梅雨の風物詩 -4-
次の週、梅雨はまだ空ける様子もなく、鬱陶しい空気を蔓延させていた。その空気に煙を混ぜ込みながら、明日香が大きな溜息をつく。
「なんであの子を採用したの?」
「他に比べてマシに見えたから」
明日香に負けず劣らずの、うんざりした顔で真が呟く。
非常階段に点いた灯りが、霧雨を照らしている。細い雨は彼らの体を、気付かない程度に濡らしていくが、そのまま此処に立っていれば、最終的には服を濡らして不快な物に変化する。
「結城には、ダメだって伝えたのに」
「あいつ、後で思い出したみたいだけど、理由聞いてなかったってさ」
「言わなかったっけ。……あ、言ってなかったかも」
フロントの中には、雇ったばかりのバイトがいる。今日が初出勤日だったが、それを知った明日香が強張った表情をしたのを真は見逃さなかった。
何をそんなに嫌がるのだろう、と不可解に思っていた真も、彼女が来てから十分後に理由を悟った。
「面接中もずーっとだったんだよね。だから嫌だったのに」
「履歴書に書いておいてくれん?」
「度忘れしたの。あれって何て言うんだっけ?」
「貧乏ゆすり」
あぁ、と明日香が脱力した声で納得する。
「そうだ、そうだ。普段、使わない単語だから忘れてた」
新しいバイトの悪癖。それは貧乏ゆすりだった。
椅子に座って、延々と膝を揺らしている姿は、狭い室内ではどうしても目に入ってしまう。しかもその揺れが尋常ではなく、微振動が床を伝わってくるレベルである。
「しかも、携帯見ながらずっとクスクスしてるべ? あれ、すっげぇ気になるんだけど」
「さっきチラッと見えたけど、オタク向けの画像見てた」
「まじで?」
「あの、所謂……男同士の」
明日香はそう言いながら、煙草のフィルターを噛みしめた。
中にボールが仕込んであり、それを噛み潰すことで味が変わる仕組みであるが、明日香はそのブルーベリー味を欲したわけではない。単に苦々しい思いで噛んだだけである。
元から風俗雑誌を愛読書とする明日香は、彼女が見る物に文句をつける気はさらさらない。不満に思うのは、その読み方にあった。
「別にいいよ? そういう趣味があってもいいと思うよ? でもせめて笑わないで見てほしかった」
「真顔でそういうの見られても怖くね?」
「それもそうだけどさ」
どちらからともなく、溜息が零れる。
採用しなければわからないことは多くある。落ち込んでいる暇などない忙しい職場なら兎に角、この仕事はとことん暇だった。己の失敗を振り返って、考え込んでしまうぐらいの時間は有り余っている。
要するに無駄な時間だった。
有名なSF小説に、時間を買い取る組織が出てくるものがあるが、あらゆる人間の時間を欲しがる彼らだって、此処の時間は欲しくない。無駄な時間は、それを突きつめたところで無駄である。
「バックれてくれねぇかなぁ。あいつ、元々補欠みたいなもんだし」
「駄目だよ。またバイト募集しなきゃいけなくなるし、暫くは我慢しよう」
「だーよなー……」
真は短くなった煙草を、灰皿の中に入れた。溜まった雨水で火種が消えて、細い煙が立ち昇る。
「まさか、本命のほうが逮捕されるとは思わなかったし」
「なんで逮捕されたんだっけ」
「合法なハッパでトリップして、通行人をボッコボコ」
「終わってるねー」
「なー」
この店のバイトは、まともじゃない人間しか来ない。
それをしみじみ味わいながら、二人はなかなかフロントに戻れずにいた。
END
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