梅雨の風物詩 -3-
後日、フロント内で履歴書を並べた智弘は、眉間に皺を寄せて悩んでいた。
結局、一週間かけて行った面接は、面接予約が十二件に対して実施したのは五件だった。この店にしてはなかなかの勝率である。
「どうしたん」
悩んでいる智弘を見て、真が声をかける。
相変わらず外は梅雨空で、その中を壊れた傘で出勤してきた真は、頭から胸元まで雨に濡れていた。赤く染めた髪が頬に貼り付いていて、少し角度を変えてみれば傷口のようにも見える。
壊れた傘は、此処に来る途中で道で拾ったものだと言う。「骨のところに血がついてた」とか意気揚々と報告された時に、智弘は相手を殴りたくなった。
「誰を採るかなと思って」
「あー、バイトな。別に誰でもええんちゃう? 条件は合致したんやろ?」
微妙に訛りが入った口調で真が尋ねる。それに対して智弘は淡々と返した。
「それ以外の問題。とりあえず、こいつは駄目」
最初に一枚の履歴書をテーブルの上に放り出す。
「なんで?」
「いや、これ俺が面接したんだけどさ」
明日香とシフトに入っていた時に来た男だった。
年齢は二十五歳のフリーター。駅は十分しか離れておらず、週五以上でも平気で、夜勤も大丈夫という気合の入り方だった。
「受け答えが滅茶苦茶面倒くさい」
「どういう意味?」
「例えばさ、「時間帯に希望はありますか?」って聞くじゃん」
それはあの、日本時間でということでしょうか。
いえ、当然だと思うのですが確認です。万一の齟齬があっては困りますからね
「なんだそれ、うっぜ!」
「なんでシフト決めるのにイギリスとかアメリカの時間を使わなきゃいけねぇんだって話だろ? しかもその後、まぁ雑談のつもりでさ、道に迷わなかったか聞いたんだよ」
「ちょっと入りにくいしな」
いえ、僕の場合は事前に道をシミュレートしましたので。
最近はインターネットでマップを見れるんです。知っていますか? 便利ですよ、マップ。
「おー、俺も知ってるわ、その便利機能」
「あれが週に五日もいるのは辛いし、却下」
「却下にさんせーい! 他は?」
「これが昨日面接した女の子。こいつも無しだな」
二十四歳の劇団員。
黒髪ロングの清楚な印象を与える顔写真が履歴書に貼ってある。
「何がいかんの」
「もう純粋に頭が悪い」
履歴書には「学歴」と書いてあるが、よく見ると「歴」の字が「麻」みたいな字になっていた。
文字は汚く、それぞれが自由気ままに踊っているような見た目である。
「まぁ字が汚いのは引くけど、それでもいいかと思って質問してみたんだよ。家からここまで往復でどのぐらいかかりますか? って」
おーふくってなんですか?
