ボーイミーツガールなどという良いものではない②

 午前中は、とにかく忙しい。

 9時半からデイサービスの提供開始。バイタルを測定する。

 入浴予定以外のかたのおむつ交換をする。

 10時にお茶かコーヒーの提供。

 10時半から11時頃まで、ラジオ体操とレクリエーション。

 その後、トイレ誘導や口腔ケアの準備、点眼薬のあるかたは点眼をする。

 11時半から、DVDをつけて口腔体操。

 11時45分に、食事介助が必要なかたの昼食が提供される。

 おしぼりとお茶を配り、食事介助開始。

 入浴介助の職員は、9時半から11時半頃までに入浴介助を終わらせ、制服に着替えて食事介助に入る。

 12時から、自力摂取できるかたの食事が提供される。それらを配膳する。

 12時15分頃から、入浴介助の職員に休憩に入ってもらう。

 今日は、イレギュラーな日だ。

 内林は13時までの勤務なので、ホールに残ってもらう。岩居もだ。

 高橋は、萩野と甲田に休憩の指示を出すと、岩居に「高橋さんも休憩にして」と言われた。

「ここは4人いるから、平気だよ。午後にボランティアの人が来るんだから、早めに休んでおいで」

 岩居、内林、看護師の平井、生活相談員の国友がホールに残ってくれる。

 高橋はありがたく、休憩させてもらうことにした。



 休憩は、シニアのスタッフルームかホールでとる。日中はシニアに利用者様がいないから、職員は気楽に休憩できる。

 高橋は、日当たりの良いテーブルを選んだ。

「おつかれさまです」

 カップ焼きそばを食べていた甲田が、頭を下げた。

「おつかれさまです」

 高橋も頭を下げた。

 休憩に入ったはずの萩野の姿が見えない。

「萩野さん、見ませんでした?」

「煙草吸ってますよ。俺、呼んできましょうか?」

「大丈夫です。すみません」

 互いに敬語で喋る。

 高橋は、持参した弁当を開けた。

 職員はキッチンの食事を注文できるが、高橋は弁当かコンビニのデリを持ってくることが多い。

 弁当づくりをやめたら、自分に負ける気がするのだ。

 弁当の中身は、雑穀米ご飯と、厚焼き卵、いんげんのごま和え、ラディッシュの甘酢漬け。厚焼き卵はウィンナーを芯にして巻いている。ラディッシュは、自宅の家庭菜園で収穫したものだ。

「高橋さん」

「はいっ!」

 不意に甲田に呼ばれ、高橋は驚いた。

 一瞬間が開き、甲田が訊ねる。

「高橋さんのお弁当、可愛いですね」

「……恐縮です」

「ごめんなさい。見えてしまいました」

「いえ。いいんですよ」

 いつもより気合を入れてつくってきて、良かった。

 普段はもっと手を抜いている。その割には奇抜だ。キャベツを敷いた目玉焼き丼とか、野菜たっぷりのさつま揚げを芯にしたとか。

 今日はたまたま、手を込んだものがつくりたかったのだ。

「でも、インスタントも食べたくなります」

 高橋は、甲田が食べていた焼きそばのカップを指差した。

「わかります。これ、俺も好きです」

 よくよく見れば、甲田はビッグサイズを食べていた。麺の量が通常の2倍なのだ。

「甲田さんがうらやましいです。そんなに食べても太らないなんて」

「食べないともたないんです。すぐにお腹がすいてしまって」

 やっぱり若いな、と高橋は思った。

 うらやましいのは、太らないことだけではない。

 甲田は、仕事を覚えるのも早い。

 生活相談員の国友が、ご利用者様の座席表をパソコンからプリントアウトする前に、甲田は自分のメモ帳にテーブルを描いてご利用者様の名前を書き込んでいた。

 介助も丁寧で速い。移乗いじょうの際、腰を深く落として、自分の体に負担をかけないようにしている。

 声かけも柔らかく、女性のご利用者様は花が咲いたように喜んでいる。

 やる気もある。ラジオ体操とレクリエーションを「やります」と買って出てくれた。

 しかし、岩居が「応援の子にやらせるわけにはいかない」とラジオ体操もレクリエーションのカラオケもやってしまった。

「若いって、良いですね」

「俺、22歳ですよ。高橋さんだって、同じくらいの年齢……だと思ったのですが」

「私ですか? 私なんか――」



 ――私なんか。



「私なんか、全然ですよ」



 ――高橋なんか。



「私なんか……」



 ――高橋なんか、いらないよね。



 まずいな、と高橋は思った。

 しかし、暴走する思考回路は止められない。



「私なんか、良いところ無いですし」



 ――高橋って、長所がひとつもないよね。

 ――短所が長所の裏返しにならない人も珍しいね。



「私なんか、仕事できないし」



 ――高橋って、仕事できてるの?

 ――全くできないんだよ。

 ――働く意味あるの?



「私なんか、死んだ方が世の中のためになるんです」



 ――高橋って、生きてる意味ある?

 ――ないよね。死んだ方がよほど有意義だって皆が言ってるよ。



「私なんかがいるから」



 ――高橋さんがいたから、伊丹いたみさんは認知症になったんだよ。



「高橋さん?」

 甲田が呼ぶ。

「ちょっと、高橋さん! ……あ、萩野さん! 高橋さんが……」

「甲田くん、悪いんだけど、ベランダに行ってて」

 甲田は萩野によってベランダに出される。

 萩野は、デイに内線をかけ、国友に伝える。

「国友さん、ごめん。今、来られる? 高橋さん、またスイッチが入っちゃった」



 高橋の名前の“瑠衣るい”はなみだから取った、と母が話してくれたことがある。

 感涙の“涙”。“涙腺”の“涙”。感情豊かな人になってほしいと思いを込めたらしい。

 しかし、高橋は自分の涙をコントロールすることができない。

 前職の、事務職員を退職する頃から。

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