2 心を亡くす。


私には、小学校4年生の夏から、約15ヵ月間の記憶が無い。



事故で頭を打ったとか、ずっと眠りについていたとか、そういう訳では無いのだ。

正直、自分でもよく分からないままでいる。


いつの間にか忘れてしまった。

始めから無かった時間の様にも感じるし、心の奥に無理やり押し込めてしまった様にも感じられる。


しかし、最も不思議なのは、これについて私が全く不安や恐怖を覚えないことだ。


「ごめんね...お母さんが、馬鹿だったね。本当にごめんなさい…!」


お母さんは、泣いて謝った。

記憶のない私は、理解に苦しんだ。


「お母さん」


私は別に、悲しくない。

私は別に、辛くない。

失ったものを、知らないから。


「大丈夫」



私は、そう言いながら、大人になった。


大人になった私に、お母さんはとうとう話してくれた。


お母さんは、私が小4の夏に2度目の再婚をしたそうだ。

そして、新しいお父さんになったその人は、私を虐待していたという。


ああ、そうか。


私は楽になりたくて、記憶を捨てたんだ。

ストンと抜け落ちた記憶は、私が捨てたんだ。


「あと...これ。これを見れば記憶が戻るかもしれないって思ったんだけど、渡せなくて」


母が震える手で渡してきたそれは、一枚の写真だった。


「あまりにも嬉しそうだったから、お母さんがなんとなく撮ったものだけど」


少し汚れた光沢紙の中に、雨上がりの曇天のもと、傘を片手に小箱を握りしめる私。


はっとした。


ホワイトデー。


私の、初恋の思い出。



途端に、得体の知れない涙が溢れた。

それと同時に、小箱をもらった彼の顔が鮮明に蘇る。


「...ごめん」


私は、こんなに大事な記憶まで捨ててしまったのか。

2度と訪れない、初恋の記憶まで。


あんなクズな父親のために。



逃げるのは良くない。

強く生きよう。




明日、小学校の同窓会がある。


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