冬の風物詩 -3-

「あ、着拒しとくの忘れた」


 明日香は面倒そうに言いながら、再び通話状態にして、更にスピーカーもオンにする。

 電話口からは、先程よりも焦ったような声が響き渡った。

 

「なぁ、誰も俺の電話に出てくれねぇんだよ。きっと皆、第二電波塔の連中に拐われちまったんだ」


 真が思わず笑いかけて、慌てて口を抑えた。

 抑えた口の隙間から「第六電波部隊、何処行ったんだよ」と聞こえる。

 明日香も同様に笑いを堪えながら、電話の相手に返した。

 

「伊藤は電話に出られないだけじゃないの?」

「違う。今まで俺の電話にはすぐに出るように『教育」してたんだ」


 教育とは随分面白い言葉だった。

 この男にとって、このバイト先の皆は拳と威嚇で言うことを聞く相手だったらしい。

 勿論、現実にはそんなことはなくて、皆は仕方なく表面上を取り繕っていただけである。

 

 簡単に言ってしまえば「うぜぇ」の一言に尽きる。

 

 この店において権力もなければ、休憩時間に珈琲を差し入れるほどの財力すらなくなった男は用無しだった。

 

「あぁ、そう。それで?」


 明日香はなるべく平静を装いながら返す。

 

「明日香は俺を裏切らないよな」

「裏切らないよ」


 信頼していないのだから、裏切るもなにもない。

 嘘はついていないが、誠実ではない言葉を紡ぐ。

 

「なぁ、俺と付き合わない?」


 しかし突然打ち込まれた言葉に、明日香は思わず吹き出しかけた。

 

「はぁ?」


 それは他の三人も同じで、互いの肩や背中を叩きながら笑いをこらえている。


「もう俺のことを理解してくれるのは、明日香しかいないんでしゅ」

「でしゅ?」

「俺とさぁ、付き合おう? ねぇ、俺優しくちましゅよ?」


 幼児言葉になってしまった相手に、明日香は苦笑する。

 残念ながら、相手が高収入の高学歴なら考えないこともなかったが、現実には馬鹿である。

 バカと付き合うボランティア精神はない。

 

 明日香は手近な場所にあったメモ帳とボールペンを取ると、お世辞にもキレイとは言えない字を書きなぐった。

 

『こいつ危ないクスリでもやってんじゃねーの?』

 

 三人はそのメモを見て、声を押し殺しながら笑う。

 この店のバイトは程度の差はあれど、大抵がクズばかりである。

 人の不幸は大好きで、落ちぶれた元「店長」の堕落ぶりは、ポーカーよりも面白い。

 

 きっと電話の相手は、自分が「兵隊」だと思っていた連中に笑い物にされていることすら知らないだろう。

 

「いや、それは遠慮するわ」

「なんでぇ」


 幼児言葉のみならず、語尾までも子供っぽくなった通話相手はしつこく食い下がる。


「俺ってさ、強いじゃん。最強の男じゃん。何かあっても護ってあげましゅよ」

「別に護ってもらうほどのことってないし」

「あのね、いつか爆心法令が出た時って、選ばれた人間しか生き延びられないわけ」

「何だって?」

「俺は選ばれし人間だからぁ、お前のことも護ってあげられるのぉ」


 明日香は「結構です」と言おうとして、言いよどむ。

 ここまで何かの妄想に囚われた男を適当に扱えば、次に何をするかわからない。

 

 最初、スピーカーモードで携帯を放置したのだって、「お前の会話は皆に聞かれている」と知らしめようとしたためだった。

 だが、それを貫くには相手の妄執は度を越している。

 

 何しろ相手は、この店の住所は知っている。

 いくら、口先だけの誇大妄想男だって、足を使って此処にくることぐらいは出来る。

 

 明日香は他のバイト仲間に負けず劣らずのクズだったので、誰かを犠牲にしても自分の身は守りたかった。

 色々な思考を頭に巡らせて、ある一つの結論に至る。

 三人に、絶対に声を出さないように合図してから、少し大きな声で携帯に話しかける。

 

「え、何?」

「だからぁ」

「全然聞こえない。ビービー聞こえる」

「俺とぉ」

「あ、まずい。第六電波部隊! 第六電波部隊がぁ!」


 演技がかった口調で言いながら、通話終了ボタンを押した。

 正体の分からない第六電波部隊とやらに責任を押し付け、素早く着信拒否設定をする。

 

 他の三人は心底おかしそうに笑っていた。

 

「杉野さん、狙われてるじゃないですか」


 修也が可笑しそうに言うのを睨みつける。

 

「元はと言えばお前が電話取らないせいだから」

「だぁって、それで杉野さんに行くとは思わなかったし」

「まじ勘弁。知能レベルが近い人間じゃないと話にならない」


 脳みそが筋肉と妄想で出来ている男は、着信拒否をされたことなど理解出来ないだろう。

 いや、本当は理解していたとしても、それを認めるほどには精神は強くない。

 自分が、皆に慕われて畏怖されていたという妄想を手放すほど、まともではない。

 

 静かになった携帯電話を放置したまま、明日香は自分の手札を開いた。

 

「ツーペア」

「あ、アタシワンペア」

「俺は……これ、絵札三つあるけど強い?」

「ブタですよ。俺はスリーカード」


 ポーカーは修也の勝ちだった。

 

「じゃあ麻木さん、ゴチでーす」


 修也が楽しげに言うと、真は仕方なさそうに財布を取り出す。

 

「仕方ないなー。借りた千円で奢ってやる」

「あんた、借りた金以外出てきたことないじゃん」


 明日香が指摘すれば、真が「うるせぇ」と返した。

 

「皆、何がいい?」


 皆が口々に、欲しいアイスの銘柄を述べる。

 真はコートを羽織ながら、それを復唱しつつ、外へと出て行った。

 

「やっぱり、冬は温かい部屋でアイスですよね」


 優奈がはしゃいだ声で言う。

 そもそものポーカーの発端は、優奈がアイスを食べたいと言い出したことだったが、全員それを忘れていた。

 途中でかかってきた、元店長の意味不明な電話のおかげとも言える。

 

「というかー、あの人この店に来たりしませんよね?」


 少し不安を帯びた優奈の言葉に、明日香と修也は苦笑いで首を振った。

 

「ないない」

「あの人、現実を見たくないだろうし」


 現実と理想は別である。

 雪でも降りそうな寒い日は現実だが、その中でアイスを食べたいのは理想に他ならない。

 だが、それは十分に現実に寄り添えるものである。

 

 元店長も現実と理想の乖離を、その程度に収めていれば、こんなことにはならなかっただろう。

 最初から「理想の自分」を現実として、そこから理想を求めたから、全て崩れ去った。

 

「明日香さん、まじで「店長」嫌いですね」


 トランプをかき集めながら、確認するように優奈が言ったので、明日香は鼻で笑った。

 

「誰それ?」


END

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