あたしぃ、大福はイチゴが好きなんですけど
「聞いてねぇよ!」
智弘はその時の脱力感を思い出して、テーブルに履歴書を叩きつけた。
「往復って普通に知ってるだろ? 俺が一般人が三割りしか知らない言葉とか使ったなら謝るけど、往復はがきとか往復ビンタとかでわかるじゃん」
「わかるわかる。というかどうやったら往復って言葉知らんで生きてけるん?」
「んなこと俺が知るかよ」
どこのバイトでもクビになったと、その女は話していたが、別に深く聞かなくても理由はわかった。あの調子ではどこでもやっていけないだろう。馬鹿なだけならまだ救いもあるが、聞かれもしない自分語りをする人材は、有能であろうと煩わしい。
「で、これは……俺が面接した奴じゃないな。麻木?」
「あぁ、こいつな」
三枚目の履歴書を見て、真が溜息をつく。
「こいつは駄目」
「なんで?」
「革靴履いてんの。結構いいやつ」
「それの何がダメなんだよ」
男が金をかけるべき三大ファッションの一つ、革靴。
ギャンブルクズの真には手が出ない代物だろうが、だからといって採用基準にすることはないだろう、と智弘は思っていた。真の履いている靴は叩き売られているスニーカーで、梅雨入り前に靴底が抜けたのを瞬間接着剤で補強した代物である。
智弘の思考を汲み取ったのか、真は「違うって」と呻くように言う。
「服が安物で、ヒゲも碌に剃ってねぇのに、靴だけ超高級品。持ってるバッグの中身が見えたけど、靴の手入れ道具が満載」
「……なんで外出するのに、手入れ道具持ってんだよ」
「だから、所かまわず手入れするんだろ。雇ったら仕事中に靴の手入れするぜ、あいつ」
真は煙草を口に咥えて、百円ライターで火を点ける。
「流石にそれは頭おかしいな」
「だろ? だから却下」
智弘の手から履歴書を取り上げた真は、それをテーブルの上に放り出す。
「じゃあ四人目。これは俺じゃないな」
「俺でもない。杉野さんじゃねぇの」
履歴書には面接をした人間が、補足事項などを書きこんでいるが、その履歴書に残っている筆跡は女らしい丸みを帯びた文字だった。
「だな。去年大学を卒業して、フリーター生活。就職活動をしながらバイトをしたい、ってさ」
「希望シフトは合うけど、女かー。出来れば男がいいんだよな」
「じゃあ保留っと」
先の三人とは別の位置に履歴書を置く。
「最後の一人は……。これいいと思うんだけどな」
智弘は自分で面接をした男の履歴書を、真に渡す。
「専門学校生。可もなく不可もなく。受け答えは真面目」
「煙草は?」
「吸うってさ」
「ふぅん」
喫煙者だから雇うというわけではないが、この店は圧倒的に喫煙者が多い。煙草を吸う人間に対して、自粛せよ鑑みよ健康になれと説かれる今日この頃だが、彼らにとっては馬の耳に念仏である。
健康被害を考えて生きているような人間は、こんな店に来ない。もっと華々しきカフェなどで働く。
「パチは?」
「やらないって」
「おー、いいねぇ」
喫煙者と同じぐらい、ギャンブル好きも溢れかえっているものの、だからと言ってそれを推奨しているわけではない。
「ギャンブルなんかクソの役にも立たない」というのが彼ら共通の認識であり、自分たちが如何に非生産的なことをしているかも、根底では理解している。
だからといって辞めないのは、それはもうクズだから仕方ない。煙草と一緒で、辞める理由がない限りは、だらだらとそれに依存してしまう、自我の弱さがなせる技である。
「月にいくら稼ぎたいって?」
「十万ぐらいが理想だけど、他にもコンビニのバイトしてるからそこまでこだわらないってさ」
「コンビニのバイト出来るなら、うちの店でも問題ないしな」
「そうとも言えないだろ。前にコンビニバイトしてる奴を採用したけどさ、ぜーんぜん使えなかったじゃん」
深夜はコンビニで働いているという、見た目は爽やか系お笑い芸人のような男を採用したことがある。
性格は悪くないし、仕事もすぐに覚えた。周りと打ち解けるのも早かったし、煙草とギャンブルもそれなりだった。
それで仕事をしてくれれば完璧だった。
仕事を覚えただけ。それを活用する気は微塵もなく、隙さえあればさぼろうとした。
なかなか清掃から戻ってこないので様子を見に行ったところ、窓辺に置いた椅子に座って、優雅に寝ていたことは、今でも語り草となっている。
「サボリ癖があるかどうかは面接じゃわからんしなー」
煙を天井に吹き上げつつ、真が言う。
大企業の超有能な人事であれば、それも見抜けるのかもしれないが、クズが判定できるのは「仲間か仲間ではないか」程度のものである。
「一応、さっきの保留ちゃんと、この専門学校生の二人採っておけばいいんじゃね? 片方来なくなるかもしれないし」
「麻木もそう思う? 俺もそんな気がするんだよな」
じゃあ決定、と智弘は履歴書二枚に「採用」と書かれた付箋を貼り付けた。その時、四人目について明日香が良い顔をしていなかったことを思い出したが、特に深く考えなかった。
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