第1話


「……えっと、どちら様ですか?」


 今の状況にこの問いかけは適切なのかと悩みながら、悠人はそう口にしていた。


 バイトを終え、疲れ果てて帰りつき、玄関のドアを開けて電気をつけると、知らない女が部屋にいた。


 普通なら、それが危険な状態だとわかる。だが、その日の悠人はヘトヘトのヘトヘト、とびっきりのくったくたになっていたため、まともに頭が働いていなかったのだ。

 そんなポンコツになった脳みそが選び取った言葉は、「どちら様ですか?」だった。自分の部屋に勝手に上がり込んでいる人間に対しての言葉としては、非常に間が抜けている。

 見知らぬ女は、突然ついた明かりに驚き、その後声をかけてきた悠人の存在にさらに驚いた様子だった。

 だが、少しすると落ち着きを取り戻したのか、頭の先から爪先まで悠人のことをしげしげと観察する。それから、納得いかないという顔をして部屋の中を歩き回りはじめた。


「は⁈ どうなってんだコレ⁈」


 歩き回る女を目で追いながら、悠人は自分の部屋に起きているとんでもない事態に気がついた。

 悠人が暮らす学生向けのワンルームマンションは、玄関を開けて少し進むと八帖ほどの居住スペースが丸見えという造りをしているのだが、そのスペースが倍くらいになっていた。正確に言うと、ベッドを置いていた側の壁がなくなって、見知らぬ部屋がくっついていたのだ。

 悠人の部屋は、ベッドの他はテレビと冷蔵庫と電子レンジと、食事をしたりする小さな丸テーブルがあるだけの殺風景な部屋だ。その部屋にベッドを境に天井まである高さの本棚が三方の壁を覆う厳めしい部屋がくっついているのだから、わけがわからないとしか言いようがない。

(隣の部屋の住人が壁をぶっ壊したのか?)

 そんなふうに考えたが、すぐに違うとわかる。悠人の部屋の間取りと、くっついている部屋の間取りとが一致しないのだ。

 悠人の住むマンションは、ひとつの階に同じ間取りの部屋が十戸ほど横に並ぶ造りになっている。そのため、隣の部屋は悠人の部屋と線対称な間取りになっていないとおかしい。だが、悠人の部屋とひと続きになったその部屋は、ひとまわり悠人の部屋より小さいし、床や壁の質感がまるで違っている。

 そんなふうになってしまった部屋も気になるのだが、それよりも傍若無人に歩き回る女の姿に目がいった。

 くるぶしのあたりまですっぽり覆ってしまうフード付きの長い黒マント、マントの中には白のシャボ付きブラウスと光沢のある黒のふんわりとした膝丈スカートを身につけている。

(魔女っ子……なのか? コスプレ? ハロウィンはちょっと前に終わっただろ。それにしても……ヤバイな)

 服装の突飛さもさることながら、何より悠人を驚かせたのは、女の容姿そのものだった。

 胸のあたりまであるまっすぐな髪は、ほとんど赤と言って良いほど鮮やかな、燃えるようなオレンジ色。肌も日本人のものとは異なる抜けるような乳白色で、目の色もガラス玉のような淡い色だった。

 染髪やカラコンで作ったなんちゃって外国人風ではなく、まごうことない外国人だ。

 そんなぶっちぎりな外国人が、どうして、どうやって、この部屋にいるのだろうか? ようやく頭が働くようになって、悠人はそのことに思い至った。

(とにかく刺激しないように、静観しよう)

 心持ち距離を多めにとって、悠人は見知らぬ女の挙動を見守った。

 よく見るとその不審な女は、幼さの残る顔立ちをしていた。悠人より二三歳下だろうか。

 その女、改め少女は、ひとしきり悠人の部屋を物色すると不満そうな表情で戻ってきた。


「―――――――?」

「え? 何だって?」


 少女は悠人の前に仁王立ちすると、何やら言葉を発した。だが、生まれてこの方日本を一歩も出たことがない悠人は、当然その子が話す外国語を聞き取ることができない。英語は大学受験に困らない程度のヒヤリングしかできないし、第二外国語も中国語を受講しているだけなのでこの場では全く役に立ちそうにない。

