頭おかしいと思われるじゃん」
「そういう情報は伏せて紹介してくれたらいいでしょ? だって、言わなければきっとわからないもの」
「は? 友達に騙して紹介しろってか? 俺はそういうの嫌だから」
友人を紹介できるかと言えば話は別だ。
昨日深夜帰宅したら異世界の女の子の部屋と自分の部屋がドッキングしてたんだ、などという説明をしたあと、どうやったらスムーズに紹介できるんだよと悠人は思う。
「もー!」
「あ!」
カーテン越しの会話のやりとりにイライラしたエルネスタが、暖簾をくぐるようにカーテンを押しのけ悠人の部屋に侵入した。
「あたしに素敵な男の子を紹介してくれたら、ユートにも素敵な女の子を紹介してあげるから。すっごく美人なの! しかもナイスバディ」
エルネスタは『ボン・キュッ・ボン』と手振りでしながら、悠人へ魅力的な提案をした。だが、それを冷ややかに見て、悠人はグイグイとエルネスタをカーテンの向こうへ戻そうとする。
「俺、別にそういう子がタイプってわけじゃないから」
「じゃあ小柄な癒し系ちゃんは? おっとりしてて、おしゃべりしてると楽しくなるわよ」
カーテンの向こうへ押し込まれながら、それでもエルネスタは食い下がる。それに対し悠人は今度は、少し考える素振りをした。
「うーん……でも、今はそういうのいいんだ」
「異世界の男の子と知り合いたいって友達も言ってるのよ!」
癒し系という言葉にやや気持ちがグラついたが、それでもやはり頷かなかった。とんでもない女の子を自分の友人に紹介する気にはなれないし、女の子を紹介して欲しくもないのだ。
たとえリア充共に独り身を笑われたとしても、とてもじゃないがまだ女の子とお近づきになる気分にはなれない。
「ユート、あなたは何に意地を張ってるの? 年頃の健全な男子なら、女の子を紹介すると言えば喜ぶものでしょ?」
「まぁ、普通はそうなんだろうなぁ……」
「もしかしてあなた、振られたばかりでいじけてるんでしょ?」
「……」
さっきから悠人の態度に翳があるのを見てとって、エルネスタはそれを茶化した。悠人が答えないのをいいことに、ズケズケと続ける。
「図星なのね。なら、なおさら新しい出会いがなくちゃ! 恋の傷は新しい恋で癒すしかないのよ? 拗ねてちゃダメよ」
「……拗ねてて何が悪い」
「え?」
「拗ねてて何が悪いんだ? ……彼女が知らない男と歩いてるの見て、浮気されてるのかと思ったら、そもそも彼女にとっては俺が浮気相手だったなんてオチだったら、拗ねたくもなるだろ?」
「……」
ドンっと押され、カーテンの向こうに追いやられてしまって悠人の顔を見ることはできなかったが、エルネスタは彼が泣きそうな表情をしたのを見逃さなかった。
「ユート……あの、ごめんなさい……」
「……うん」
悠人がベッドに上り膝を抱えるのをカーテン越しに気づいて、エルネスタも自分のベッドに上る。触れてくれるなというオーラが漂っているが、傷ついた悠人をそのままにしておけないと思ったのだ。
「ユート、辛い気持ちは人に話したほうがいいのよ。……カーテンにでも話しかけてるつもりで、全部話したら?」
「……いや、見えてるし。カーテンの向こうに高慢ちきな魔女がいるの見えてるし」
「高慢ちきじゃないもん! もう! 見えなくなればいいんでしょ!」
エルネスタはそう言うと、何やらおかしな動きをした。だが、魔術で姿を消すのかと思いきや、毛布を頭から被っただけだった。
「見えない見えない! これでいないのと一緒!」
子供が描いたオバケのようなシルエットになって、エルネスタは言う。そのヤケクソなのかドヤ顔なのかわからない感じに、悠人はクスッと笑った。
「……わかったよ。じゃあ今から話すことは全部独り言な」
そう言って、悠人はぽつりぽつりと自分の話をはじめた。
話してスッキリしたかったのかもしれないし、ありのままを話してエルネスタの余計な口を塞ぎたいのもあった。
誰かに労られたり同情されたりするのが嫌だと、そろそろ思いはじめていたのだ。自分でも話を聞かされた人にも、「何だそんなこと」とか「ひでぇ話」と笑ってしまえるくらいの話にしたいのだ。
だから、悠人は翔太にも話していない深い部分の気持ちも語って聞かせた。彼女の良いところ、悪いところ。好きだった部分や、直して欲しかったこと。それらをひっくるめて、どれほど彼女を好きだったのかを自身でも噛みしめるように、エルネスタに語ったのだ。それは、これまで一度も、誰に対してもしてこなかったことだ。
