梅雨の風物詩
梅雨の風物詩 -1-
雨が長いこと続いていた。
先月から換算すると、十二日間で太陽の出た日はわずか一日である。ドラ猫を追いかける陽気な主婦を笑う権利を剥奪された太陽は、分厚い雨雲の奥に引きこもりきりになっている。
結城智弘は、霧雨の降りかかる非常階段で煙草を吸いながら、左手に持ったバイト求人誌を見ていた。
駅やコンビニで無料配布されている、ここ最近は頻繁にコマーシャルも流れている会社のものだった。
電車の沿線や地区によって内容が分かれていて、智弘が今見ている冊子には、ここ一帯の求人が載っている。
「週一からOK! 十八歳から二五歳までの若い仲間が仲良く働く職場です」
読み上げたのは、この店の求人広告だった。
白々しい笑顔を浮かべ、楽しそうに振る舞うバイトの写真は、ここ何年も使いまわしているもので、映っている人間は全員クビになっている。辞めたのではなくて、クビというところがポイント。この店で円満に辞める人間はほんの一握りである。
四月と五月に二人来なくなり、夏にもう一人辞めることが決まっているので、新たにアルバイトを募集することになった。
どうせまともな奴はこないのだからと、社員は求人広告の作成から面接までもを、全てバイトに丸投げした。
まともな奴が来ない、というのには智弘も合意するものの、その面接を、まともじゃないバイトに任せる社員も、大概おかしい。
求人広告は、この無料配布の冊子のみではなく、インターネット上にも掲載されている。しかし、どういうわけか応募してくるのは電話ばかりで、そのたびに業務が中断されるのを全員が煩わしいと思っていた。
「というか、二五歳までっておかしくね? 麻木とスギノンが仲間はずれじゃん」
フロントに戻った智弘がそう言うと、業務用のパソコンを操作していた杉野明日香が、不思議そうな表情で振り返った。
二十五歳の誕生日を数年前に終えた彼女は、年相応の顔立ちではあるが、化粧が薄いのでわかりにくい部分もある。
「何?」
「いや、求人広告の煽り文」
霧雨に濡れて波打ったそれを、智弘はゴミ箱に叩き込んだ。
バイトに来る道すがらに手に取ったもので、中身を見た以上は用済みだった。雨に濡れた雑誌は悲しい末路を辿る。ゴミ箱という安寧の地に放り込まれただけ、幸運かもしれない。何しろ行き着く先は冷たい道路ではなく、温かい焼却炉である。
「別にいいんじゃないの? そっちのほうが若い人材集まるし。この前みたいにオッサンばっかりは勘弁願いたいでしょ」
数ヶ月前にもアルバイトを募集したが、その時に来た「自称三五歳」の男は強烈だった。
求人広告に「三五歳まで」と記載したので、そう言ったのだろうが、どう贔屓目に見ても五十歳以下には見えなかった。その際に面接したのは明日香だったが、その男が帰った後に、呼吸困難になるほど笑いながらフロントに戻ってきた。
何事かと問う皆の前で、明日香はその男の履歴書を派手に揺らしながら、面接の一部を再現してみせた。
釣りが趣味なんですか?
はい、釣り歴は四十年です! ……あっ!
その時は全員で笑ったものだが、智弘が別の知り合いにこの件を話したところ、「身分を偽った人間が面接を受けに来るっておかしくねぇ?」と、実に真っ当なことを言われた。
確かに冷静に考えればおかしいのだが、この店にいるのはクズか馬鹿だけなので、さほど違和感は覚えなかった。
「今日は三人、面接が入ってるけど」
明日香はパソコンから離れると、壁にかかっているコルクボードから、三人分の電話メモを引き抜いた。
募集の電話を受けた際に、簡単な質問についてメモをしたもので、いずれも希望面接日が今日の日付となっている。
「一人来れば良い方かな」
しかるべき店や企業の面接なら兎に角、このような店に応募してくる人間は、息をするように面接に来ない。無論、キャンセルの電話も無しである。
面接に来ないというのは、別の店でも別段珍しいことではないが、所謂「バックれ率」が八割を超えるのは、この界隈でも珍しいのではないかと、社員も言っていた。
因みに、面接して採用したが来なかった者も含めると、九割ほどになる。その場合も特に連絡はない。
「男がいいんだよなー。週三日以上か、あとは夜勤出来る奴」
面接担当にされた智弘は、電話メモを受け取りながら言った。
「夜勤は女はちょっとねぇ」
明日香が同調して頷く。何しろ店の性質上、あまり女は望ましくない。女の場合、明日香のように色々と問題のある人間か、もしくはどこでも雇ってもらえなかった無能ぐらいしか、この店にはいなかった。
因みにこの店で求められる能力は三つある。
1.寝坊をしないこと
2.九九の五の段を言えること
3.店の金を盗まないこと
このうち、面接において試されるのは2番の能力であるが、応募してきたうちの三割ほどは、これが理由で落とされている。
智弘が知っている中で一番強烈だったのは「九九ってなんですか?」と言った男だった。今までどのようにして生きて来たのか、全く想像もつかない。
これで中卒だったらまだしも、大学に在籍中と履歴書には書かれていた。速やかに落としたのは言うまでもない。
五の段以上は望まない。
何故なら、店にいるバイトのうち半数は、九九を全て言えないからである。七×八の答えを求めたら、元気よく「十二!」と答えた奴もいるが、それは今回の面接とは関係ないので、智弘は素早く脳の隅に記憶を追いやった。
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