(第二外国語、ドイツ語かフランス語で迷ったんだよなー)

 サークル勧誘のときに知り合った先輩に格安で教科書を譲ってもらえるという言葉に釣られて中国語を選択したことを、今初めて後悔した。


「―――――――? ―――――――?」

「え? ごめん、そんなふうに話しかけられても俺、外国語わからないんだ」


 怒ったような表情で、少女は悠人に話しかけ続ける。何事かを尋ねてられていること以外、全く何もわからない。その子が何語を話しているかの見当もつかない。

 だから悠人は、顔の前でぶんぶん手を振ってみたり、腕で大きくバツを作ってみたりして、「通じてない」ことを伝えようとした。

 それを見て少女は、腕組みをして首を傾げた。そうしてしばらく悩んだのち、合点がいったというように大きくひとつ頷いて、懐から取り出した杖でサッと虚空をなぞった。


「これであたしの言ってることがわかるかしら?」

「……あ、うん」


 ズズイっと間合いを詰めると、腰に手を当て、少女は悠人を見上げた。

(偉そうな子だなぁ)

 言っていることがわかるようになったことよりも、その態度に悠人は驚いた。先程の腕組みと言い、顎をツンと突き出して見上げる仕草といい、少女が物凄く高飛車であることがわかる。


「単刀直入に尋ねるけど、ここはあなたの部屋なの?」

「そうだけど」

「……同居人とかはいないのね?」

「うん。一人暮らし」

「……」


 少女は悠人の頭から爪先までしげしげと見つめると、明らかにがっかりした顔をした。その上、少し怒っている様子だ。


「……チェンジで」

「は?」

「チェンジで! あり得ない!」


 何に納得がいかないかはわからないが、あり得ないあり得ないあり得ない! と何度も繰り返し言いながら、少女は高速で地団駄を踏む。

 勝手に部屋に上がりこまれた上、チェンジなどと言われた挙句、理不尽に怒られて、悠人も腹が立ってきた。


「何で? この人があたしの良縁だっていうの? それじゃ何のために頑張って準備して挑んだのかわかんなくなるじゃない! ひどい! こんなのってないわ!」


 髪をかきむしらんばかりの勢いで少女は怒る。


「おい、何に腹立ててんのか知らねーけど、部屋をこんなふうにしたのはあんたか?」


 目の前の少女の苛立ちに触発されたように、悠人も怒りを露わにしてグッと少女を見下ろした。その高い位置からの視線に少女はさらに腹を立てたらしく、背伸びをして立ち向かう。


「別にこんなふうにするつもりじゃなかったわよ! あたしはね、『良縁を引き寄せる魔術』を使ったの! お金持ちでイケメンの、その他諸々の条件の良い殿方と至急出会う必要があったから!」

「魔術? ……ちょっと何言ってんのかわかんねーけど、とにかくこれはお前がやったんだな?」


 触ってはいけない危険な思考回路をした相手だと思いつつも、悠人の怒りは冷めなかった。むしろ、この子の何かしらのごっこ遊びに付き合わされているかもしれないと思うと、より一層腹が立ってくる。


「そうよ。あたしだってこんな物置みたいなわけわかんない部屋とくっつけるつもりなんてなかったけど、なぜだかこうなっちゃったの!」


 自分の部屋を物置と言われて、悠人はまたカチンときた。確かに手狭ではあるが、大学合格後、母親と一緒に候補の物件をいくつか見て回り、比較的築浅だったこととオートロック付きだったのが決め手で選んだ部屋だ。それなりに愛着はある。


