真冬の風物詩

真冬の風物詩 -1-

 季節は二月。肌寒い空気はまだ我慢も出来るが、時折吹く強い風に、耳や指先が凍えていく。

 冬に必要なのは、温かい部屋、暖房、こたつ、蜜柑も欲しいところではある。座布団を枕にして寝転がって、風邪を引かないようにしながら、怠惰なまどろみへ落ちる。それが至福と言うものだろう。


 非常階段に降り積もる雪を見ながら、麻木真は煙草を吸っていた。心優しいクズの真は、今はとても心を痛めている。雪なのでパチンコ屋に行けなかったのだ。平素は朝早くから店の前に並び、整理券をゲットすることを朝の体操と呼んで憚らぬ男だが、今日ばかりは事情が違う。


 首都圏一帯を覆う、雪・雪・雪。

 天気予報では二十年ぶりだか三十年ぶりだかの大記録だと騒ぎ立てている。そのせいで電車が遅れに遅れ、朝の体操が出来なかった。これは、日頃のビール腹を気にしている真にとっては由々しき問題である。


「すっげぇ雪だな」


 独り言と共に口から零れる白い息が、雪に混じって消えていく。

 少し経って、非常階段を昇ってくる音がしたと思うと、バイト仲間の結城智弘が雪まみれで現れた。


「ちーっす」

「うぃーっす。電車どうだった?」

「路線一緒だろ」

「家から来たん? 大学サボリかよ」

「休校だよ」


 当然だろ、と言いながら智弘は煙草のソフトパッケージを取り出した。まだ封を切っていないそれを見て、真は首を傾げる。


「自分で買ってくるの、珍しいじゃん」

「だってこんな天気じゃ客も来ないだろうし、かといって外にも出たくねぇだろ?」


 その言葉を裏付けするかのように、智弘は大きなコンビニのビニール袋を持っていた。中にはインスタントコーヒーや、駄菓子、スナック菓子、おにぎりなどが詰め込まれている。


「頭いいな。俺、スロットの情報誌しか買ってこなかった」

「逆になんでそれを買ったんだよ。いつも動画サイトで見てるくせに」


 煙草を咥えた智弘は、寒さのために赤くなった手でライターの火を灯す。

 十年程前に市販の使い捨てライターには、子供が容易に悪戯出来ないようにチャイルドロックがついた。子供の力では使えないように着火ボタンを重くしたり、小さなスイッチを解除しないと火が点かなかったりと形式は様々である。


 だが智弘の使い捨てライターにはそれが点いていない。理由は簡単だった。自分で外したのである。指先に入れるわずかな力の増量を惜しみ、ライターを分解してチャイルドロックの部品を取り外すところが、如何にもクズの発想だった。


 燃えろよ、燃えろ、倫理よ燃えろ。こういうクズがいるから、世の常識人は苦労する。一生懸命勉強して、良い大学を出て、良い就職先を得て、馬鹿とクズのために苦労する。素敵なカタルシスである。


「寒ぃ」

「じゃあ煙草吸わずに中入れよ」

「麻木の癖に面白いこと言うじゃん」


 白く染められた都会の冬空に、煙草の煙が混じり込む。これが十二月であれば趣もあるだろうが、残念なことに今日はバレンタインデーだった。二人ともそれなりに女性関係は持っているものの、それに執着するような質でもない。

 チョコレートよりは煙草が良い。煙草よりは酒が良い。酒がなければスロットの資金が良い。そんな腐り切った思考回路である。


「今日は俺と麻木と、誰?」


 智弘の問いに、真は視線も向けずに答えた。


「原田」

「来た?」

「遅れるってさ。あいつの使ってる電車、朝から停まってるみたいだし」


 真は煙草を灰皿に放り込むと、冷えた両手を摩りながら階段を昇り、店内に戻る。スタッフルームは生ぬるい温度で支配されているが、それは閉まることがない受付の窓と、年代物のエアコンのせいである。

 室内で煙草を吸うスタッフにより老朽したフィルターは、何度丁寧に掃除をしても妙な臭いを放っているし、風向きを変えるには中の羽を手で動かさねばならない。

 更にそれを、ほぼ毎日使うのだから、少しでも温かい風を出してくれるだけで感謝すべきだった。素晴らしき日本の技術を噛みしめながら、真は受付の椅子に腰を下ろす。


「飯どうしよっかなー」


 外は大雪である。

 といっても此処は都会の駅の近く。夜遅くまでやっている店がガソリンスタンドしかない真の地元とは違う。寒いのを我慢して、目の前にある中華系チェーン店に駆け込み「餃子定食持ち帰り、生卵も」と言えば、少なくとも食料は手に入る。


 しかし、真が欲しい「飯」はそういう物ではない。では何が欲しいのかと言われると、それは本人も困るところであるが、ともかく餃子定食と生卵ではないことは確かだった。


「麻木」


 煙草を吸い終わったらしい智弘が、スタッフルームに顔を出した。


「ちょっと着替えてくるから、これ置いておいて」

「おう」


 差し出された、雪に濡れたビニール袋を受け取る。智弘は「よろしく」とだけ言って、また出て行った。

 部屋を清掃するために用意されているタオルを一枚手に取り、それを下敷きにしてビニール袋を床に置く。吊り上げられたことで均衡を保っていた中身が、重力に負けて若干崩れた。


 真は手を出しかけて、しかし途中でそれを思いとどまる。真は優しい優しい男であるが、人並み程度に自尊心はある。そもそも周囲から馬鹿扱いはされていても、愚かではない。


 だから自分が、智弘に見下されていることには気付いている。智弘は口には出さないが、仮にも年上をこうして使うことから、どう思っているかなど明白だった。

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