最終更新日:2017年7月30日

 高校を卒業した日の帰りのバスの中で、ふと思い立ってスマホの中の整理をした。毎日の通学中にお世話になった英単語のアプリも、結局そこまで使わなかった日本史の一問一答を集めたサイトのブックマークも、すべて消去した。

 部活のスケジュールをまとめたメモ書きも、もういらない。

 それから、Twitter上の呟きを大量に消す作業をした。

 誰にとっても有益ではないがそれなりに気に入っていた、「いいね」も「リツイート」もない短い言葉たち。始めこそ一つ一つのツイートを消していったが、最後には面倒になってアカウントごと消してやった。

 これからの自分には、邪魔に思えてしまった。

 残しておくのは、ギリギリで消すことを思いとどまったLINEの友達だけでいい。それだけで十分だ。

 意味もなくスマホの画面をスワイプして、これ以上は存在しないホーム画面をめくる動作を繰り返していると、さっきまでの消去作業で一切触れることがなかったアイコンに気が付いた。あまりにも馴染みすぎていたということだろうか。毎日使っているSNSよりも?そんなことがあるのか。

 タップしてみると、ある小説投稿サイトに繋がっていた。

 ログイン。新規登録ではなく、ログイン。なんとなく覚えている。サイトのデザインが微妙に変わりはしているものの、かつてよく訪れていた場所だ。数分前に、これを無意識に消去の対象から外していた自分が、なんだか嬉しかった。

 パスワードは、大体いつも同じものを設定する。危険だと分かっていながら、圧倒的に都合がいい。

「よし、開けた」

 バス特有の雑音が、私の少しボリュームを間違えたかもしれない咄嗟の独り言をかき消してくれた。加えて今日は、お祭りテンションの高校生で車内は賑やかだ。

 スマホの画面に表示されたマイページに、過去の自分が気に入っていたのであろう小説がいくつか並んでいた。

 そして、見覚えのあるペンネーム。

 作品は一本。完結しておらず、現在も連載中になっている。

 最終更新日は、2017年7月30日。

 2017年といえば、私は高校一年生か。

 タイトルは『12月17日』。

 その横に「編集」のボタンがあるということは、これは紛れもなく、高校一年生の夏に私が書いた小説ということだ。

 なにこれ。

 消そう。

 私はこのバスに揺られている間で、この手の中の薄っぺらい板の中身をこれでもかと消し去った。こんなものも、残しておいていいはずがない。こんな中途半端なもの。

 折角、全部消し去ったじゃないか。

 頑張って勉強して、結局第一志望の大学に落ちた私。

 張り切って毎日遅くまで残って、結局部活でなんの実績も残せなかった私。

 なにかを発信したくてTwitterを初めて、結局フォロワーがいなかった私。

 ほかにも沢山。

 書きかけの小説なんて、問答無用で消してやる。

 ところが、指に伝達を伝える前に、私の脳は体に座席から立ち上がる指令を出していた。バス内にアナウンスされていたのは、私の自宅の最寄りのバス停だ。降車ボタンを押してくれた人、ありがとうございます。それから、私の素晴らしい反応を見せた潜在意識、ありがとうございます。私は、ぼんやりの元凶であるスマホをブレザーのポケットに突っ込みながら、バスを降りた。

 そこから家までは、いつもより足早だった。高校生活最後の帰り道を、思い出に浸ることも無く。バス賃往復四百六十円かけて行く学校で、私は何をしていたんだろう。この三年間で、私が得たものは何だっただろう。正直に言うと、普通に楽しい毎日だった。浸れる思い出も、本当のところそこそこある。それなのに今考えてしまうのは、『12月17日』という小説をもしあのまま書き続けていたら、私は今日どんな風にこの道を歩いたかということだ。

 最後の最後に、とんでもないものを発掘してしまったと思う。

 記憶はだいぶ蘇りつつある。あの夏に書いていた小説は、短編集。

 蘇りつつあるものの、朧気だ。

 あの時、何を思っていた。

 どこに向かって書き始めたものなんだろう。

 交差点に差し掛かっていた。進行方向の歩行者用信号機は赤だ。青に変わり、渡り切った後暫く直進、三つ目の角を左に曲がると家が見える。

 終わりが近い。

『12月17日』は、消さずにいるべきなのだろう。きっと、あの小説投稿サイトを私の潜在意識は覚えていた。消去の対象から直感的に外したのは、私の大切ななにかがあると自分自身が覚えているからかもしれない。

 従うよ。バスを降りるタイミングも、おかげさまで逃さずに済んだことだし。

 私は、不思議な勢いのある人間だ。今日も、高校卒業した勢いでスマホをすっからかんにした。もしかしたら更新するかもしれないな、と思った。あの小説をだ。

 コンビニの前を通り過ぎる。家はすぐそこなのに、よく友達と菓子を買って、何時間も店の前で話し込んだな。どうでもよく平凡、でも確かな思い出の一つになっていた。





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