「じゃあ、あんたが責任持って元に戻せよ」

「できないわよ! この魔術使うのにすごく準備が必要だったのよ? お金もかかったの! それを元通りにするには同じくらいの手間とお金が必要だし、そもそも何の魔術を使えば元に戻せるか検分する必要もあるし」

「さっきから魔術魔術って、何言ってんだよ?」


 怒りを通り越して、呆れ切って悠人は言う。

 それを聞いて少女は、グレーがかった緑の瞳で小馬鹿にしたように冷たく悠人を見やった。


「は? あなた魔術も知らないの? ……好みじゃない上に魔術も知らないなんて」

「何だとコラ! この中二病が! さっきからチェンジだなんだと好き勝手言いやがって。魔術だなんて言葉を日常で使う中二病女に言われたくねーな!」


 頭から爪先までしげしげと観察されたのちの落胆ぶりを思い出し、悠人は本格的に腹を立てた。怒りが体内のホルモンの分泌を促したのか、疲れが吹き飛び目が冴えてくる。

 悠人が本気で怒るため、少女のほうもそれに比例してますます怒りを募らせた。


「何病ですって? 病気じゃないわよ! 魔術を知らないなんてあなた、どれだけ田舎者なの?」

「田舎も都会も関係ねーよ! 魔術なんてないの! わかったらさっさと戻す! そして即刻出て行く!」

「……」


 人差し指をビシッと顔の前に突き立てられ、少女はぐぅと押し黙った。眉根を寄せて困った顔をしているが、口元は叱られた子供のように不満げだ。だが、絶対に悠人が引かないのを察すると、今度は戸惑った様子で部屋を見回した。


「……もしかしてあたし、違う世界に来ちゃったの? どんなに田舎だとしても、生活の中に小さな魔術はあるはずだもの。それなのに……この部屋には何もないわ」


 戸惑いというより若干の怯えをにじませて、少女は自分の体を抱いた。それは辛いことに耐えなければならないときに、この少女がよくやる癖だった。

 心底弱っているという様子の少女を見つめて、悠人も冷静さを取り戻しつつあった。そうして、今この部屋で起きていることについて考えはじめる。

 帰宅すると、見知らぬ部屋とドッキングしてしまっていた自宅。目の前にいる、魔女コスプレの外国人。演技かもしれないが、杖をひとふりしたのちに通じるようになった言語。

 冷静な頭で考えると、これらのことを説明する術を悠人は持たない。魔術なんてものは信じていないが、これまで悠人が持っていた常識の外側の出来事が起きているのは、どうやら確からしい。


「まぁ、怒ってても埒(らち)があかんから、とりあえず順を追って話聞かせてくれよ」


 落ち着いたことによってバイトの疲れが蘇ってきたのと、自分より年下の子に本気で怒って気まずくなったのもあり、悠人はそう優しく少女に言った。悠人にそう言われ、怒ったり取り乱している場合ではないと思い、少女もこくんと頷く。

 その瞬間、部屋に鳴り響く間の抜けた音。


「……何だ、腹減ってんのか?」

「……」


 年頃の女の子としては非常に恥ずかしい事態だが、二人きりという状況で誤魔化しようがないと判断し、しぶしぶ少女は首を縦に振った。


「わかったわかった。何か用意してきてやるから待ってろ」


 羞恥に紅くなった頬を膨らませ、目を伏せて立っている少女を見て、悠人の警戒心は一気に薄れた。さっきまで大威張りだった子が、小さくなって今にも消えてしまいたいというような顔をしているのを見ると、スッと怒りが引いたのだ。こうなると、迷い込んだ小動物に餌付けするような感覚だ。

 悠人は上着を脱いでキッチンスペースに立った。

 コンロで湯を沸かし、沸騰してきたところで固形のコンソメを落とし入れる。コンソメが溶けたのを確かめて冷凍庫から取り出した作り置きのロールキャベツを三つ投入し、煮立ったところで醤油とみりんで味を整えた。

