良縁魔術とルームシェア
猫屋ちゃき
プロローグ
とある世界の、日本と呼ばれる国。
繁華街の大通りから一歩奥まった通りにある、こぢんまりとした創作洋食レストラン。
そこの厨房で汗だくになりながらフライパンをふるう青年がひとり。
「悠人、それあがったら蕪とジャコのペペロンチーノな!」
「はい!」
悠人と呼ばれた青年は、皿に出来上がったカルボナーラを盛ると、手早く次の作業へ移っていった。
もう日付が変わりそうだというのに、今夜はかなり賑わっている。ディナーのピークを過ぎても客足は途絶えることはなく、三十ほどある客席も常時半分以上が埋まっている。先ほども団体客が入ってきて一斉にパスタや軽くつまめるフリットなどを注文したため、一時的に厨房は戦場と化した。
これから年の瀬に向けて会社員の飲み会が増え、飲み直しや締めにと立ち寄る客も多くなる。
去年すでにその忙しさを経験して知っている悠人だったが、さすがに疲れが出たのか、ふらりと目の前が一瞬白くなるのを感じた。
悠人の疲れは今夜の忙しさによるものではない。ここ最近彼は、働いて働いて働いて、とにかく働いていたのだ。
隣でサンドウィッチにするためのカツをあげているちょび髭の店主が、悠人をこき使っているわけではない。悠人が自ら、店主にシフトを入れてくれるよう頼んでいた。
動くことをやめたら死んでしまう回遊魚のように、悠人は止まることを拒んでいた。大学で講義を受けたあとバイトへ行き遅くまで働いて帰って寝てまた大学へ……という生活をつづけ、ヘトヘトになって眠る毎日を望んでいた。
お金が欲しいというのも、当然ある。少し前に悠人は手痛い出費をして、それを急いで取り戻したいと思っていた。その出費が、その出費をしなければいけなかった理由が、悠人を大きく傷つけたため、同額を手に入れることによってその精神的な傷を癒そうと躍起になっているのだ。
忙しくしていたいというのも、ある。忙しくしていれば無駄なところに気持ちを割く余裕がなくなるため、思考が悲しみの中にどっぷり浸かることを避けられるからだ。
悲しみと向き合ってとことん消化、あるいは昇華してしまえるまで悲しみ抜くというタイプの人間もいるが、悠人はそうではない。
とにかくいつも以上に忙しくして、悲しみを一旦自分の生活圏から追いやってしまわなければ、元の通りになれないのだ。
時間が経てば、あるいは今より大人であれば、悠人の抱える悲しみなど大したことないと思えるかもしれない。だが、今の悠人にとってはすごく悲しいことで、それは変えようがないから仕方がない。
だから悠人は、今夜もキリキリと働く。そうやって忙しくしていればしているほど、救われる気がしていた。
だが、時折気を抜くと、ふっと悠人のオーラは黒くなる。それはおそらく、心の中から追い出しきれない悲しみが、気づかぬうちに悲しみよりもっと質の悪いものに変質しているからだろう。
ちょび髭の店主と、コロボックルを思わせる小柄なその妻は、そんな悠人を心配そうに見つめていた。だが、彼がそのことに気づく様子はない。
しんしんと更けていく冬の夜、外の寒さも知らぬまま、手狭な厨房の中で悠人は汗をかきながらフライパンを振るい続けていた。
場所は変わって。
とある世界の、グラフローズと呼ばれる大陸の中央に位置する王都・クーニス。
大陸きっての魔術学校の女子寮の一室で、鬼気迫る表情で佇む少女がひとり。
エルネスタというその少女は、今から一世一代の大魔術に挑もうとしていた。
大魔術といっても、難易度的な問題よりも、手間と材料費の問題のほうが大きかった。
材料のひとつである、縁ある男女を結ぶという赤い糸は自分で染めなければならなかったのだが、鮮やかな赤を出すのは本当に難しかった。赤い花びらをはじめ、綺麗な実をつけるが毒があるヤマブドウや、果ては樹皮や野菜まで様々なものに手をつけたが、結局植物からは望む色が出せなかった。その後、彼女は巷に流通する鮮やかな赤が鉱物で染められているということを知り、装備を整えて採掘へと出かけていき、何とか材料を揃えたのだった。
材料を揃えたあとも深い赤を出すために何度も染め重ねを繰り返し、ようやく希望通りの赤い糸を手に入れたのだが、その過程でエルネスタは「あたしって魔術師じゃなくて染物師だったっけ……?」などと目的を見失いかけることもあった。
その他の材料も、精霊の涙とも呼ばれる高価な虫入りの琥珀だったり、血で文字を彫り込んだ蝋燭だったり、満月の夜に収穫したハーブを煮出して作る香油だったり、とにかくお金か手間かがかかるものばかりだった。
その上、魔術を行うために必要だった魔術陣も、文様の精密さから大きく書くほかなく、部屋の床いっぱいに正確に書き上げるには何日もかかった。
エルネスタがそんなに必死になって魔術の準備をする様子を、友人たちは「必死過ぎる」「努力する方向が違う」と呆れて見ていた。
それもそのはず。エルネスタがやろうてしていたのは「良縁を引き寄せる魔術」だったのだから。
「絶対に、お金持ちで魔術も上手でイケメンな殿方と縁を結んでやる!」
鼻息荒くそんなことを言いながら一心不乱に魔術の準備をするエルネスタは、はっきり言ってイケていない。そんな暇があるなら学生としてしっかり真っ当な魔術の勉強をするか、年頃の娘として髪や肌の手入れに励むべきだと誰もが思うだろう。
ツルハシを背負って山へ分け入ったり、目の下に隈を作って夜な夜な床に魔術陣を書いたり、非モテ女子真っしぐらな子が良縁がどうだと言っているなんて冗談にしか聞こえない。
だが、呆れられても馬鹿にされても、彼女にはこの魔術に手間とお金をかける理由があった。
絶対に成功させる。絶対に、お金持ちで魔術が上手でイケメンな、優しくてユーモアのセンスもあってついでに料理上手な彼氏をゲットする――そんな決意を新たに、エルネスタは呪文を唱えはじめた。
そんなわけで、猫の爪で暗幕をちょいと引っ掻いたような月が光るある夜。
繋がるはずのなかった二つの世界の二人が、ひょんなことで出会ってしまう。
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