5 公園にて

 平日の昼下がり、私は一人の女性と一緒に公園のベンチに腰掛けていた。手にはペットボトルのオレンジジュース。彼女が、公園から出てすぐの自販機で買ってきてくれたものだ。何か買ってきましょうか、と彼女が立ち上がったときにはコーヒーでも飲みながら話をするつもりかと思っていたが、彼女曰く、公園というシチュエーションに合わせたチョイスをしたそうだ。

「注射器さん、今日はどうしてこんなところで?」

 注射器さん、というのは彼女を識別する二人だけの記号だ。この二人の世界においての、彼女の名前ということになる。そして私は。

「パンケーキさんが、周りに人がいない方が良いって前言ってたので。どこかお店をとも思ったんですけど、この時間まだお客さんいるでしょうから」

 確かに。口には出さず、頷くだけしながらオレンジジュースを開けた。一口飲む。子供が好みそうな甘ったるい砂糖の味だ。大人になった私の舌には少し合わないが、目の前の滑り台と二台のブランコという光景にはこの上なくマッチしている。

「最近、お仕事忙しいですか?といっても、注射器さんのところはいつでも大変ですよね」

「そうですね。病院はいつでも繁忙期みたいなもんですから。でも、インフルが流行る冬場よりはましかな」

 注射器さんと私は、あるインターネットのサイトで出会った。職場での出来事を書いた私の日記に、「注射器こわい」というハンドルネームでコメントを書き込んでくれたのが彼女だ。お互いに共通点があることが分かった私たちは、交流スペースで何度かチャットを交わし、こうして月一のペースで休みを合わせ実際に会うような仲になった。彼女の本名は未だに分からない。病院で働いているという看護師の彼女の名前は、「注射器こわい」。子供の頃から苦手なんだそうだ。なぜ彼女が看護師という仕事を選んだのかは、出会ったときから不思議に思っているし、むしろそこに惹かれて交流を始めたのだが、まだ本人に訊いたことがない。そんな関係なので、もちろん私も本名を明かしていない。因みに、私のハンドルネームは「パンケーキ大好き」だ。

 病院に勤務しているという彼女に対して、私は葬儀場のスタッフとして働いていた。葬儀セレモニースタッフといって、遺族や参列者の案内やアナウンス、祭壇の撤収作業などをする。

 二人とも、常に人の死に触れる仕事をしている。

 私の職場では、常に誰かの死がそこにある。それに誠実に向き合うことが私の仕事だ。そうして私はお給料をもらい、大好きなパンケーキを食べることが出来るのだ。それなのに、勤務中の私の脳内には、ふとした瞬間にパンケーキが浮かんでしまう。祭壇に飾られた遺影を見ても、遺族の涙を見ても、会場に充満する哀傷の空気の中で私だけが一人、「パンケーキが食べたいなぁ」などと呑気な思いを巡らせていた。正直、罪悪感でいっぱいなのだ。私が殺してしまった人間の葬式にでも来ているような、殺人なんてしたことがないけれど、もうそのくらいの罪の意識があるのだ。それなのに、考えてしまう。私は、もうこれは殆ど病気の発作的なものなのだと思うようにしていた。そうでなければ、私は私を理解できそうもない。

 私たち二人は、共に重大な欠陥を抱えていた。

「パンケーキさんは、最近何かありました?」

 私は、二口目のオレンジジュースを口に含もうとして、寸前で飲み口を唇から離した。

「あの、友達が亡くなって。中高一緒だった人なんですけど、この前、酔って階段から落ちたらしくて」

「あら」

 友達というか、正確には友達だった人だ。中学二年生のとき初めて同じクラスになった女の子で、趣味が合い、なんとなく仲良くしていた。ところが、高校生になった途端、その子は私に嫌がらせをしてくるようになったのだ。嫌がらせとはいっても、無視していれば普通の学校生活が送れる程度の小さいものだったが、一度だけ、私はその子に校舎の階段で背中を押されて転げ落ちたことがあった。大怪我には至らなかったものの、私の中で、その子の記憶はこの出来事しかはっきり覚えていないくらいインパクトがあった。

「人って、こんな簡単に死んじゃうんですね。階段から落ちただけって」

「打ち所が悪かったんですね」

「その友達のお葬式をうちでやったんです。結構知り合い来るかなと思ってたら、全然来なくて。この子、何かあったのかな。あんまりにも閑散としちゃうと、遺族の方も可哀そうになっちゃいます」

 私の口角が自然と上がっていた。今どんな顔をしているのだろう。きっと気持ちの悪い笑みを浮かべているに違いない。

 注射器さんはほぼ無表情のまま、可哀そう、と小さく呟いていた。そして、思い出したかのように、

「私の上司も、先週ね」

 と話し出した。

「看護主任の人で、バリバリ仕事してる人だったんです。なのに急に仕事来なくなって、そしたら先週亡くなったって。自殺らしいです。悩みとかあったんですかね。でも、職場では医師と不倫関係にあったとか、あることないこと好き勝手に噂されてて。本当に、ひどい話です」

 私は、相槌を打ちながら、彼女の表情を観察した。

 笑っている。

 よく見なければ分からない程度だが、彼女の口元は確かに歪んでいた。

 私たちは、よく似ている。

 その後も、オレンジジュースを片手に二人でしばらく話した。個人情報をあまり明かさない代わりに、古い友達のことや親戚のこと、朝の通勤ラッシュで出会った迷惑な客のことなどを、時間いっぱい話した。

 日が傾いてきている。もうすぐ、学校帰りの子供たちが公園にやってくる頃だろう。

「注射器さん、そろそろお開きにしますか?」

「はい。じゃあこれで今月の妄想殺人の会、終了ですね」

 来月の日程はまた後で相談することになり、それぞれの方向に公園を後にする。

 やっぱり私たち二人は、重大な欠陥を抱えている。








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