 大学に入ったばかりの頃からバイト先で色々仕込んでもらったため、これくらいのことは朝飯前だ。手料理恋しさに押しかけてくる友人たちに振る舞うことも多いため、用意も手際も良い。



「できたぞ。ケチャップはお好みで」

「……ありがと」


 丸テーブルにランチョンマットを敷き、その上に湯気の立つ皿を置いた。少し悩んで、添えるものは箸ではなく、ナイフとフォークとスプーンにした。外国の女の子がどうやってロールキャベツを食べるのかわからなかったのだ。

 床にそのまま座ることに驚きつつ、少女は腰を下ろした。悠人が靴を履いていないことに気づき、慌ててブーツを脱ぐ。

 悠人はどうしようかと迷ったが、狭い部屋で他に行く場所もないため、少女の向かい側に腰を下ろした。


「……名前は? 俺は土屋悠人」

「ツチヤ・ユート? ツチヤと呼べばいい? あたしはエルネスタよ」

「ツチヤは苗字……えっと、ファミリーネームだから、ユートがいいかな」

「わかったわ、ユート。あたしはグラフローズから来たんだけど、ここはどこ?」

「……グラフローズ? 聞いたことねぇな……ここは日本っていう国だ」

「……そうなの」


 お互い聞き馴染みのない地名に戸惑い、言葉が続かなかった。

 悠人は手持ち無沙汰にポケットからスマホを取り出して弄りながら、乏しい世界地理の知識を記憶の底から引っ張り出そうとしていた。

 エルネスタは息を吹きかけて冷ましたロールキャベツを口に運びながら、ひとつの可能性について考えていた。


「ユート、あたしね、『良縁を引き寄せる魔術』っていうのを使ったの。馬鹿高い琥珀を買ったり、自分で赤い糸を染めたり、何日もかけて床に魔術陣を書いたり、とにかく準備が大変だったのよ。……まぁ、必要な魔術だったから仕方ないんだけど」

「おいおい。彼氏欲しさにそんなことに必死になるなんて、魔女じゃなくて喪女だな」


 真正面からエルネスタの発言を受け止めたくなくて、悠人は茶々を入れる。

 言葉の意味はわからなかったが、馬鹿にされているというニュアンスは伝わったため、エルネスタはムッとした。それでも、少し悠人を睨みつけるだけにして言葉を続ける。


「……それでね、あたしの力不足か何らかの手違いかで、『良縁』としてあなたを引き寄せてしまったんじなないかと思うのよね。しかも部屋ごと! よりにもよって『異世界』の!」

「……」


 まくしたてるようなエルネスタの言葉に、悠人は絶句した。その突拍子もない発言に追いついていけなかったからではなく、今まさに自身も思い至った考えだったからだ。


「……やっぱり、そう考えるのが自然だよな」


 スマホの液晶を見つめて、悠人はそう呟く。スマホに表示されているのは、ポータルサイトの検索画面。『グラフローズ』と検索したが、それらしい地名は一切ヒットしなかった。


「異世界かぁ……ってことは、魔術があるってことなんだよなぁ」


 悠人はベッドの向こうのエルネスタの部屋に目をやった。漆喰の壁に板張りの床、部屋を照らしているのは壁掛け燭台の灯り――それらを見つめて、そういえば魔術使いの映画でこんな部屋を見たなぁなどと考える。


「そういう言い方するってことは、本当にあなたは魔術を知らない世界の人なのね。……代わりに、別のものが発達したみたいだけど」


 悠人の手の中にあるスマホを興味深げにエルネスタは眺めていた。元々好奇心旺盛で研究熱心なのだ。手違いであったとしても、せっかく知らない世界に来たのなら、何か収穫が欲しいらしい。



