春の風物詩 -3-
「どうするん」
「知らねぇよ」
フロントの中には、今までにない気まずい空気が流れていた。
従業員たちが使う椅子に腰かけた少女は、両手でお菓子のパッケージを握り、俯いて泣きじゃくっている。真が三十番の個室からフロントに連れてきてからというもの、ずっとその調子だった。
どうしたら良いのかわからずに二人は最初、質問攻めをしてしまった。そのせいで少女はますます萎縮して、今や怯えきっている。
智弘は自分用に買って来たチョコレート菓子をあげて機嫌を取ろうとしたのだが、結局それは今も食べられていない。
「結城が怖がらせるから」
「俺は普通だっての。どちらかって言ったら、そっちのが怖いからな」
「そんなこと言われても知らん。あー、足いってぇ」
足の付け根を摩りながら、真は舌打ちをした。だがそれに少女が怯えたように肩を跳ねたので、慌てて取り繕う。
「運動不足なんだよ」
「だな。にしてもあいつムカついたわ。急に殴りかかってきやがって。自分こそ三日月をボコボコに殴ったような顔してるくせに」
「三日月?」
「しゃくれてたんだよ」
こう、と真は自分の顎を突き出して見せた。
「ブサイク」
「うるさい」
正直二人は既に面倒になっていた。二人は悪人ではないが善行を積むタイプではない、詰む予定すらない至って普通のクズである。
困っている少女がいるから助けはしたが、菓子まで与えたのにずっと泣いている少女を慰めたり、宥めたりするほど暇ではない。
出来ることなら速攻で帰って欲しかったが、泣きじゃくる未成年がこのビルから出ていくのを誰かに見られて通報でもされたら困る。
こうなったら少女の体内の水分が枯れるまで待つしかないかと思い始めた時だった。
「おはよーございまー………何これ?」
白いマキシ丈のワンピースに青いカーディガンを羽織り、黒いサングラスをかけた姿は、季節を一つ間違えているように思えたが、二人には彼女が救世主に思えた。
「えー、未成年じゃん」
明日香は一目みて少女を未成年だと見抜き、そして二人を見る。
「まさか」
「違う違う違う!」
「俺達は寧ろ助けた側だから!」
「助けたぁ?」
事の次第を説明する間に、明日香はタイムカードを切って、サングラスを外す。そして一通り聞き終わった後に、少女に近づいた。
「援助交際?」
「……違います」
同性が来たことで少し落ち着いたのか、少女がやっとまともな言葉を使った。
「じゃあ何」
「……芸能人にならないかって、言われて」
その言葉に三人は揃って目を見開いた。
「ゲームのメッセージサービスで、やりとりしてて、それで、面接するからって……」
「ゲームのメッセで芸能人のスカウトなんかするわけないじゃん」
明日香がもっともなことを言う。
「あんた中学生?」
「中学、卒業して、今度高校生に」
「あー、春休みだから張り切って都会に来ましたパターン?」
少女は小さく頷いた。
それを見た三人は、口には出さなかったが揃って「春だ」と思った。春休みに浮かれた学生が事件に巻き込まれることなど、この界隈では珍しくもない光景である。
だが何度報道されて、幾度注意されても浮かれた学生たちは現れる。まるで桜の開花のように。
「というか此処のあたりってさ、未成年が来る場所じゃないよ。まして女の子が」
「……でも、あの人は大丈夫だって」
「大丈夫って自分で言う人は大丈夫じゃないの。というかそういうメッセだと顔なんか見えないでしょ? 連絡先とか交換して会ったの?」
少女は某ソーシャルネットワークの名前を口にした。明日香は少女に携帯電話を出させると、そのページを表示させる。そして目を通すなり、大きなため息をついた。
「………うわー、何でこういうことするかなぁ」
「何?」
真が後ろから覗き込む。明日香は画面をそちらに向けながら、呆れ混じりの口調で言った。
「登録はフルネーム、学校の名前のみならず部活もクラスも出席番号も書いてる。しかも自分の家の住所まで」
「うわ、ありえねぇ〜。俺でもしないし、こんなん」
「なんでこういうの書いちゃうの?」
明日香が問いかけると、少女は戸惑った表情で首を傾げた。
「え、でも友達だけしか見ないし……」
「見ているのは友達でも、鍵つけてるわけじゃないから検索したら誰でも見れるんだよ。その自称スカウトがこれを見て、あんたの家に行くことだって出来るわけ」
いまいち危機感がなかった少女も、それを聞いて途端に青ざめる。ネットに個人情報を晒すということがどういう意味だか理解したようだった。
明日香は携帯を返しながら、顎でそれを示す仕草をする。
「とりあえず書いてあること全部消しな」
「でも他の友達は皆やってるし、一人だけ消したら……」
二の足を踏む少女相手に、明日香が片頬を引きつらせた。怒鳴りたいのを喉あたりで必死に抑え込んでいるような表情だった。
「じゃあせめて住所だけ消したほうがいい」
「……はい」
渋々、と言った表情で少女は携帯電話を受け取った。
まだ幼さも残る年齢では、個人情報の重要性などわからないのだろうが、それにしても警戒心が薄すぎる。三人は呆れかえった表情でそれを見守っていた。
やがて住所を消した少女は、大きく音を立てて鼻を啜ると「出来ました」と言った。
「あんた、家は?」
「ここから電車で二十分ぐらいです」
「じゃあ駅まで送ってあげるから、さっさと帰ったほうがいい。この辺りは物騒だから」
「スギノンが送るの?」
智弘が尋ねると、明日香は面倒そうに答えた。
「あんたらだと警察が職質するかもしれないでしょ。それに煙草切れたからついでに買ってくる」
明日香は少女に立つように促すと、それを伴って従業員用出入り口から外に出て行った。
見送った後、二人は揃って脱力した声を出す。
「あー、面倒くさかった…」
「ガキがこんなところ来るなよ……」
「そういやまだ部屋の片づけしてなくね?」
「あ、そうだ。でも俺、もう上がる時間だし」
時計の針は十二時を大きく過ぎていた。智弘はそれを見て苦笑いする。
「仕方ないか。スギノン戻ってきたら俺が清掃行くよ」
「ごめんな。俺、次のバイトあるから」
「あぁ、お疲れ」
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