梅雨の風物詩 -2-
「スギノンは? 希望ある?」
「んー……真面目すぎなきゃいいや。真面目な奴って、この環境に耐えきれずに逃げるか、堕落するかじゃん」
繰り返すようだが、この店で働くのはクズばかりである。
あまりにクズクズしい理由で店を辞めたり、消えたりする者が多いので、一時期は真面目な人間を採用したこともあった。
だが真面目な人間が仕事をするには、この店はあまりに土壌が悪かった。煙草を吸いながらスロットの話題に盛り上がり、他人から金を奪い、ゴミを押し付け、足の引っ張り合いをしながら働いている連中ばかりである。
例えば、「前のアルバイトは塾講師。現在は家庭教師のバイトをしながら留学費用を貯めています」という大学生は、働いてから三ヶ月後に見事にギャンブルに嵌った。
それまで大事に貯めていた留学費用に手をつけ、朝一の台確保が出来ないと家庭教師も辞めてしまい、瞬く間に無一文。他のクズ達は、それを褒め讃えて酒を飲みに行って、そいつの残った金まで全部吸い上げた。
それと別に「高校を卒業してから、亡くなった両親の代わりに弟の学費を稼いでいる」という社会人は、早々にここがクズの温床であることを見抜いた。そして半年という期限を設けて真面目にしっかり働き、そしてあっさりと逃げて行った。
自分たちの本質を見抜かれたことを悟る程度に賢かった智弘達は、引き止めもしなかったし、妨害もしなかった。
誤解のないように言えば、別に増やそうとしてクズを増やしているわけではない。勝手に増えていくだけなのである。
「何処かと掛け持ちしてる奴がいいかもね。そういうのって逃げにくいし」
「確かに。でも選ぶほど「駒」がねぇべ?」
面接は一週間かけて行われ、その後で採用の電話をすることになっている。しかし、比較的まともで、かといって真面目すぎもせず、時間にある程度余裕があり、こちらの希望シフトを満たす人間となると、かなり限られてくる。
「そうなんだよねー。というかどうせバックれる奴考えたら三人ぐらい入れるのが安心なんだけどさ、バックれなかった場合は三人は多いし」
「三人残ってもなぁ。中番以外で三人シフトなんか無意味だし」
シフトの人数が三人を超えることはない。店の規模が小さいことも一因であるが、そもそもやることが極端に少ないのである。
客が部屋から出たら、部屋の掃除をする。客が来たら受付をする。大きく分けてこの二つしかやることがない。
しかもホテル業務とは質が違うので、概ね平均的な清掃と接客さえ出来ればクレームが来ることもない。
此処で仕事が出来ない人間は、何処に行っても無理だろう、と智弘はよく言っている。
「とりあえず、昨日来た奴は駄目だね」
「なんで?」
昨日、智弘はシフトに入っていなかったので、その面接者のことは知らなかった。
「昨日来たの、女だっけ? それでダメってこと?」
「そうじゃない。希望シフト日数と時間はいいんだけど」
「じゃあなんだよ」
その時、フロントに設置した電話が鳴った。この店には、業務用の回線の他に、もう一つ回線を引いている。バイトの募集などでは、そちらの回線を使うのが常だった。
明日香が受話器を取り、応答する。そしてすぐ傍に束となって置かれていた電話メモを一枚抜き取った。
「はい、採用担当の者です。それではお手数でございますが、いくつか質問にお答え願います」
智弘は明日香が丁寧な口調で応対をするのを見て、一応相手がOLであることを思い出した。
フリーターの智弘は、世の中の会社員と呼ばれる人間が何をしているのかは知らないが、少なくとも電話の受け答えぐらいは学ぶだろうと思っていた。
ドラマにせよアニメにせよ漫画にせよ、企業に勤める社会人は電話をすぐ傍において仕事をしているものである。
そのイメージが違うとしても、智弘は会社員になるつもりなどミジンコほどもないので、別に困らない。将来的には起業してやろうと目論む智弘にとって、会社員の生態など興味はない。
「お住まいがそちらの駅となりますと、此処まではおよそ何分ですか? はぁ、二十分」
丁寧に受け答えをしながら、明日香は受話器を耳と肩で挟み込むようにして左手を空ける。そして羽織っているジャージのポケットから煙草を取り出すと、親指だけで蓋を持ち上げ、小指で箱の底を叩いて一本跳ね上げた。
「現在のご職業をお聞かせ願えますか。……はい、はい」
それを口に咥え、しかし火はつけないまま話し続ける。慣れたもので、口調に変化はない。
だが何も今、吸おうとしなくても良いだろう、と智弘は突っ込みかけて、しかし思いとどまった。
明日香は面接日の確認をするために受話器を遠ざけた隙に煙草に火を点け、それを吸いながらカレンダーに目を走らせる。再び受話器を耳に当てた時に、若干煙が口から漏れたが、電話口の向こうには何の影響もない。
最近ヘビースモーカーに片足を突っ込みかけている明日香は、隙あらば煙草を吸おうとするが、智弘には全く理解が出来ない。
電話なんて物の数分で終わるのだから、我慢すればいい。それが出来ないのなら、そもそも電話を取らなければ良いと思う。
でもそれを口にすれば最後「じゃあ結城が電話取ってね」と言われるのは目に見えていたので、大人しく持論を封印した。
内心、この店のバイトや社員全員を見下している智弘だが、処世術の一つとして、それを顔や態度に表さないことにしている。
「ではお待ちしております。失礼いたします」
明日香が電話を切って、メモをコルクボードに貼り付ける。そこには、なかなかの好条件が書き込まれていた。
「どうだった?」
「真面目そうな感じ。若いのに電話の受け答えがしっかりしてる」
「何歳?」
「二十歳だってさ。専門学校生って言ってたけど、美容師じゃなさそう」
煙を吐き出しながら明日香が言う。先日まで吸っていたのと別の銘柄で、女性がよく好む、タールの極端に低い煙草だった。明日香の趣味とは違うので、恐らくパチンコの景品だろう、と智弘は考える。
その視線に気付いた明日香が、箱を差し出してきた。吸いたいわけではなかったが、貰い煙草が好物である智弘は、素直に一本摘みあげる。
「そろそろ面接者来る時間だけど」
「来るかわかんねぇじゃん」
「来たら、一応タブレット噛んでおきなよ。煙草臭い面接官って、底辺っぽさ丸出し」
明日香が、コンビニで売っているミントタブレットの箱を揺すって見せた。
「それ噛んで、消える? 煙草の匂い」
「消すって努力が必要なんだよ。日本人は努力が好きだから」
「まぁ否定はしないけど」
煙草を吸い終わるころに、面接者がやってきたので、智弘は大慌てで明日香のミントタブレットを口に放り込んだ。
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