「わかった! あなたの部屋、全然本がないことから考えると、その小箱の中に情報を閉じ込めていつでもどこでも見られるようにしているのね! あたしたちの世界でも、貴石に情報を封じ込めて持ち運びを簡単にする研究がされてるんだけど、それが別の形で成功したとすれば説明がつくわ! 材質は何? 小さな石板みたいになっているの?」


 突然閃いたように、エルネスタは悠人に矢継ぎ早に質問をした。だが、連日のバイト疲れと目の前で起きている非常事態に、悠人はまた頭が働かなくなっていた。少女の興奮についていけず、眠そうに目をこする。


「そうそう。これはとっても便利な道具なんですよー。遠くにいる人と話ができるし、欲しい情報を検索することができるし、暇つぶしにゲームもできるしね。……そんなことよりエルネスタ、この部屋はすぐに元通りにはできないんだな?」


 シャットダウンされそうな意識で、悠人は何とか最優先事項について尋ねる。


「……え、うん。ごめんなさい。時間がかかると思うわ」

「そうか……ならしばらくルームシェアなんだな。てか、元々別々だった部屋がくっついたからシェアしてるわけじゃないんだけどな……ごめん、俺もう寝るから。明日は、つーか今日は大学もバイトも休みだから、起きたらまた話そう。とりあえず、寝かせてもらうな」


 言いながら悠人はふらふらとベッドへ移動して、布団に潜り込んでしまった。本来なら、着替えて楽な服装になるか下着姿になってしまいたがったが、一応レディの前だからと自重した。時計を見るともう深夜三時。エルネスタの返事を聞く前に悠人は眠りに落ちてしまった。

 探究心を満たすためとことん質問したかったが、悠人が幽鬼のようにふらふらと布団に入ってしまったのを見ると、エルネスタは何も言えなかった。

 そして、そういえば自分だって大きな魔術を使って疲れていたのだと思い出した。


「……料理上手って条件は当てはまったわね」


 もう熱々ではなくなったロールキャベツをつつきながら、エルネスタは呟く。悠人の作ったロールキャベツは、ここ最近粗食続きだったエルネスタの胃袋にじんわり染みていくようだった。


「ユート、ごちそうさまでした」


 返事はなく、かすかに響くような寝息だけが聞こえていた。

 ロールキャベツを食べ終えて、エルネスタは自分の部屋へ帰ることにした。勝手がわからなかったため、皿は悠人が料理をしていたスペースの隣の、水場と思しきところへ片しておく。

 簡素な作りで最初は物置かと思ったが、よく見れば狭い空間に風呂やトイレなどの設備が整っており、とても機能的だ。自室で火が起こせて水も手に入れることができるのはかなり羨ましいなとエルネスタは思った。

 起きたら、この部屋のあれこれについて聞いてみよう――そんなことを思いながら、悠人の寝姿をチラリと横目に部屋へ戻った。

(寝ようかと思ったけど、ベッドの配置を変えない限り無理ね)

 ベッドを据えていた側の壁がなくなってしまったため、悠人のベッドと並ぶ形になっていた。つまり、今そこで寝れば、もれなく悠人の添い寝付きということになる。

 仕方なく机に向かい、突っ伏す格好で目を閉じた。勉強が忙しいときはいつだってこうして仮眠をとるため、すっかり慣れきっている。

 悠人とは違い、エルネスタはなかなか寝つけなかった。疲れてはいたが、思考を整理しないと落ち着いて眠れそうになかったのだ。

 だから、今回の魔術の失敗について考えてみる。

『良縁を引き寄せる魔術』を使ったはずなのに、その結果は異世界のある部屋と自分の部屋をくっつけてしまうというものだった。

 しかも、部屋の主は明らかに金持ちではないし、イケメンでもなかった。

 異世界との接続ができたことは、すごいことなのだの思う。だが、そんなことは何の気休めにもならない。

 来月に迫った聖人誕のダンスパーティーまでに、お金持ちでイケメンの、その他諸々好条件な殿方と縁を結ばなければならないのだから。

 この際、お金持ちならそれでいい。エルネスタに湯水のようにお金を落としてくれる人であれば問題ない。ただ、年頃の娘としてどうせなら、イケメンで優しくて料理上手でユーモアのセンスがあったらいいなと思っただけだ。

