最後の夜明け、最初の朝

早起きは得意だと思っていた私も、春休みに入れば遅くまでベッドに潜っていることが増えた。学校があったときは六時起きが当たり前だった生活からなので、さすがに昼過ぎまで寝ているということは無いが、それでも格段に寝ている。もしかしたら自分の人生史上、赤ちゃん時代に次いで睡眠時間が長いかもしれない。本当のところはどうか知らないが、とにかく、何年振りかのアラームをかけずに好きなだけ寝るという行為が気持ちよかった。受験生だった数か月前までは、一日四時間も寝ていなかったはずだ。それ以前も、部活だ定期考査だ検定試験だと、割と忙しくしていたのを振り返ると、そんなことよりも寝ておけば良かったかなぁなんて思えてくる。あの頃の中途半端な努力の結果を知っている現在の私だから、なおさらそう思えて仕方がない。

部屋がうっすら青く光っている。カーテンの向こう側から朝日を感じた。カーテンの種類がベージュで統一されている我が家で、唯一私の部屋だけが遮光性の高い紺色のカーテンを取り付けてある。この前まで朝登校前に勉強していたときは、夜中みたいに真っ暗だった部屋が、今は少し明るい。寝すぎたか。いや、日が昇るのが早くなったんだ。季節はもう春なのだ。手櫛で髪の毛を整えて部屋を出ると、丁度お父さんが仕事へ出かけるところだった。

「おはよう。行ってらっしゃい」

玄関に向かって声をかける。

「間に合ったか。お前も、気をつけてな」

特別な会話は交わさなかった。お互いに照れているわけではなく、すでに諸々済んでいるのだ。ここ数日間の出来事には、全てに「最後の」がついていた。

最後のドライブ、最後の外食、最後のおやすみ。

「案外しっかり遅起きね」

お父さんを見送ったところで、お母さんの声がキッチンから飛んできた。

「準備終わってるし、飛行機も昼の便だからいつも通り起きて大丈夫かなって」

「珍しい。いつも旅行のときは楽しみで早起きしてたじゃない。ワクワクして遅くまで寝付けなかったくせに起きるのは早くて」

「今日は旅行じゃないし。今はそんなわけないでしょ、もう子供じゃないの」

笑いながら洗面所へ向かいながら思った。

私はもう、子供じゃないのか。

どこに境目があったのかは分からない。それでも自分自身がなんとなく自覚しているらしかった。

それはそうと、さっきの私の言葉には若干の嘘がある。私は昨夜、実際遅くまで起きていた。深夜に思い立って、あの小説を書いていたのだった。地元にいるうちにどうしても『12月17日』の続きを書いておきたかった。あの小説を見つけた日から、私はずっとそれをどうするべきかを考えていた。何を思って書き始めたものなのか、どう書き進めるつもりだったのか、続きを書こうにもどうしても思い出せないことばかりだった。考えた末、あれはあのまま残しておこうということになった。消したくなったら消せばいい。そう思っていたのに。

実家で過ごす最後の夜、私はあの小説を更新した。特別な夜だったから、気分が乗ったのだろうか。はっきりとしているのは、あのまま続きを書かないでおくのは、これまでの自分を置き去りにしていくみたいで寂しかったからだ。もうすでに思い出せないこともたくさんあるけれど、忘れたくない。


今日、私は生まれ育ったこの街を出ていく。大学に進学するためだ。アパートを借りて一人暮らし。

向こうへはお母さんがついてきてくれることになっていた。注文していた家具の組み立ては一人では難しいし、数日間かけて生活に必要なものを買いそろえるのを手伝ってもらう。空港で搭乗を待つ間、二人で予定を確認しあった。

「着いたら、その日でカーテン買わないとね。どんなのにするか考えてるの?」

「安いのでいいよ。あとは見てから考える。濃い目の色がいいけど」

「やっぱり好みは変わらないねぇ」

私はこれから先、どれだけ変わらないでいられるだろう。私は今日から踏み出す一歩の先で、どれだけ変われるんだろう。

新しい毎日が始まろうとしていた。『12月17日』を連れて。

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