悠人の身に起こった出来事を知る人は皆、悠人が貢がされていたことや彼女が不誠実だったことを辛く感じていると思っているが、それは真実の半分でしかない。
悠人は不誠実でも、高いものばかりねだる彼女でもよかったのだ。浮気は嫌だが、それが悠人が彼女を寂しがらせたのが原因なら努力するし、高価なおねだりも喜ぶのなら可能な限り叶えてやるつもりだった。
彼女が、きちんと悠人に気持ちを向けてさえいれば。
彼女が、きちんと悠人を好きでいてくれるのなら。
だが、そうではなかった。彼女は悠人を見ていなかったし、悠人に自身を見せてもいなかった。欠片も悠人に想いはなかったのだ。
悠人は、決して満たされることのない器に水を注ぎ続けていたようなものだ。それどころか、最初から器などそこにはなかったのかもしれない。
だから、垂れ流しにされるだけで行き場のなかった想いを取り戻すために、再びバイトに明け暮れているのだと、話しながら悠人は自分で気がついた。
「振られたとかならまだいいよ。告白して振られたとか、嫌われて別れたとかならいいんだ。“そういった気持ちのやりとり”があったんだから。だけどな……好きだった子の本当の誕生日を知らない俺って、惨めじゃない?」
そう言って悠人は、自虐的に笑った。
泣けたのなら、まだよかったのかもしれない。だが、話しているうちに心がどんどん冷たくなっていき、涙の代わりにこぼれたものは、自分で自分を嘲る嫌な笑みだった。
「……酷い話!」
カーテンの向こう、毛布の中からくぐもった声でエルネスタは言った。声が不明瞭なのは毛布に包まっているからで、悠人は最初、エルネスタは怒っているのだと思った。
だが、そうではないとすぐにわかった。
「ひどい……悠人は悪いことしてないのに……どうしてそんなひどいことができるの? あたしだったら、与えられた分だけ愛すわ。愛を返せない人から受け取ったりしないわ。……ひどい……その子はどうしてそんなふうに悠人を傷つけることができたの?」
エルネスタは、泣いていた。泣きながら、鼻水と涙でズビズバ言いながら、怒っていた。
聞き取りにくい声だが、悠人を傷つけた彼女への怒りをぶつぶつと口にしている。
エルネスタは思っていたのだ。どうしてそこまでしてくれる人を愛せないのだ、と。
お金持ちでイケメンと出会いたいなどと生臭いことを言ってはいるが、エルネスタもまだ恋に恋する乙女である。踏みにじられた愛の話には、やはり悲しみと怒りを禁じえないらしい。
「おい……泣くなって。これは俺の話で、あんたが悲しいわけじゃないだろ……」
あまりにもエルネスタがえぐえぐ言うのが気になって、悠人はカーテンを持ち上げた。毛布の中は大惨事なのではと思い、引き剥がしてみる。
「……顔、ぐちゃぐちゃじゃねーか……」
案の定、毛布の下でエルネスタは涙と鼻水に顔を濡らし、ひどいことになっていた。
「だってぇ……あんまりなんだものぉ……」
「……これで拭け。洟もかめ」
オイオイと声をあげて泣くエルネスタに、悠人は自分の部屋から取ってきたティッシュを箱ごと渡した。拭きながらまた新たに水分を放出するため、きりがないようにも思えたが。
「……別にそんなに泣くことじゃねぇよ。……こんなもんじゃ世界は滅びねぇし、誰も死なないしな」
エルネスタの悲しみように、若干引き気味で悠人は言う。だが、それは先程までの自虐的な意味合いではなく、本当にそういう気になってきたのだ。
「……ユート、たとえ報われなくっても、誰かを愛したことは無駄じゃないのよ? ……その人からは返ってこなくても、ユートが注いだ愛は、いつか巡ってあなたのところへきっと返ってくるから……」
「……うん」
涙に声をつまらせながら、潤んで赤くなった目で悠人を見つめてエルネスタは言う。
「だから、愛したことが、愛することが、無駄だなんて思わないで。ね?」
その必死な様子に少し呆れながら、悠人はエルネスタの言葉に頷いた。
これは文化の違いなのかと思いながらも、こうして大げさに泣かれることは、それほど嫌ではなかった。むしろ、こうして泣いてもらったことで、自身で泣けなかった分も引き受けてもらったような、そんな気持ちに悠人はなっていた。
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