それでも、ケアをさせて頂きたい③

 早番業務である掃除とリネン交換が終わった。

 あとは、乾いた洗濯物を取り込んで畳むだけだ。

 大木絵美は、再びベランダに出た。

 路地の向こうの公園に、ご利用者様・島谷千太郎様の姿がある。独歩で身軽だから、職員が見ていない隙に外に出てしまったらしい。

 大木はシニアの玄関へまわって、公園へ急いだ。

「島谷さん!」

「よっ! ねえちゃんっ!」

 職員は「離設だ」と目くじらを立てるところだが、ご利用者様はそんなのお構いなし。

「島谷さん、私も一緒にさせて頂いても良いですか?」

「いいよっ!」

 高橋だったら、もっと機転の効いた声かけをするだろう。

 元気な島谷様は、茶色い芝生の上でスクワットを始めた。夜間もたまに筋トレをしていることがある。

 大木は、島谷様のストレスにならないよう、何かあったら駆けつけられる程度に離れて見守りをする。

 ではない。ご利用者様を見守ることも、仕事のひとつだ。

 この見守りは、実は責任重大な仕事。

 それでも大木は、この仕事が好きだ。ご利用者様が安全に過ごせるために、自分が役に立っていると実感できる。



「高橋! 甲田!」

 呑気に次のご利用者様を連れてきたふたりを、大木は叱る。

「島谷様についていなくちゃ、駄目でしょうが!」

 すみませーん、と高橋から返事が来た。しかし、こちらに来る様子もなく、車椅子を押して公園の周りを進み始める。

 島谷様は、大木が見守りするしかなさそうだった。

 島谷様に背を向けていたことに気付き、見守りに戻る。

 つもりだったのだが。

「こんにちはー」

 スーツ姿の彼が、音もなく近くまで来ていた。

 にこやかに良い声で、挨拶をされたが、大木は驚いて固まってしまった。

「いいぞっ! にいちゃんっ!」

 島谷様が冷やかしてくる。

「ちゅー、しちゃえっ!」

「しません!」

 大木は叫んでしまった。

 介護現場で大声は御法度。しかし、屋外なので大目に見てもらいたいところだ。それに、セクハラ発言は断固拒否する。

 遠くから歌が聞こえてきた。高橋と甲田が「てんとう虫のサンバ」を歌っている。



 島谷様はスクワット10回を5セット行い、空中にジャブを繰り出している。

「和記くん」

 島谷様には聞こえないように、小声で隣の彼に話しかける。

「インターンシップって、皆やってるの?」

「やっている子もいるよ。3年の夏にやる予定の子もいるみたいだけど」

「どうして、ここにしたの。わざわざ埼玉まで。ほぼ群馬だし」

「埼玉も良いな、と思ったから。実習は都内だけなんだ。埼玉で受け入れてくれるところを探していたら、ここの募集を見つけた」

「巣鴨から遠いよ?」

「心配してくれるの?」

 不意に顔を覗き込まれる。

 大木は息を呑んだ。顔が赤くなっているかもしれない。

 彼は、にこりと笑った。

「熊谷のウィークリーマンションを借りる」

 確かに、熊谷から本庄までは高崎線で通えなくもない。

 しかし、だ。都会の人の感覚だ、と大木は思ってしまった。

 大木こそ実家が都内だが、すっかり地方都市の生活になじんでしまった。

 訛りも伝染うつって、言葉が汚くなっている自覚もある。

「私は多分、学生にも甘い顔をしないよ?」

「うん、そうしてもらえるとありがたい」

「叱りとばすよ」

「大歓迎です」

「泣いても知らないよ」

「望むところです」



「おいっ! ねえちゃんっ! ちゅー、しちゃえっ!」

 島谷様がはやし立てる。

 大木は息を吸い込んで返事をした。

「しません!」



 何度も、つらい思いをした。

 何度か、助けられた。

 信じてくれる人がいた。

 もう独りじゃない、と思えるようになった。

 大木の考え方は変わらない。

 介護の仕事が好き。

 世の中のために働きたい。

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