 いつも勉強ばかりで、「エルは勉強が恋人なのね」と仲の良い友達には笑われる。それでも、エルネスタは自分が年頃の女の子としてそこまでイケていないとは思っていない。

 とびきりの美人というわけではもちろんないし、背も高くないけれど、母親似で目は大きいし、鼻筋は通っているほうだ。髪も最近手入れを怠ってパサついてしまっているが、ちゃんとすれば鮮やかなオレンジがとても人に好感を与えることを知っている。

 だから、きっと出会いさえあれば自分にだってチャンスはあるはず――そう思って今回の大魔術に挑んだのだった。

 エルネスタが魔術を学ぶ魔術学院は、各地方から優秀な魔術師が集まる。

 エルネスタも、大陸北部の農村から人々の期待を背負って入学した。

 幼い頃から魔術の素質があり、村の学校に入る頃には生活の中で使われる小さな魔術はすべて使えるようになっていた。学校に入ってからは一般教養の教科書よりも図書館で借りた魔術に関する本を読み漁り、独学で魔術を極めていった。

 農業に従事するエルネスタの両親は、本来ならエルネスタにも自分たちの畑を継いでもらいたいと考えていた。だが、エルネスタの探究心を止めることができなかったことと、周囲の人々の『村の小さな魔術師』に対する慈愛と期待の眼差しに後押しされたことで、魔術学校への入学を許したのだった。

 エルネスタの生まれた北部の街にも魔術学校はあったのだが、本人の希望と村の学校の勧めで王都の魔術学院を目指すことになった。広く開かれた門戸ではなかったが、周りの人々の期待通り、好成績で入学を決めた。

 こうして、村一番の小さな可愛い魔術師は、鳴り物入りで王都へやってきたのだった。

 だが、エルネスタの快進撃もここまでだった。

 各地方から優秀な魔術使いが集まるだけあって、当然上には上がいた。ただ真面目に無邪気に魔術と向き合っているだけでは『持っている者』にはなかなか敵わなかった。

 エルネスタを一等苦しめたのは、お金を持っている連中だった。貴族からの寄進で大部分の学院運営費を賄っている関係で、エルネスタたち優秀な生徒たちと別の理由で入学してくる生徒たちがそれなりの数いた。

 そういった生徒たちは集まって束になり、優秀な生徒を突っつき回すようなことをした。エルネスタもことあるごとに田舎者だと笑われた。

 いけすかない連中だが、持っている者というのは、強い。力を持たない普通の生徒たちは身を守るために金持ちたちに迎合していった。料理でも高い食材や調味料を使えば腕がさほどなくても、それなりのものは作れてしまう。魔術もそれと一緒で、金持ちたちは道具でも材料でも何でも良いものを揃えて他と差をつけていった。そういった恩恵を少しでも分けてもらいたいと、金持ち連中に与する者も少なくなかった。

 だが、大切に育てられたという自負と矜恃があるエルネスタは、そういったことを決してよしとはしなかった。

 迎合していった生徒たちとは別の手段で身を守るために、エルネスタは折れず挫けず自分の道を進んでいった。

 そうしていつの間にか心は頑なになり、周囲へ高飛車に振る舞うことが多くなっていた。

 そんなふうだから、必然的に友人は少ない。当然男の子との縁もない。村にいた頃は、それなりに楽しげなこともあったのに。

 だが、そんなことでめげてはいられない。

 村の期待を背負って、わざわざ北部から出てきたのだ。負けて帰るわけには、いかない。

 そのためには、お金が必要なのだ。


「……玉の、輿……」


 机に突っ伏して悔しかったあれこれを思い出していると、いつの間にかエルネスタは眠りに落ちていた。


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